第46話 クッテンベルクの戦い③

 ヒンギルハイネは、ヒューネンベルクが広げた紙を覗き込んだ。それは、地図だった。


「運の良い事に、出入りの商人が持ち込んできたのです。まあ、それなりの金額はかかりましたが、こんなに早く役立つとは思いませんでした」


「そうか」


 ヒンギルは、なんとなく都合良いような気もしたが、頭の良いヒューネンベルクが、大丈夫だと言っているのだ。自分が、余計な事を言うのは止めようと思った。そして、


「それで、この地図のここをご覧ください」


 ヒューネンベルクが、指し示す所をよく見る。


「川だな」


「はい、川です。ですが、この川を辿たどって見て下さい」


 ヒンギルは、ヒューネンベルクの指を追って視線を動かす。すると、


「ん? クッテンベルクまで通じているのか」


「はい。ヴィナール国境の湖にたんを発するこの川は、ヴァルダに向かい流れています。ですが、途中でその支流を逆上さかのぼれば、その流れは、クッテンベルクまで通じています」


「おお」


「まあ、ですが、クッテンベルクの近くは川幅も狭く、軍船の通行は不可能でしょう」


「そうか」


「ですが、少し手前ですが、この湖までならば、軍船も通行可能なようです」


「ほお〜」


 そこは、クッテンベルクからは、10kmほど離れていた。しかし、確かに離れているが、そこまで遠いわけではない、微妙な距離だった。



「わたしは、先に国境に行き、軍船を用意致します。我々の準備が出来ましたら、クッテンベルク宮中伯に宣戦布告して頂き、我々は川を、ヒンギルハイネ様は、街道を進んで頂き、クッテンベルクを攻略しようと思います」


「そうか。だが、それで、やすやすとクッテンベルクを、攻略出来るのか?」


 ヒンギルには、川を使えば移動が楽なのかな? という漠然ばくぜんとした利点は分かった。だが、川と街道を分かれて進む。意味が分からなかった。



「攻略に関しては、クッテンベルクの街の城壁は大した事がなく、兵力差があるので、攻略は容易だと思います」


「そうなのか」


 ヒンギルは、少し安心した。戦いは、あっさり決着しそうだった。


「ですが、大変なのは、そこからです。クッテンベルクに留まりつつ、クッテンベルクの防御を強化し、さらに安定して補給を確保しつつ、安定して採掘さいくつして、銀をヴィナール公国に送らなければなりません。それが、川を使えば容易になります。これを天啓てんけいと言わずして、なんと言いましょう」


「そうか」


 ヒューネンベルク侯爵が、自信満々に言う言葉に、成功への確信を持った。しかし、相手は、あのグーテルだ。どこかに言いしれぬ不安があったが、それを打ち消す。


 グーテルは、決して優れているわけではないんだ。あいつは、怠け者で、楽をしたいだけなんだ。そういう奴なんだと、心に強く言い聞かせる。



「ヒールドルクス公国から、鉱山技師は連れて来た。もしも、グーテルが、鉱山技師や、鉱員を連れ去っても、坑道を掘削出来るようにしておこう」


「そうですか。さすが、ヒンギルハイネ様です。では、わたしは、準備に取り掛かります。では、クッテンベルクでお会いしましょう」


「頼んだぞ。ヒューネンベルク」


「はっ!」





「オーソンさん、ご苦労様でした」


「いえ。ですが、あんなあからさまに地図を渡して、大丈夫でしょうか?」


「ん? ああ、大丈夫だよ。頭の良い人ほど、自分に都合良く事が進んで行くと、そういう事象じしょうには、疑いもたないから」


「そういうものなんですね。さすが、グーテル様です」


「まあ、いろいろ作戦考えるよりは、人の心理の方がつかみやすいからね」


「そうですか。わたしには、いっこうにわかりませんが。ですが、相手の反応みる限り、その通りなのでしょう。では、次は、何をすればよろしいでしょうか?」


「それは、ヴィナール軍の正確な動きを教えて」


「それだけで、よろしいのですか?」


「うん。それだけで、よろしいのですよ」


「かしこまりました」



 グーテルは、着々と準備を、進めていった。



 だが、それは、クッテンベルクの防御を固めるわけではなく。クッテンベルクに貯蔵されていた銀を、王都ヴァルダに移動させ。クッテンベルクにいる鉱山技師、鉱員を同じく、王都ヴァルダに避難させる。さらに、クッテンベルクの希望する住民も共に、王都ヴァルダへと、避難させたのだった。



 さらに、グーテルは、準備を進めていく。リチャードさんから、すぐに援軍を送るとの返事がきたのだが、それを断り、日時を指定する。リチャードさんには、面白いやつだな。と手紙で笑われた。


 トンダルからは、叔父様の説得の失敗に対する謝罪と、自分はグーテルに味方するという宣言文をもらう。ありがたいね〜。



 そして、グーテルは、王都ヴァルダを離れる直前、ボルーツ伯ヤルスロフさん、ロウジック伯デーツマンさんを始めとする、大臣と執政官しっせいかん達を集める。


 集まった皆のその顔は、不満そうであった。


 グーテルが、発言するより前に、デーツマンさんが、口を開く。


「我々も、共に戦いたく思います。そうすれば、楽に勝てると思うのですが」


 デーツマンさんの言葉に、ヤルスロフさんはじめ、皆がうなずく。確かに、ボルタリア王国は、ボルタリアの王冠と呼ばれる、マリビア辺境伯やチルドア侯国まで入れれば、30000の軍勢があり、ヴィナール公国の軍勢を上回る。


