七話 たったひとりの父親
僕と横井さんは事務に来て訊いた。
「こんばんは。あの、僕の父さんが救急車で運ばれて来たっていうのを聞いたので来たんですけど……」
事務員は、
「お父さんのお名前いいですか?」
「
事務員はパソコンで調べている様子。
「佐田さん。さっき来てますね。面会ということですか?」
「そうです。部屋はどこですか?」
「えーと、二〇三号室です。ただ、今、緊急手術を行っていますのですぐには会えないと思います」
「わかりました」
僕は後ろに振り向き、
「手術……。父さん、大丈夫かな……」
横井さんに懇願するように言った。
「大丈夫って、信じないと!」
「ですよねぇ……」
「とりあえず、お父さんの部屋にいこうか」
僕は頷いただけだった。
僕らは二階の二〇三号室に行き、父さんのベッドを探した。
「ベッド、四つありますね」
「そうね、あっ、あった。左側の奥のベッド」
横井さんはそちらのほうを指さした。
「本当だ」
「ベッド、皺がないね。横になってないのかな」
「あっ、そうかもしれませんね」
僕はさらに訊いた。
「救急車のなかで父さんはどんな感じでしたか?」
「うーん、見た目だけだと意識がないのか、一言も声を発しないしずっと横になったまま」
そこに、速足で看護師がやって来た。
「あのう、佐田洋輔さんのご家族ですか?」
「あっ、はい。僕は子どもです」
僕が横井さんのほうを見ると、
「わたしは佐田洋輔さんと同じ会社の者で、横井といいます」
「そうですか、いま、佐田さんは緊急手術をおこなっています。のちほど医師のほうからお話があると思いますので、そのあいだに入院の手続きをお願いできますか?」
横井さんは看護師に、
「わたしは他人なんですけど、手続きはそれでもいいですか?」
言うと、看護師は、
「保証人が二人必要ですのでいま、書けるところは書いていただければあとあと楽かと思います」
「わかりました」
横井さんは率先して書類に目を通している。僕は思っていることを口にした。
「横井さんて、父さんのことが好きなんですか?」
「ん。いまだから言うけど、好きよ」
「やっぱり」
「え? わたしまずいこと言った?」
「いや、そんなことはないけど、将来どうなるのかなと思って」
「うーん、どうなるだろうねえ。昭雄君だったっけ? もし、わたしが義理の母親になったらどう思う?」
「難しい質問だね。でも、横井さんはいい人そうだけど、母さん、と呼ぶには年が近いね」
「昭雄君はいま十六だっけ?」
「そうだよ。横井さんは?」
「わたしは二十六よ」
自然と僕らは敬語を使わなくなっていた。
それにしても父さんのことが心配だ。病名はなんだろう? 看護師はあとで医師から説明があると言っていた。それは何時になるのだろう? この二つが気になる。
「そこに椅子があるわ。座ろう?」
「うん、そうだね」
僕は二脚取り、一脚を横井さんにわたした。
「ありがとう」
礼を言われるほどではないと思うが。でも、
「いえいえ」
と言っておいた。
「心配だね」
「横井さん、顔色悪いよ」
「うん、ちょっと気分が悪くて。心配し過ぎかな」
「父さんなら大丈夫だよ。殺しても死ぬようなひとじゃない」
そう言うと、彼女は苦笑いを浮かべていた。
「ああ見えても、弱いところはあるのよ」
「そうかなぁ」
「うん、昭雄君には弱いところを見せてないだけだと思うよ」
「……」
返す言葉が見つからなかった。
「はぁー……」
「横井さん、大丈夫? 深いため息をついて」
「昭雄君、心配じゃないの? お父さんが倒れたんだよ?」
「気にはなるけど、大丈夫だと思っているから」
「お父さんのことかいかぶり過ぎよ」
「かいかぶりすぎ? どういうこと?」
「高く評価し過ぎってことよ、まあ、強いひとだとはわたしも思うけどね」
「やっぱ、そう思うよね」
話が一旦終え、沈黙が訪れた。病室には、老人が父さんと反対側に寝ている。多分、寝たきりなのかもしれない。
そして、約一時間後ーー。
白衣を身にまとった中年の医師がやってきた。
「佐田さんのご家族の方ですか?」
「僕は息子です」
横井さんに目配せをすると、
「わたしは佐田洋輔さんと同じ会社の者です」
「そうですか」
医師は僕のほうを見て、
「手術は無事成功しました」
「あ、ありがとうございます!」
横井さんもお辞儀をしていた。そして、話し出した。
「それで、佐田さんはなんていう病名ですか?」
「脳出血ですね。倒れてからの処置が早かったから、多少、麻痺は残るかもしれませんが普通の生活はおくれると思います」
「そうなんですね、ありがとうございます」
横井さんは再び深く頭を下げた。
「まあ、しばらく回復するまで入院していってください。無理は禁物ですよ」
そう言って部屋を出て行った。
さらに約三十分後。父さんがストレッチャーで部屋まで運ばれてきた。僕は思わず、
