第506話 side:リリクシーラ

「しかし、テメェも寂しいヤローだな。腹の内話せるのは、鎖がついてる俺様だけか。この蠅王様が、テメェのために相談室でも開いてやろうか? んん?」


 ベルゼバブが口を大きく裂けさせて笑う。


「軽口はそこまでに、そろそろ連中の進化後の形態をお願いします。スキル構成に推測が建てられますし、情報が増えれば〖ラプラス干渉権限〗のシミュレーションの信憑性も上がりますから。もしも過去の見聞が残っている魔物でしたら、大きな拾い物になりますからね」


 ベルゼバブのからかいの言葉に、リリクシーラは淡々と返す。


「ンだよ、ちょっとマジに言ってやったのに。とことん可愛気のねェ奴だなァ」


 ベルゼバブが地面に唾を吐く。

 猛毒を含んだ唾液が地面を溶かし、黒い煙を上げる。

 ベルゼバブが詳細について話すため続けて口を開こうとしたとき、リリクシーラが唐突に立ち上がった。


 リリクシーラの背後へ跳びかかった緑髪の童女が、彼女の座っていた切り株の上に覆いかぶさる。


 童女は頭に目立つ薔薇の飾りをつけており、暗色のドレスを纏っていた。

 大きな瞳でリリクシーラを見上げ、にへらと笑う。

 綺麗なエメラルドの髪からは長い耳が伸びていた。


「ね、ねっ、聖女様? 聖女様の予知の方は、お休み中なんでしょ? だったらね、だったら、アルアネと遊んでよ」


 彼女は〖大監獄の悪魔〗、アルアネである。

 通り名の通り、つい先日まではリーアルム聖国内の監獄の地下深くに百年近く閉じ込められていた。

 幼い姿を保っているのは、遠い昔に世界の支配者であったという、エルフの血が混じっているためである。


 周囲からの大反感の中、リリクシーラはアルアネを外へと出した。

 アルアネはわかっているだけで単独で村を二つ滅ぼし、それとは別に六百人以上を殺したとされている。

 たった一人を捕らえるために国を挙げての大騒ぎだったという。

 リーアルム聖国には宗教によって処刑が認められていなかったため、監獄地下深くに押し込められていた。


「ね、ね? いいでしょう? 聖女様? アルアネはね、アルアネは、聖女様と仲良くなりたいの。ね? 暗い地下から出してくれた聖女様のこと、とっても感謝しているし、それに、とっても尊敬しているの。だから、ね? ね?」


 アルアネは立ち上がり、リリクシーラへとべたべたと纏わりつく。

 リリクシーラが聞いたアルアネの話の中に、彼女は知能に欠落がある、というものがあった。

 それが長く地下に押し込められていたためか、生まれつきの問題なのかは、当時投獄した際の人間が生きていないため、わからないのだという。


「……今は、大事な話をしているところでしたので。申し訳ございませんが」


 リリクシーラは彼女の手を握り、柔和な笑みを浮かべる。


「駄目だよ、駄目なの、聖女様。そんな演技ね、アルアネにはね、アルアネにはわかるの。だからね? ね? アルアネにだけ、アルアネにだけ本当のこと教えて? ね?」


 アルアネは気味の悪い笑顔を浮かべたまま、リリクシーラへと問う。

 リリクシーラが困った様に苦笑する。


「ハッ、そんなガキに見破られてるようじゃ、聖女様も底が知れるなァ?」


 ベルゼバブが楽し気に言う。


「ね、ね? 聖女様、聖女様は、この戦いが終わったら、どっちにしろ、アルアネのこと、どこかで殺しておくつもりなんでしょう? ね?」


 アルアネの言葉は事実であった。

 彼女はあまりに危険過ぎる。

 リリクシーラとて、手段が選べる状況であったのならば、何をしでかすかわからないアルアネは連れてなどこなかった。


 アルアネは今回の戦いへ『自由の身』を餌に戦力として連れて来てはいるが、生き残った場合には消耗しているところを狙って適当に処分するつもりであった。

 このことは聖騎士団の一部も既に了承している。


「そんなことはありませんよ」


 リリクシーラは眉を顰め、困った様に口にする。


「いいよ、いいの、別に。これが終わったら、これが終わったらね、アルアネのこと、殺してもいいよ」


「…………」


 アルアネはあっさりと言ってのける。

 リリクシーラは目を大きく開き、アルアネの真意を推し量ろうと彼女の目を見る。


「アルアネはね、聖女様のこと、尊敬してるから。最後に外に出ただけでも、凄く満足だから。だからね、ね? ね? 本当のこと教えて? 私にだけ、本当のこと」


 アルアネがリリクシーラの顔を深く覗き込む。


「……魔眼はお止めなさい」


 リリクシーラが表情を一変させ、アルアネを睨む。


「わっ、わっ、ごめんなさい! わざとじゃね、わざとじゃないの。アルアネね、上手く使えないの。ちょっと興奮しちゃったら、勝手にこうなっちゃうの。アルアネはね、本当に聖女様と仲良くしたいの。仲良くしたいだけなの。それにね、聖女様の役に立ってあげたいの。本当にそう思っているの」


