第23話 厚い雪雲と鉛色の海

 気温の上昇と反比例して根雪はどこかへ消え失せていく。

 長富淳子からの手紙は不意に訪れた。

 「久しぶりね、アキ。」少し大きめで几帳面な文字が、丁寧に、謙虚に、自信に満ちて整列していた。「東京はようやく温かくなってきて、コートも春ものだし、マフラーも軽めのストールに変わってきたわ。札幌はまだ寒いのでしょうね、天気予報で雪マークを見るの、さすが札幌ね。

 そしてこれは、お礼の手紙です。札幌では大変お世話になりました。

 遅くなってごめんね。言い訳だけど、これでも私、結構忙しい身なのよ。やっとちょっとまとまった時間が取れたので、一念発起してペンを執った次第。一念発起するほどのことじゃないだろう、なんて思わないでね、本当に本当に、アキには想像できないくらい忙しかったんだから。

 話を元に戻すけど、やっぱり北海道は違うわね、街自体が真っ白で、寒くて冷たくて、氷の中にいるみたいで。でも綺麗だし、少しだけど、実際の街を歩いてみて、そこに人が生きてることが実感できたの。いいところね、アキはもう四回もそんな冬を過ごしてきたのね。今更ながらにうらやましい気がしてるの。それとね、食べ物は美味しかったわね。特にポテトサラダは絶品だったわ。私も東京に帰ってからまねして作ってみたの。ジャガイモは茹でるのではなく蒸かす、そして胡椒多目。マヨネーズは自家製とまではいかなかったけど、デパートで高そうなやつを買ってみたの。でもダメね、うまく味がマッチしないのね。たぶんマスターがお上手なんだと思うけど、マスターの作るマヨネーズはあのポテトサラダにマッチするようなマヨネーズなのね、きっと。それとね、やっぱりジャガイモ自体が違うのよ。アキも「甘いジャガイモだ」って言ってたじゃない、東京で買うジャガイモにあの甘みはないの。東京にも男爵やメークインはあるのよ、だから男爵で試してみたの(私だってメークインだとあのジャガイモ感が出ないってことぐらいは分かっているのよ)。蒸かしてから荒くマッシュすると、口当たりはなんとなく似てる気がするんだけど、あの甘みがどうしても再現されないのね。あの甘みのあるジャガイモとマスターのマヨネーズが丁度良くコラボしていて、それ自体の味がしっかりしているから多目の胡椒が利くのよ。結論として、あの味は札幌に行かないと味わえないってことが分かったわ。もし札幌に行くことがあったら連絡するわ、また連れて行ってね。マスターにはああ言ってさよならしたけど、やっぱり女の子ひとりでは食べに行けないわ。だからマスターにもよろしくお伝えしてね、遅くなったけどお礼の手紙が来たって。そういうわけで、きちんとお礼をしたくて手紙を書き始めたの。

 でも、お礼は半分。もう半分はゴメンナサイの手紙かな。札幌で会って、アキになんだかすごい偉そうなこと言っちゃったなって、あれからちょっと気になってたの。アキの言うことは理解できるし、あんなふうに言うつもりもなかったのよ。アキはきちんとした考え方していて、私がその考え方に何も言えることはないわ。それに、なんだか問い詰めたみたいになっちゃって…。

 でもね、あなたが先に私に触れたのよ。

 私ね、子供がいるの。二十歳の時、短大の二年生の時に産んだの。三才。早いものよね。それで成人式は行かなかったの。妊婦だったのよ。大胆告白でしょう。長富淳子、二十三才、三才の娘持ち、シングルマザー。でもこれ、すごい機密事項よ、トップシークレットよ、他言無用の極秘情報でお願いするわ。おそらくあの町で、私に娘がいるのを知っているのって、私の両親ぐらいだから。