「父さん!」
と声をかけた。看護師が制するかのように、
「今、眠ってますよ」
言った。
「大丈夫なんですよね!?」
本人の姿を見た途端思わず感情を剥き出しにしてしまった。
「安心してください。大丈夫です。手術は成功しましたから」
「昭雄君、落ち着いて!」
「う、うん……」
横井さんの喝が入り、僕は我に帰った。看護師は苦笑いを浮かべていた。男性の看護師は二名来ていて、そのうちの一人が、
「佐田さんをベッドに移しますね」
言いながらゆっくり丁寧に父さんをベッドに移した。
「父さんの頭が包帯でぐるぐる巻きになってる。かわいそう」
「仕方ないよ」
横井さんはあっさりと言った。まあ、そう言われてしまえばその通りだが。
父さんは何となく苦しそうな表情で眠っているように見える。そのことを横井さんに伝えた。すると、
「そう? わたしにはいつもの厳しい表情じゃない、おだやかな顔に見えるけど」
「そうなんだ」
僕は何でもいいから早く父さんに元気になって欲しいと思っている。たったひとりの父親だから。
それからというものの僕は毎日、父さんの見舞いに行った。ご飯は昼はパンを買い、夜は横井さんが来てくれて作ってくれた。食材の費用は彼女が出してくれた。なんていいひとなんだろうと思った。
「横井さん、ありがとう。毎晩、作ってくれて」
「いいのよ。洋輔さんも日に日に良くなっているし」
「そうだね! それが一番嬉しい!」
「わたしもよ」
最近では、昼間、自転車で僕は見舞いに行き、仕事帰りに横井さんが見舞いに行ってくれている。もし、父さんと横井さんが結婚して横井さんが義母になってもいいかもしれないと思った。
父が入院してから、僕の仕事の話も遠のいていた。ハローワークにも行っていない。そのことを夕食後に横井さんに言うと、
「洋輔さんが退院してから考えてもいいと思うよ」
「そうだね」
「明日は土曜日だから一緒にお見舞いに行く?」
「うん、いいよ」
「じゃあ、わたしそろそろ帰るね」
「うん、もう八時だね」
「それとも、おばさんが相手でも良ければカラオケに行く?」
「おばさんとは思ってないよ。珍しいね」
「ありがと。そうだね、ふたりで行ったことなかったよね」
「うん。でも、僕お金ないよ」
「わたしがいるじゃない」
「えっ、でも毎日ご飯も食べさせてくれてるのに。悪いよ」
「気にしないで。頻繁には行かないから」
「わかった。ありがとう」
「食器洗ったら行こうか」
「うん!」
僕はリビングにあるテレビを見始めた。横井さんは、
「テレビ、何やってる?」
言った。
「NHKがニュースで、あとはバラエティとかだよ。つまんない」
「そうね、最近の番組は大したことないよね」
それに対して返事はしないで、テレビの電源を切った。暇なので、スマホを見ている。少しして横井さんはタオルで手を拭きながらリビングにやって来た。
「スマホ観てたんだ」
「うん、ゲームしてた」
「面白い?」
「テレビ観るよりは断然面白い!」
「そうなんだ、いいね。好きなことがあるのは」
「横井さんは趣味ないの?」
「わたしはねえ、これと言ってないのよ。まあ、好きなことと言えば友達とおしゃべりすることかな」
「女子会?」
「まあ、そんなとこ」
彼女は笑みを浮かべながら言っている。よっぽど楽しいのかもしれない。女性は話すのが好き、と聞いたことがある。僕は未熟者だから、知らないことがまだまだ多い。
「僕ね、まだ童貞なんだ。二十歳までには童貞を卒業したいと思ってる」
「そうなんだ、がんばってね!」
横井さんは苦笑している。練習のために目の前にいる女性が相手をしてくれないかと思ったが、それは無理だと思って言わなかった。大人の色気を感じる。確か二十六歳。僕より十、上。それに横井さんは父さんのことが好きだから、息子を相手にするわけがない。そんなやましい気持ちが僕にもあるんだと思った。
「ん? どうしたの?」
「えっ、なにが?」
「いや、こっちを見つめているから」
「あっ、いや、なんでもない」
「そう」
横井さんを見てムラムラしていたとは口が裂けてもいえない。そんなことを言ったら警戒されるか、軽蔑されるに違いない。僕は多感な時期だから、女性に興味津々。
「思ったのは、横井さんは父さんにはもったいない女性だなって思った」
「え? そう? お父さん、男気もあるし見た目も結構かっこいいじゃん」
「横井さんは、父さんみたいなひとが好きなんだ」
「というか、年上が好き。わたしファザコンだから」
彼女は笑った。
「そうなんだ、だから父さんのように結構年の離れた男性を好きになるんだね」
「そういうこと」
横井さんはなんだか照れているようにみえる。父さんは横井さんと付き合って結婚すればいいのに、そう思った。
つづく……
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