 だが、マリビア辺境伯や、チルドア侯が味方する保証はない。となると、ボルタリア王国単独では、21000。かなり微妙だった。



 だから、グーテルは、


「それだと、ボルタリアとの全面戦争になっちゃうからいいよ」


「ですが……」


 デーツマンさんが、食い下がる。が、


「ボルタリア王国の方が、兵力は多いけど。叔父様が出てくると面倒だよ」


「うっ。そ、それは……」


 デーツマンさんはじめ、皆が顔を見合わせたじろぐ。そして、


「かしこまりました。ですが、この国にあなたは必要な方なのです。もしもの場合は、我々も……」


「大丈夫、大丈夫。そうだね、一月ひとつきくらい留守にするけど、その間のこと、よろしくおねがいしますね」


「かしこまりました。ご武運を、お祈り申しあげます」



 さらに、涙の別れ。


「エリスちゃん、行って来るよ」


「いってらっしゃ~い、気をつけてね」


「えっ、それだけ?」


「キスでもしたほうが良かったですか? でも、人前だと恥ずかしいし」


「そ、そうだね。え〜と、行ってきます」


「いってらっしゃ~い。あっ、お土産は、銀細工ぎんざいくの何かで良いですよ~。頑張ってくださいね〜。グーテル様」


「うん」



 こうして、ヤルスロフさんや、デーツマンさん達に後事をたくして、僕は、フルーラや、アンディと共に、ヴァルダを出発したのだった。


 だけど、エリスちゃん、随分ずいぶんあっさりしていたな。ちょっとさびしい。ぐすっ。





 ヴィナール国境近郊で、演習を繰り返していたヒンギルハイネの下に、湖で軍船の準備をしていた、ヒューネンベルクから書状が届く。


「こちらは、準備が整いました。いつでも進軍出来ます。ヒンギルハイネ様の準備が出来次第、クッテンベルク宮中伯に宣戦布告して頂き、進軍を開始してください」



 よしっ。ついに準備は整った。こちらの準備はすでに出来ている。ヒンギルは、グーテルへと、書簡を送る。


「グーテル、久しぶりだな。今回の事は残念に思う。正直、グーテルとは戦いたくない。しかし、これも神のおぼし召しだ。仕方のないことだと思う。なので、クッテンベルクにて、雌雄しゆうを決しよう。健闘を祈る」



 そして、1290年の初夏、ヴィナール公国はボルタリア王国へと、侵攻を開始した。兵を率いるのは、ヒールドルクス公ヒンギルハイネ、そして、副将としてヒューネンベルク侯爵。



 兵力は、騎士4000名、兵士8000名の総勢12000。これを二手に分けて進軍する。


 街道を進むのは、ヒンギルが率いるヴィナール公国直轄軍こうこくちょっかつぐん9000名。


 川を軍船で進むのは、ヒューネンベルクが率いるヴィナール公国諸侯第一軍団3000名であった。



 ヒンギルも、ヒューネンベルクもお互いに伝令を送り合い、その位置を確認しながら進んだ。集結地点は、クッテンベルクから南に10kmほどの所にある湖、チェビホフ湖であった。


 チェビホフ湖までは街道を進むと、ヴィナール国境からは200kmほどの距離にある。ゆっくり進んでも、1週間ほどで到着するが、軍船の進み具合もある確認しつつ、ゆっくり進軍した。


 軍船は、国境の湖から下る時は、かなりのスピードで進んでいたが、支流に入り、川をさかのぼると、急激に遅くなった。それに合わせるように、ヒンギルも、軍の進行速度を下げる。



「しかし、不気味だな」


 ヒンギルは、ポツリとつぶやく。



 確かに今回のヴィナール公国軍の目的は、クッテンベルクの街と、その街中にある銀鉱山だ。銀鉱山は正しくないかな? 銀を掘っている地下坑道ちかこうどうだ。


 だから、ボルタリア王国の他の街には、目もくれず、というか迂回うかいしつつ進んでいる。


 しかし、グーテルの待ち伏せがあるかもと警戒しつつ、街や、要塞ようさい城塞じょうさいを通り過ぎるのだが、それぞれは、静まり返って、なんの反応もなかった。確かに、見られている気配はあるが、騒ぐ素振そぶりすらない。


 ヒンギルにとって、これは不気味で気持ちの悪い事だった。


「本当に何だというのだ、不気味だぞ」


 ヒンギルは、もう一度ポツリとつぶやく。




 そして、何事もなく10日ほどで、チェビホフ湖へと到着する。そして、ヒューネンベルク達が乗る軍船もゆっくりと、近づいて来て、湖岸こがんへと、着岸する。



「ヒンギルハイネ様、お待たせ致しました」


「待ってなどいないぞ。我らもちょうど到着したところだ」


「そうですか」



 ヴィナール公国軍は、合流すると今度は全軍で街道を、クッテンベルクに向けて進む。


 ここまで10日ほどを費やした。1ヶ月分の糧食りょうしょくを持っていたが、10日分の糧食を費やし、残りは20日分であったが、なんの心配もなかった。



 先ほどの湖まで、5日毎に船で5日分の糧食を運びそこから補給出来る手はずになっていた。相手は、グーテルだ。だが、多少手こずっても補給がとどこおる心配はない。そういう点では、安心して戦える状態だった。



 ヴィナール公国軍は、周囲を警戒しつつ、ゆっくりクッテンベルクへと、街道を進み、クッテンベルクがすぐ目の前に見える場所まで到着した。


 しかし、


「どういう事だ、これは?」


「さあ?」


 ヒンギルと、ヒューネンベルクは、目の前の光景の意味が分からなかった。


「何なのだ、これは?」

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