第523話 side:トレント

「木に、アンデッドに、蜘蛛かあ。どれも、反吐が出るくらいにまずそうだなぁ」


 アルアネが私達をじろりと眺める。

 そのとき、私は確かに感じ取った。

 姿形こそ少女のものだが、瞳は獲物を前にした捕食者のものであった。

 ニンゲンというよりは、私が木の時によく見かけたマンティコアや、この地の異形の魔物達に近しいものを感じる。


 アルアネはふらり、ふらりと覚束ない足取りで揺れた後に、姿勢をがくんと低くし、私達の許へと猛進してくる。

 アルアネは、ヴォルク殿と渡り合ったアレクシオよりも数段速かった。


 その背後を、起き上がったばかりのアレクシオの骸が駆ける。

 アレクシオも、身体が痩せ細って黒ずみ、そして奇妙な病の様に赤い斑点が身体の至るところに浮かんでいた。

 瞳にも生気がない。

 だが、生前よりもむしろ動きが速くなっている。


 アルアネの乗っていた騎竜と同じ状態である。

 恐らく……アルアネは、死体を支配下に置き、強化した状態で操ることができるのだ。

 骸を武器にするアロ殿の〖アンデッドメイカー〗に似ているが、恐らく対象が狭い。

 騎竜をすぐに捨てたことと言い、単体が限界であるのかもしれない。

 ただ……身体能力を引き上げる術や、死体の動きの精度は、〖アンデッドメイカー〗の比ではなさそうであった。


 少女が腕を力ませ、口を開ける。

 明らかにヒトのものではない鋭利な牙が、口の奥に隠れていた。

 彼女が腕を力ませれば、指先から赤い、禍々しい爪が伸びる。

 アルアネは、正真正銘の化け物であった


『ア、アロ殿、アトラナート殿! この場は撤退しましょうぞ!』


 私はアロ殿達に〖念話〗で声を掛けた。


「……できない」


 だが、アロ殿はアルアネを見つめながら、首を振った。

 アトラナート殿に至っては、私の呼びかけに反応も示さない。

 呆れられてしまったのかもしれない。


 当たり前のことであった。

 そう、この速さの差では、まず逃げることはできないのだ。


 ……脅えている場合ではない。

 戦って、どうにか打ち倒す。

 それ以外に、全員無事に生還できる道はないのだ。


 活路がない、わけではないはずなのだ。

 アトラナート殿は物理攻撃に優れており、アロ殿は魔法攻撃に優れている。

 一方的に攻撃できるタイミングさえあれば、格上相手でも倒しきるだけの力がある。

 あのアルアネを落とすことも、不可能ではないはずなのだ。


 そのための隙を……私ならば、稼ぐことができるかもしれない。

 恐ろしくか細い道であろう。

 しかし、私が脅えて動かなければ、その道は完全に途切れてしまう。

 三体が完璧に動かなければ、勝機はない。

 私が半端に逃げ腰でその芽を潰せば、そのせいでアロ殿もアトラナート殿も殺されてしまうのだ。


 私はこれまで守られてばかりであった。

 安全なところにずっと立っていた。

 王都での戦いも……私だけ、主殿より戦力外と見なされて大鉱山での待機となってしまった。


 だが……この場では!

 私が命に代えても、アロ殿とアトラナート殿を守ってみせる!


 私は迎え撃つ策を探って待機しているアロ殿とアトラナート殿より、一歩前に出た。


「トレントさん……?」


『私に、気を取られた隙を狙ってくだされ! それしか、攻撃を当てる術はありませぬ!』


 アルアネの攻撃手段が近接しかないのであれば、大きかれ小さかれ、攻撃した際に必ず隙を晒すことになる。

 アロ殿とアトラナート殿ならば、そこに攻撃を叩き込んでくれると、私は信じている。


「だ、駄目! 囮なんて! 戻って!」


『私は、犠牲になる気はありませぬ。皆で笑って生還するための策ですぞ』


 私は〖木霊化〗を解除する。

 あっという間に私の身体が膨れ上がり、十メートルを超える木の姿へと戻った。

 私は自身へ物理耐性強化の魔法である〖フィジカルバリア〗を掛け直し……続けて、敵の気を引きやすくなる〖デコイ〗の魔法を掛けた。


 アルアネに並走するアレクシオが、大きく剣を振り上げた。

 まだ、アルアネと我々の距離は開いていた。

 何をする気かと、そう考える私へ向けて、アレクシオが剣を振った。


 剣先の生んだ斬撃が、指向性を持って私へと放たれる。

 狙いは、幹の中央辺りであった。 


『これは、ヴォルク殿も使える、〖衝撃波〗……!』


 アルアネは死体のスキルを、自在に操ることができたのか!

 我が巨体の中央部に、アレクシオの〖衝撃波〗が刺さった。

 熱量を持った斬撃が私の身体を穿った。


 力が、入らない。

 私はまともに抗うこともできず、地面へと容易く打ち倒された。

 直撃を受けた。

 命が、極限まですり減らされたのを感じる。


 私の盾という策はアロ殿に否定されたが……私は自分の耐久力を、しかしそれでも多少は信じていた。

 だが、甘かった。

 多少の防御能力など、格上相手には何の意味もないのだ。


 私は、やはり無力であった。

 身体が、思うように動かない。

 意識が眩む。

 先程の攻撃は、いったいどこまで深く私の身体を抉ったのであろう。


 アロ殿が私の前に立つ。


「〖ゲール〗!」


 吹き荒れる暴風が、アルアネとアレクシオを襲う。

 だが、二人は左右に別れ、容易くそれを回避した。

 単純な攻撃では、この身体能力の差では、どれほど撃っても当たらない。

 しかし、差が開きすぎていて、まともに牽制もできないのが現状なのだ。


 暴風を回避したアルアネが、唐突に駆ける速度を上げた。

 まだ、上があったのか。

 さっきまでの速さは、本気ではなかったのか。


 前に出てしまったアロ殿へと襲い掛かる。

 アロ殿も、あの距離はまだ近接の間合いではないと信じていたはずであった。

 後続の遠距離攻撃や、策を考えていたところだったのだろう。


 アロ殿は腕を前に構えたまま、ただ、呆然と、アルアネの接近を許してしまっていた。

 とはいえ、それは本当に短い、ほんの一瞬の出来事である。

 その間にアルアネは遠距離の間合いから、一瞬でアロ殿の目前へと距離を詰めていた。


「ごめんねぇ、アンデッドのお姉さん、ごめんね」


 アルアネが不気味な声でそう言い、赤い爪を振るう。

 その刹那、アロ殿が奇妙な動きで、大きく背後へと跳んだ。

 私にはすぐにわかった。

 アトラナート殿が、糸で引き戻したのだ。


 ど、どうにか助かった……。

 引き戻されたアロ殿が着地するかに見えたとき、そのまま糸の切れた人形の様に地面へと崩れ落ちてしまった。

 そのまま腹部が大きく裂けて血肉を噴き出し、身体が折れ曲がった。

 私が安堵を覚えた瞬間のことであった。


『ア、アロ殿……?』


 アロ殿は目を見開き、ぱくぱくと口を開閉させている。

 避けられていなかったのだ。

 アルアネの爪が、アロ殿の腹部を僅かに掠めていた。

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