第62話 闇の世界

 デッドフォレスト領の兵士ダニエルが、先ほどまでヤっていた女を思い出して路上に唾を吐いた。


「あんな人形みてえに動かねえ女、抱いたってつまんねえぜ」


 ダニエルは若い頃から喧嘩に強く乱暴者だった。

 成人しても働きもせず、夜は弱そうなヤツから巻き上げた金で、酒や女を買い、気に入らない事があると暴力を振るった。

 彼の両親は幼い頃から何度もダニエルを窘めたが、一向に治らない性格にしびれを切らして、18歳の時に彼を勘当した。

 行く当てがないダニエルは持ち金が尽きると追剥になろうとする。だが、丁度彼と同じく家から追い出された遊び仲間に出会って相談した結果、追剥で殺されるよりかはまだましだろうと、仲間と一緒にデッドフォレスト領の軍に入隊した。

 デッドフォレスト軍に入隊しても彼の暴力的な素行は治らず、時折権力を利用して領民に暴力や金品を巻き上げた。

 それはダニエルに限ったことではなく、周りの兵士も似たような行為をしており、デッドフォレスト軍の兵士は領民から嫌われていた。


 数日前に領主の息子のアルフレッドが顔を腫らして帰ってくると、その日のうちに出兵命令が下った。命令内容は、あの有名な奈落の魔女の捕縛だという。


 ダニエルも奈落の魔女の噂は知っていた。

 顔に火傷痕のある醜い魔女で、若い頃は冒険者として狂暴な魔物を単独で討伐して名声を高めていた。ところが、突然冒険者をやめると、大国ローランドに侵略された小国の軍に傭兵として参加する。

 戦争中、多くのローランド兵が彼女の餌食となって殺された。その数は数えただけで8000人を超えるが、これは数えられた人数だけで、本当はもっと多くの人間が殺されたらしい。


 結局、侵略された小国は敗北してローランドに併合される。彼女は戦犯としてローランドから賞金を懸けられることなった。

 だが、賞金首になった奈落の魔女は、追っ手を次々と返り討ちにして捕まらず、懸賞金が金貨1000万枚を超えると突然姿を消した。それが3年前の話だった。




 軍の指揮を執るアルフレッドは、奈落の魔女の捕縛に成功した暁には、兵士1人対し金貨10枚を報酬として払うと約束していた。


「金貨10枚と言えば、3年は遊んで暮らせるだけの大金だぜ。奈落の魔女の噂だって嘘に決まっている。たった1人の女が8000人もの兵士を殺した? そんなのありえねえって」


 ダニエルが金貨10枚の使い道を考えてほくそ笑む。


「だけど森に入るのもめんどくせえ。いっその事、奈落の魔女からこっちに来ねえかな」


 そう呟いて空を仰ぐと、突然村の上空に黒い魔法陣が現れた。


「あ、何だぁ?」


 それがダニエルが最後に見た光景だった。


 ブチブチブチ!


 突然、目の周りの筋肉が裂けるや、眼窪の中で眼球がぐりんとひっくり返り、何も見えなくなった。


「ギゃーーーー! め、目がぁぁぁぁ‼」


 顔全体に激しい激痛が走り、目を抑えて地面を転げ回る。目から血の涙が流れ、口からは涎が垂れ、全身から脂汗が吹き出した。


「ぐわぁ、痛てぇ! だ、誰かーー‼」


 ダニエルが大声で叫べど叫べど誰も来ず、何故か静まり返ってた。


「な、何だよ! 誰か助けろよ!」


 それでもダニエルは叫び続けるが、助けどころか周りの物音すら聞こえず、そこでダニエルは気が付いた。


 ま、まさか、目だけじゃなくて耳も聴こえないのか?

