第9話 大人のエゴ、子供の無邪気

 結局、今夜は五人で握り寿司を食べることになった。


 父から『カレンと一緒に夕食を食べようと思う。寿司ならカレンも好きだろう』と一方的に連絡があった。

 もう寿司の出前をオーダーしたらしく、事後通告というやつだ。


 ミヅキの仕事終わりを狙って電話すると、


「急に決めないでよ。野菜の残りがあったから、今夜はお鍋にしようと思ったのに。私だってちゃんと毎日の献立を考えて買い物しているんだからね」


 と怒られるハメになってしまった。


 申し訳ない。

 サダオがミヅキの立場でもイラっとするだろう。

 仕事だろうが家庭だろうが、自分のペースを崩されるのは嫌なものだ。


「通り魔の一件があっただろう。うちの親も神経質になっているんだよ。老人の我がままと思って付き合ってくれないか? 今回のが済んだら、しばらく会わなくていいから」

「はいはい、分かりましたよ。五人でお寿司を食べればいいんでしょう」

「すまん」


 ミヅキは妻として優秀な方だと思う。

 サダオの同僚の中には、自分の親と妻を絶対に会わせない、と断言する者もいた。

 会わせると戦争が勃発するらしい。


 サダオだってミヅキの両親と会ったら気疲れする。

 だから気持ちは痛いほど分かる。


 ミヅキと駅前で待ち合わせしてから、一緒に両親の家へ向かった。

 手ぶらは嫌だとミヅキがいうので、途中の商店街で和菓子を買っておいた。


 玄関のところで出迎えてくれたのはカレンだ。


「お帰りなさい、お父さん、お母さん」


 足元にはラブラドールもいる。

 和菓子の紙袋が気になるらしく、鼻先でツンツンしてくる。


「何それ? お土産?」

「わらび餅だな」

「え〜。ケーキの方が良かったな〜」

「おじいちゃんはケーキを食べたら胃もたれするから」


 奥からサダオの母がやってきた。


「ごめんね、ミヅキさん。相談もせずにお寿司に決めちゃって。カレンちゃんが、どうしてもお寿司を食べたいっていうから。おじいちゃんが上等なやつを頼んじゃって」

「いえいえ、ありがとうございます。特に夕食の準備もしていなかったので。むしろ助かります」


 ミヅキが平気そうな顔して嘘をつく。

 これも調和を乱さない秘訣というやつだろう。


 居間には高級そうな出前寿司とサダオの母が作ったであろうブリのあら汁が並んでいた。

 サダオの父が両手に瓶ビールを引っ提げてやってくる。


「ミヅキさんも飲むだろう?」

「じゃあ、一杯だけいただきます」

「カレンちゃんはオレンジジュースでいいかな?」

「うん!」


 親族五人による晩餐会がスタートする。


 カレンはウニ、イクラ、ホタテといった寿司ネタが好きだ。

 皆がカレンの好物を知っているから、食べなさい、と甘やかす。


「おじいちゃんが好きなのはマグロで、おばあちゃんが好きなのはアナゴでしょ」

「よく知っているね〜」


 サダオの母が猫なで声でいう。

 自分の孫と話すのが楽しくて仕方ないといった様子である。


「カレンちゃんはもう学校で英語を習っているのかい?」


 サダオの父から水を向けられたカレンは、うん! と元気よく返事する。


「お米がライスでしょ、お茶がティーでしょ、卵はエッグでしょ、マグロはツナで、イクラはサーモンエッグ」

「へぇ、イクラはサーモンエッグっていうんだ。知らなかったなぁ」


 よく言うぜ、とサダオは思う。

 父は大学を卒業しているから知らないわけがない。


 サダオが幼かった頃なんて、


『父さんが小学校で一番頭が良かった』


 と本当か嘘か分からない自慢話を耳にタコができるくらい聞かされたものだ。

 サダオの母は信じやすい性格だから、今でも自分の旦那のことを天才だと思っている。


 小学校では何が流行っているとか、次の遠足はどこへ行くとか、カレンに関する話題が中心だった。

 ミヅキは終始ニコニコしており、話を振られた時だけ口を開いた。


「サーモンが最後の一個だけれども、お母さん、食べる?」

「じゃあ、もらおうかしら」


 ミヅキの醤油だけ明らかに減りが遅い。

 親族というやつは難しいなと、ビールを飲みながら考えるサダオであった。


 ……。

 …………。


 子供は天才と言ったのは、パブロ・ピカソだったか。


「カレンちゃんは将来、何の仕事に就きたいんだい?」

「お医者さん!」

「どうして?」

「おじいちゃんとおばあちゃんが病気になっても治せるから!」


 四人の大人の口から一斉に、まあ、と言葉が飛び出した。

 ずっとツンツンしていたミヅキですら自然な笑顔になっている。


「お医者さんになるのは難しいぞ。頭の良い大学へ入って、さらに勉強して資格を取らないといけない。人の命に関わるお仕事だから、誰でも医者にするわけにはいかないんだ」