「……ええ、私も、貴女とは仲良くやっていきたいと思っていますよ」


「わぁ! わぁ! わわ、よかった、よかったぁ! アルアネと聖女様ね、これで両想いだね! ね、ね!」


 しばし、リリクシーラとアルアネは無言のまま見つめ合っていた。


「……もしかして、私に何か、言いたい話があったのではないですか?」


 アルアネがくすりと笑い、リリクシーラの耳に顔を寄せる。


「ね? 向こうに着いたら、五人、食べさせて? ね? そっちの方がアルアネはね、調子が出るから。ね? ね? ね? アルアネの大好きな、聖女様の役に立つためなの。ね? 大丈夫、士気は落とさない様に、こっそり食べるから、ね?」


「…………」


 リリクシーラはじっとアルアネを見る。

 アルアネは知能に欠陥があると聞かされていたが、彼女は明らかに、リリクシーラの思考の流れを読んで話をしている。

 思考と言動に異常性はあるが、それを客観的に認識しているようであった。


 リリクシーラはアルアネのステータスをじっと確認した後、頭に手を当てて目を瞑って逡巡した。

 その間も、アルアネは楽しそうにリリクシーラの顔を眺めている。

 やがてリリクシーラが目を開き、アルアネへと目を向ける。


「……わかりました。いいですよ、五人、好きな方を差し上げましょう。貴方に臍を曲げられては困りますからね。ただし、ハウグレー以外、という条件付きですが」


「じゃあ、聖女様とよく一緒にいらっしゃる、あの格好いい女の人でもいい? ね? ね?」


 間髪入れずにアルアネが返す。

 リリクシーラは顔を上げ、アルヒスへと目を向ける。


 彼女は他の聖騎士から少し離れたところで、頭に手を当てて考えごとをしているようだった。

 どうにもアルヒスは、ルイン騒動の際にイルシアと最後に接触していたらしく、以来物思いに耽る機会が増えていた。

 直接対話した分、二度の裏切りに思うところがあるようだった。


「アルヒスですね。彼女は剣の腕が立ちますし、ある程度は私の考えを読み取って立ち回ってくれます。彼女には戦地で死んでもらうつもりですので、極力は止めて欲しいですね」


「聖女様、聖女様は、あの人のこと、好きなんでしょ? ね? ね? アルアネにはわかるの」


「……何を」


「どれくらい小さいときからのお友達なの? アルアネも、聖女様の小さいときからのお友達になりたかったなぁ。ね? アルアネにはわかるの。アルアネにだけは、本当のこと教えて、本当のこと。そうしたら、聖女様の悪いようにはしないから。ね? ね?」


 リリクシーラの顔から、表情が失せていた。

 アルアネはその顔が見たかったとでも言いたげに、満足げに目を細める。

 リリクシーラはしばし顔を凍り付かせていたが、すぐににまりと笑みを浮かべた。


「ええ、ええ、いいですよ。ハウグレー以外でしたら、どなたでも差し上げます。何なら必要なのであれば、もっと大勢持って行ってもらっても構いませんよ」


 アルアネが驚いた様に口を開ける。


「いいの? いいんだ? 本当に?」


 アルアネはじっとリリクシーラの顔を至近距離から見つめた後、また笑みを浮かべて顔を離した。


「それでこそ、さすが、アルアネの尊敬した聖女様だよ、聖女様だね。じゃあ、もらうね? もらうよ? ね? いいんだよね? ね?」


 最後にそう言い、嬉しそうに駆けてリリクシーラから離れていった。


「……俺様が言うのもなんだが、アレ、解放して本当によかったのかァ? テメェの部下も、アレを連れ出すテメェの正気を疑ってたらしいが、俺様もどうかと思うぜ。いつこっちに牙を向けんのか全然わからねぇじゃねェか。手数足りねェ、手段選べねェとは言ってたが、さすがにアレは駄目だろ。俺様は別に、どうでもいいけどよ」


 ベルゼバブはアルアネから距離が離れてから、リリクシーラへと声を掛ける。


「ええ、彼女、思っていたよりも面白い人ですね。いい動きをしてくれそうで何よりです」


 リリクシーラは笑みを浮かべたまま、アルアネをじっと見ていた。

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