 突然何も見えなくなって、そちらの方ばかりに注意が向き気付かなかったが、激痛は目だけでなく耳からも感じていた。

 試しに自分で声を出す。その声は耳から聞こえていなかった。


 もし目と耳を失ったら、そして一生治らなかったら……。そう思った瞬間、ダニエルは激痛の中で絶望に落ちた。




 ナオミが発動したのは、視覚と聴覚を失う範囲魔法だった。

 これと似た魔法に「闇の目」というのが存在する。その魔法は闇系統の魔法で、一時的に相手を盲目にする。効果は1分ほどで、痛みもなく直ぐに回復するのだが、彼女の魔法はそれとはまったく異なり、魔系統の魔法だった。

 魔系統の魔法は、主に体内を巡回するマナを活性化して、筋力や体力、視力などを強化または弱体化させる。

 彼女はその魔法を魔法陣の中に居るすべての生物を対象に、過剰なほどの威力で視力と聴力を強化した。

 その結果、村に居た兵士だけでなく、犯されていた女性、馬、牛、全ての生物の眼球を支える筋肉が千切れ、聴神経は引き裂かれた。

 それ故、彼女はこの魔法を「闇の世界」と命名した。


 この星では医療が発達しておらず、失明、失聴を治すためには大金が必要だったが、それも治せる目と耳があればの話。眼窪の中で反転した眼球、微塵に引き千切れた聴神経を治す方法は存在しなかった。




 多くの兵士が泣き叫び、のた打ち回る村の中をナオミとルディが歩く。


「ししょー、こいつ等、まだ生きてろですよ。殺さねーですか?」

「楽に殺さなかっただけだ。この星で目と耳を失った人間が生き残れると思うか?」


 その質問に、ルディが腕を組んで考える。


「うーん、無理ゲーです」

「ゲー? よく分からんが、喉を潰さなかったのはせめてもの慈悲だ」

「流石ししょー、えげつねーのがかっけーです!」


 ナオミはまさか褒められるとは思わず、目を見開いてルディを見る。

 彼は目を輝かせて興奮していた。

 それと「えげつない」は、誉め言葉なのかと少しだけ悩む。


「ふふふっ。お前に怖がられて逃げられると心配した私が馬鹿だったよ」

「コイツ等、何もしてない村人皆殺しにした、当然の報いです。だけど動物も一緒はどうかと思うのです」

「選別出来ないから仕方がないさ」


 そう言いながらナオミが魔法を詠唱して指先を振る。

 振った指先から風の刃が放たれると、地面に倒れて痙攣していた牛の首が刎ね飛んだ。

 ナオミとルディが村に入ったのは、魔法の巻き添えになった女性と動物を、苦しませず殺しに来たからだった。




 ナオミたちが村の中央まで歩くと、元村長の家の扉が開いて、シャツとズボンだけを着たアルフレッドが慌てる様に飛び出してきた。


「だ、誰か! 誰か居ないか⁉」

「あ、アイツ、アルフレッドです」

「あれがそうか」


 ルディがアルフレッドを指をさすと、相手もルディに気づいて指をさし返した。


「その声は、あの時の小僧!」


 前にルディがアルフレッドと会った時、ルディはフードを深く被って顔を隠していたが、アルフレッドは声を覚えており、すぐに相手が誰か分かった。


「何でお前、目と耳、イカれてねえですか?」


 正常な様子のアルフレッドにルディが首を傾げる。だが、彼の顔をよく見れば、血の涙の後が残っていた。


 何故、アルフレッドだけが正常だったのか。

 それは、偶然にも彼は村へ来る途中で、ナオミの回復薬を入手していたからだった。

 アルフレッドもナオミが魔法を発動したとき範囲内にいたため、兵士たちと同じ様に激痛で転げ回っていた。

 だが、彼は薬の事を思い出すと、手探りで探して飲む。すると、激痛が治まって視力と聴力が回復した。


「うるさい、黙れ! コレはお前の仕業か⁉」

「僕ちゃう、ししょーの魔法です」

「師匠? と言う事は奈落の魔女か!」

「だとしたらどうする?」


 ナオミが二人の会話に割り込んで、アルフレッドに話し掛ける。


「貴様、誰だ!」


 アルフレッドは火傷痕のないナオミを奈落の魔女だと気付かず、大声で叫び返してきた。

 誰だと問われて、ナオミが顔の左半分を手で隠す。そして、幻術の魔法を唱えながらゆっくりと手を外した。


「お前が探していた奈落だよ」


 そこに居たのは、火傷の顔をした魔女だった。

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