第157話
俺はサボテンを抱え、浜辺へと戻った。
海水の浅いところでニーナを寝かせ、玉兎に番をさせている。
砂漠の砂は熱い。
この日差しの中、病人を寝かせるのには適さない。
とりあえずは水分を取らせなければいけない。
この砂漠では、立っているだけで熱に体力を奪われる。
水分が足りなければ、病状の悪化もそれだけ早くなってしまうだろう。
玉兎は俺からサボテンを受け取り、絞ったり中身を掬い取ったりして、ニーナの口許へとサボテンの液を器用に流す。
ニーナの顔の色は、俺がサボテンを取りに行く前よりも悪くなっているように思えた。
しかしそうだとすればあまりに進行が早すぎるので、ひょっとしたら俺の焦りがそう見せかけているだけなのかもしれないが。
悩んでいる猶予などないはずなのに、俺にはこれからどうすればいいのか、さっぱりわからない。
他の人間か土地が見つかる奇跡を信じて移動するか、ハレナエまで戻るか。
さっさと行動した方がいいのは理解しているのに、選ぶことができない。
ニーナの思惑通りこのままそっと死なせた方がいいのではないのだろうか、とまで考えてしまう。
俺は首を振り、頭に浮かんだ考えを振り払う。
俺は玉兎を自然と睨んでいた。
ハレナエまで戻れば、ニーナはとりあえずは死ぬことはなかったのだ。
玉兎の行動がニーナの気持ちを汲んだ上でのことなのだとわかってはいても、納得しきれない気持ちが俺の中にあった。
玉兎は俺の目線に気付き、そっと顔を上げる。
「ぺふぅ……」
寂しげに、玉兎は小さく鳴く。
特に〖念話〗は送られてこない。
玉兎はきっと、ニーナの以前の話を聞いたことがあったのだろう。
玉兎は魔物ではあるが、かなり賢い。
考えもなしにニーナを死なせるようなことはしないはずだ。
人間に期待が持てなくなるほど、ニーナの過去は凄惨なものだったのだろうか。
ハレナエにも、ハレナエ以前にニーナがいた地にも、優しい人はいるはずだ。
それに希望を持ってみることはできなかったんだろうか。
ニーナの瞼が弱々しく開く。
首をわずかに持ち上げ、目を動かす。
そうして俺の姿を見つけると、そこで目が止まる。
強張っていたニーナの口許が、わずかに緩んだ。
「ごめん、なさいにゃ……ドラゴンさん」
小さな、呟くような声で言う。
「ニーナ、今までこんなに優しくしてもらったことなかったから……ずっと、ずっと……それがダメなら、ちょっとでも長くドラゴンさんと一緒にいたいって……ニーナの、我が儘です。言わないでおいてほしいって言ったのも、ニーナなんです。だから、タマちゃんは……責めないで、あげてください……」
ニーナがまた咳き込み、口許を押さえる。
咳が止まってから、またゆっくりと口を開ける。
「ごめんなさいにゃ……ドラゴンさんの好意を、裏切るようなことをしてしまって……。でも、無駄だったなんて、思わないでくださいにゃ」
それを聞いて、わかった。
玉兎は、俺がニーナを死なせることになったら、そもそも助けたことに意味がなかったんじゃないかと悩んでいたことを知っていたのだろう。
〖念話〗は自分の考えを相手に伝えたり、強い思念を読み取ったりするスキルだ。
こっちが伝える気がない考えでも、場合によっては玉兎に筒抜けになってしまう。
そしてきっと、玉兎はニーナに俺の考えを伝えた。
だからこそニーナも玉兎も、俺に考えを黙っておくことに決めたのだろう。
「ドラゴンさんと一緒に旅をしたり……背に乗せてもらって景色を眺めたり……釣りを教えてもらったり……ニーナ、すごく、本当にすごく、楽しかったですにゃ。
最初はちょっと怖かったですけど……いつも、いつもいつも、会ったばかりのニーナに気を遣ってくれていて……すぐ、優しい人なんだなってわかりました。たまになんでこうしたんだろう、なんでこっちにしたんだろうって疑問に思うことがあって、ちょっと考えてみたらニーナのためなんだってわかって……申し訳ないなって思ったんですけど……でも、それ以上に、すごく嬉しかったですにゃ」
自分の目から涙が落ちるのがわかった。
こんな状況ではあるけれど、そういうふうに思ってもらえていたのが嬉しかった。
ドラゴンになってから、ここまで想ってもらえたことは初めてだった。
「こんな別れ方になってしまって……ごめんなさいにゃ。本当は、お礼を言ってから、きっとまた会いましょうって笑顔で言って……それから、さようならしたかったですにゃ」
……俺は、どうすればいいんだろうか。
ニーナのステータスを確認してみると、〖呪い(小)〗から〖呪い〗へと変化している。
一旦ステータスに反映されるまで来てしまったら、悪化が早いのかもしれない。
さっきまでサボテン探しにそこそこ距離をとっていたのだが、あれくらいではダメらしい。
もう、俺は離れた方がいいのかもしれない。
病魔で死ぬのは、かなり苦しいのではないだろうか。
いや、置き去りにされて砂漠で魔物に集られて死ぬことだって考えられる。
だったらいっそ、苦しむ前に、爪で……。
「グォォオオオ……」
俺は低い声で鳴きながら、玉兎を見る。
俺がどうすればいいのか、玉兎からニーナへ訊いてほしかった。
玉兎がニーナに顔を向けるのと同時に、ニーナが口を開いた。
〖念話〗はなかったが、なんとなく俺の言いたいことがわかったのだろうか。
「元気なうちに離れるつもりだったと言っておいてなんなのですが……最期まで、一緒にいてもらえませんか?」
俺は鳴きもせず、ただゆっくりと頷いた。
尻尾でそっとニーナの背を撫でた。
「ありがとうございますにゃ……ドラゴンさん」
ニーナがそう言って、弱々しく笑う。
俺とニーナ、玉兎。
二体と一人で、ただじっと見つめ合っていた。
ニーナは目を開けているのも辛そうに見えたのだが、まったく目を閉じなかった。
何かするべきことがあるんじゃないのか、何か話すべきことがあるんじゃないか。
そんな考えが頭を過るが、俺には何もできなかった。
ふと、遠くから何かの気配がした。
〖気配感知〗のスキルが、強く反応している。
スキルによる感知に遅れ、耳が馬の足音を拾った。
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