 サダオがしれっと否定的なニュアンスで言ったのは、いばらの道が待っているのを想像したからだ。


「なれるもん。カレンはたくさん勉強するもん」


 意固地になって反論してくる。


「そうよね。サダオと違ってカレンちゃんは勉強が好きだもんね」


 サダオの母が言うと、サダオ以外は一斉に笑った。


 あまり覚えていないが、サダオは勉強したくない子供だったと思う。

 父が厳しくて、学校のテストが近くなるとテレビやゲームといった娯楽を禁止されたから、嫌々やってきたような気がする。


 それに比べてカレンは優秀だ。

 放っておいても自分で勝手に勉強する。

 親バカとかを抜きにして、カレンが将来有望なのは間違いない。


 とはいえ、自分の母にだけは言われたくないね。

 サダオは苦虫を噛み潰したような顔でビールを飲んだ。


「もう一杯飲みますか?」

「おう……飲む」


 サダオの不機嫌に気づいたのか、ミヅキが優しく接してくれる。


 この種の気配りがサダオの母はできない。

 場の空気を読もうという発想が欠けているのだ。


 鈍感だからこそサダオの父のような傍若無人な男と夫婦になれたのか。

 あるいは亭主関白な男の妻を続けるうちに鈍くなったのか。

 判断に迷うところである。


 あれだけ美味しかった寿司が急に不味く思えるようになったサダオは、


「デザートのわらび餅、カレンはそろそろ食べたいよな」


 と自分の娘をダシに使うアイディアを思いついた。

 さっさと自分の家に帰りたいのはミヅキも一緒だから、


「残っているウニとイクラとホタテ、容器に入れて持って帰ろうか」


 とカレンが喜びそうなことを口にする。


 この娘の親はあくまで自分たち。

 真実を突きつけられたサダオの父は、口をへの字にして渋々頷いた。


 ……。

 …………。


 家に帰ってくるなりサダオはお風呂の湯を溜めた。


「カレン、先にお風呂に入りなさい」

「は〜い!」


 リビングで不機嫌そうにしているミヅキの肩を揉む。


「今日はありがとな。俺の両親の我がままに付き合ってくれて」

「一日に二回も仕事をした気分。あなたの実家に顔出すのはいいけれども、平日に急に呼ばれると困るわ」

「すまん。今回は特殊だった。でも、カレンを一人で食事させてくるわけにはいかないだろう」

「会う回数を減らせないかしら。近くに家を建てたのは、一緒に食事するためじゃないでしょう」


 ミヅキの言う通りだ。

 サダオの両親に万が一があった時、すぐ駆けつけるのが目的で近所に家を建てた。

 決して仲良くするためじゃない。


 何を勘違いしたのか、サダオの両親は呼べばいつでも会えると思っている。

 家のローンだって、向こうが勝手に頭金を出してきたくせに、サダオ夫婦がお願いしたことにされている。


 カレンがいる手前、和気藹々わきあいあいとしたムードを出しているものの、ミヅキが相当なストレスを溜め込んでいるのは見ての通り。


 何とかしなくては。

 毎年そう思うが、解決できそうなアイディアは持ち合わせていない。


「あなたのお姉さんは良いわね。年に一回くらいそれぞれの親に会えば済むものね。なんで私たちだけ面倒な思いをするのかしら」

「そういう言い方はよせよ。不謹慎だろう」

「分かっているわよ」


 仕事のストレスのせいだ。

 前の職場にいた時は、ミヅキもここまで嫌味な言い方はしなかった。


「今週末、遠出は無理だけれども、でっかい温泉施設でも行くか。ミヅキもカレンも好きだろう」

「だったら、個室を予約しましょうよ。あそこのフードコートは混み合うから、個室でゆっくり食事したいわ」

「ちょっと待て。空き状況を調べるから」


 スマホで手早くアクセスして、温泉施設にあるレンタルルームの空き状況を調べた。


「ほら、いくつか空いているぞ。どの部屋を予約したい?」


 画面をのぞき込んだミヅキの顔に無邪気な笑みが戻ってくる。


「一番小さい部屋でいいかな。ゆっくりしたいから五時間パックを予約しましょうよ。あなたも何回か温泉に入るでしょう」

「そうだな。最近は体が凝っているからな」


 お風呂場からカレンの歌声が響いてくる。


「あの子がお医者さんになりたいって本気かしら?」

「どうかな。いきなりだから驚いた」

「私もよ。なれると思う?」

「それって金銭的にって意味?」

「まさか……」


 ミヅキが甘えるように体を寄せてくる。

 カレンによく似たサラサラの髪を、サダオは手で撫でつけておいた。

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