第94話 グータラ宰相の優雅?な一日⑤

 マスターが、グラーシュをアレンジし始めた。店の中に良いスパイスの香りがただよう。



 クミンと、ターメリック、レッドペパー、そしてフェヌグリークを入れて、小麦粉で少しとろみをつけると。グラーシュだった物が、マスターの祖国の料理へと変貌へんぼうする。


 マスターの祖国は、はるか東にある暑い国。


「マスター、この香り嗅いでいると、ニハリだっけ? あれ、また食べたくなるね~」


「そうですね、そう言われれば、エリスちゃんと殿下が結婚する前に作ったきりでしたね。また、作りましょう。スパイスは、こちらの方が、手に入りますし」


 だそうだ。楽しみだ。



 そして、グラーシュか〜。だったら赤ワインだな? いや、マスターのアレンジだと、ピルスナーもありだが。う〜ん?


「グーテルさん、どうされました? かなり真剣な顔をされて、何かありました?」


 エリスちゃんが、僕に聞く。


「いや、赤ワインにするか、ピルスナーにするか悩んでて」


「そうですか」


 エリスちゃんの興味は、無くなったようだった。そして、僕は、


「すみません、ピルスナーください!」


 辛い物には、ビールでしょ。というわけで、ピルスナーに戻る。



「はい、お待ちどうさま。エリスちゃんのは辛めにしてあって、殿下とパウロさんのは普通に、えっと、ジョルジュさんだっけ? のは、辛さ抑えてあるよ。どうぞ、召し上がれ。あっ、エリスちゃんには、はいこれ。辛さ足りなかったら追加してね」


 と言って去って行った。目の前にはグラーシュ? 僕のとパウロさんのは、茶色のスープ。ジョルジュさんのは、濃い茶色のスープが、エリスちゃんには、赤く見えるスープが見える。


「では、頂きます」


 ちょっと久しぶりに食べる、マスターの郷土料理、恐る恐る口に入れる。柔らかく煮込まれた牛肉が口の中で、ホロホロと崩れ、野菜の旨味と共に、スパイシーなスープが口に流れ込む。ちょっとピリピリするが、その刺激がさらに食欲を増進させる。



 顔を上げて見ると、エリスちゃんは、赤いスープを平然と飲んでいるし、パウロさんも、ジョルジュさんも美味しそうに食べていた。


 ふと、エリスちゃんが顔を上げて、目が合う。


「グーテルさん、飲みます?」


「いや、いいや」


 どうせ、結果は分かっている。また、ひどい目にあいたくない。と、パウロさんが。


「あの、私、一口、頂いても良いですか?」


「良いですよ。どうぞ」


 えっ、止めたほうが良いんじゃない。僕は、そう思ったのだが、パウロさんは、エリスちゃんのグラーシュを口に入れる。


「うん、ちょっと辛いですが、そんなには……。ん? 熱っ、痛っ、えっ。ゴホッゴホッ。辛っ、み、水!」


「ミミズ?」


「いやっ、水!」


「グーテルさん、パウロさんで遊ばないの!」


 エリスちゃんは、急いで水を給仕さんからもらうが。水飲むと余計に辛くなるよ~。隣でしばらくもだえるパウロさん。



 そして、ガルプハルトの方に目をやると、マスターが出した真っ赤なグラーシュに、さらにレッドペパーを追加して、毒々どくどくしい色のスープを目を血走しらせながら飲む、ガルプハルトの姿が。汗はダラダラと流れ、肌の色は赤黒く。ちょっと怖いぞ、ガルプハルト。



「大丈夫、パウロさん?」


「はい、なんとか。ですが、恐ろしい奥様ですね」


 エリスちゃんの眉間が、ピクピクと動く。


「恐ろしくはないけど、辛さには強いね」


「いえ、本当に恐れ入りました」


 と、ジョルジュさんが、


「私は、パウロさんのを少し舐めさせてもらいましたが、それでも辛いです。辛い物食べると、味覚駄目になりません?」


「だって、エリスちゃん」


「えっ? う〜ん、どうなのでしょう? 辛いと確かに味覚おかしくなりますが、普通に味しますし、辛味おさまれば味覚に変化は無いと思いますよ」


「だって」


「はあ」


 ジョルジュさんが、納得出来ないような表情でうなずく。


「しかし、マスターの故郷では、何故辛い物を食べていたのでしょう?」


 と、パウロさん。


「さあ? う〜ん、辛くして日保ひもちを良くしていたとか? 塩ダラのように塩漬けして長持ちさせるようにさ。暑い国だから、食べ物がすぐくさるみたいだし。どう、エリスちゃん?」


「う〜ん? 辛い物食べるんだから、汗かいて涼しくさせるのかな〜? わかんない」


「そうですか~」


 パウロさんは、マスターを見る。肌の色も、髪の色も自分とは違う。実に面白い、常連客として、ゆっくり聞いていこうと思った。



「はい、続いては、ニシンのマリネね」


 マスターがそう言って、テーブルに置く。これも、海の魚だった。マスター、いつから魚料理専門店になったんだ? まあ、美味しいんだけどさ。



 マインハウス風のニシンのマリネだった。塩漬けされたニシンに、レモン、ワインビネガー、マスタードシードと胡椒こしょう、そしてディルをたっぷり刻んで合わせ。一日置く。


 そして食べる前に、刻んだ生たまねぎとディルをサワークリームに混ぜて、軽く塩胡椒してあえて出来上がりだそうだ。



 これは、白ワインだな。僕は、再び、ポルトゥスカレのグリーンワインを飲む。パウロさんや、エリスちゃん、そして、ジョルジュさんも同じように。



「でも、マスター。魚料理専門店みたいですね~」


 僕が、マスターに聞くと。


「いや〜、殿下のおかげでヴァルダに海の魚が入ってきたでしょ。ダリアとか、エスパルダで、料理してたから懐かしくなっちゃって」


「なるほど〜」



 確かに、ゼニア共和国はダリア地方の国だし、エスパルダ、ポルトゥスカレ等を通ってくるから、その辺りで採れる海産物も持って来てくれる。もちろん塩漬けだけど。そういう意味では、マスターにとって喜ばしい事なのだろう。



 だけど、マインハウス神聖国の人々は、結構肉が好きだ。


「マスター、もっと力のつく食べ物も作ってよ」


 ガルプハルトが言うと、ミューツルさんも、


「そうだよ~。やっぱりビールには、肉でしょ」


 だそうだ。確かに、僕も全部魚は、ちょっと。


「分かりましたよ〜。次からは、バランス良くやりますから。今日は、魚食べてって下さい。仕込んじゃったんで」


「え〜」


「じゃあ、力の出る魚料理下さい」


「はいよ」


 マスターは、ガルプハルト達に、マグロの炙りステーキを出して、文句を回避する。そして、再び、グラーシュを出して、誤魔化すようだ。


 一時は、ジビエ料理の店になっていたのにね。


 そうだ!


「そう言えば、パウロさん。秋になったらガルプハルトや、マスターと狩猟やったりするんですけど、パウロさんもどう?」


 と、僕が言うと、パウロさんは、ゆっくり首を振りつつ。


「さすがに、私はこれでも司教ですから、さすがに殺生せっしょうは……」


「あっ、そうだった。すっかり忘れてた」


「へ〜。パウロさんって司教なんだ。どこの?」


 僕達の話を聞いていたのか、ミューツルさんが聞いてきた。


「ヴェルダ城内にある、聖スヴァンテヴィト大聖堂の司教です。街中ではないので、あまりお会いする事はないでしょう」


「そっか~。家の近くの教会は、司祭さんだっけな~。そう言えば、そこの司祭さんと良く、風呂屋で会うだけどよ〜。司祭さんって、結婚しね〜だろ? まあ、まってんだろ〜ね~」


 ん? どういう事?



 街中の風呂屋を利用しない僕達は、ミューツルさんの話を、黙って聞いていた。


「ミューツルさん、それ以上は駄目ですよ」


 マスターが、注意するが、聞くようなミューツルさんではなく。


「パウロさんにも、今度紹介してやっけどよ〜。まあ、良い女がそろってんだよ。その風呂屋はよ〜」


「え〜と、私は、そういうのは〜」


 パウロさんが、困った顔で言う。



 ああ、そういうことね。僕は、エリスちゃんを見る。エリスちゃんは、すでに気づいて、女性の給仕さんから、金属製のトレーを受け取っていた。この感じも懐かしい。



 まあ、要するにだ。街中にある風呂屋の中には、公的に認められて娼婦しょうふがいる風呂屋があるのだ。


 一時、神聖教で取り締まったら、逆に問題が多発し、管理統制して行われるようになったのだった。


 そこをパウロさんに紹介してあげるよって事だが、女性がいる前で言う事でもないし。公の場で言う事ではない。



「ミューツルさん、そういう話は、こっそりと小声で、外に出て言ってもらって良いですか?」


 エリスちゃんが、金属製のトレーを背後に持って、立ち上がりミューツルさんに近づく。


「え〜、良いじゃんよ~。エリスちゃんも行く?」


 エリスちゃんは、金属製のトレーを振り上げ、縦にして振り下ろす。


 ガンッ!


「いてっ〜!」


「エリスちゃん、トレー痛むからやめてよ」


 マスターが、エリスちゃんに言う。


「マスタ〜、俺の頭の心配は?」


自業自得じごうじとくです」


「え〜」


「ハハハハハ」


 笑い声が、カッツェシュテルンに響く。相変わらず平和だ。



 その後も、飲みつつ、くだらない話をした。


 そして、良い感じで酔ったところで、店を出る。石段下の守衛室から護衛騎士さん達が、出て来て再び、前後で挟まれる。



「マスター、ご馳走さま!」


「殿下、エリスちゃん、パウロさん、にジョルジュさんでしたっけ? お気をつけて!」


 僕達は石段を上がると、僕とエリスちゃん、そしてジョルジュさんは、クッテンベルク宮殿に、パウロさんは、聖スヴァンテヴィト大聖堂へと戻る。



 こんな一日だった。優雅な一日だろうか? 政務はしたけど、ゆっくりディナー食べて、昼寝して、健康維持の為に身体動かして、サパーとしてカッツェシュテルンに飲みに行って寝る。まあ、優雅かな? 少なくとも幸せな一日だった。春のそんな一日。





「なっ! 暗殺された……。本当に?」


「はい」


「犯人は?」 


「フランベルク辺境伯家の家臣と思われます」


「そう……、ありがとう」


 大変な事が起きた、僕は、慌てて準備を開始する。


 1296年の夏の事だった。

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