 私ね、就職浪人したんじゃないの。本当はね、四月の新規採用が決まっていたの。」


 淳子の体に異変があらわれたのは七月の初旬だった。

 梅雨明け間近の曇天で、空気が高温湿潤にべたつく日だった。淳子は通学の電車で激しい目眩に襲われた。視界の周辺部分から暗黒の霧が音もなく密集してくるような、そして頭頂部から体温が、加速度的に低下するような、そんな本格的な目眩だった。冷房の効きすぎている車内で、外気との急激な温度差に中ったのかもしれない。淳子はそう思いながらも、眩む視界に必死に対抗しつつ一応車内を見まわしてみた。できることならシートにゆっくりと腰を落ちつけたいと思った。しかし座れるシートは見当たらない。いつもの通りだ、この時間帯に席が開くことはほぼあり得ない。仕方がない、淳子は小さく決心をした。

 淳子は心もち吊革に体重をかけ、瞼を軽く閉じたままじっとこらえた。にじみ出る脂汗をハンカチでそっと押え、ゆっくりと大きく空気を吸った。肺を冷ややかな空気で満たし、それをまたゆっくりと吐き出した。何度か同様の呼吸を繰り返し、最後の息を静かに吐ききると瞼を開いた。眩みかけた視界は徐々にではあるが明るくなってくるように感じられた。

 しかし、視界と意識が自分の下に戻ってくるにつれ、激しくはないが断続的な吐き気に見舞われた。それは出てくる気もないくせに食道に居座り続けるような吐き気だった。淳子はまず、一駅を我慢してみた。何かを飲み下さなければ治まらないような激しさはなかったから、我慢することは容易かった。しかしその間、定期的ににじむ脂汗を何度もハンカチで押え、大きくゆっくりとした呼吸を意識的に繰り返すことを余儀なくされた。先の目眩に比べれば体への負担は軽い、淳子にはそう思えた。だからもう一駅我慢した。それでも吐き気は、静かな波が微妙に潮位を変化させるようなうねりを伴い、いつ果てるともなく食道に居座った。淳子はまたひとしきり汗を押えた。ハンカチがじっとりと感じられた。次の駅までだ、次の駅まで同じ症状が続いたら電車を降りよう、淳子がそう思ったところで、不思議なことに吐き気は静かに身をひそめた。

 吐き気の脅威が食道から去ったと時を同じくして、淳子の目の前のシートの乗客も去って行った。淳子は普段ほとんどシートに座ることはないのだが、今日ばかりは許しを請うた。シートに深く腰を落とし背をもたれると、徐々にではあるが、全身を粟立つような悪寒が覆った。脂汗のせいで冷えてしまったのだろう。腰を落ち着けて緊張の糸が切れてしまったせいもあるのだろう。彼女は七分のラグビーシャツとデニムのハーフパンツのいでたちだった。冷房の効きすぎている電車の車内では、確かに薄着に過ぎたのかもしれない。そして、持ち合わせているのは薄手のストール一枚だけだった。それでも彼女は、その薄手のストールを上手に形成し、肩から腹部をファッショナブルに温めた。状態は快方に向かっている、それは確信できる、淳子はそれからの一時間弱の通学を、注意深く意識を体中に巡らせながら過ごした。気を抜くと、また、どこかで何かが自分の体に悪さをするのではないか、そんな風な感覚をぬぐい去れなかったから。

 その翌日は体調も良好で、いつも通りに通学し、テニスサークルの仲間とお茶をして帰路についた。

 しかしその翌日、朝食のトーストとコーヒーの香りがいやに鼻につくと思うが早いか、激烈な嘔吐感が押し寄せた。淳子はトイレに駆け込んだ。しかしなにも吐けない。そのままトイレにうずくまり、淳子は思案を巡らせた。

 トーストとコーヒーの匂いを不快に感じたことなど、今までにはなかった。そしてそれに誘発されるような吐き気。何かがおかしい。そして私はそれを知っている。淳子は心の奥底にしまいこんでおいた疑念を掘り起こした。何度か掘り起こそうとして断念し、埋め戻した疑念だ。断念するたびに肥大し、埋め戻すたびに密度を増した疑念だ。それは私の柔らかい肉の中に埋まって肥大と圧縮を繰り返しながら、ある可能性としてかすかな熱を発し続けている。淳子はそれを掘り起こす。

 子供ができたのかもしれない。

 もともと生理は遅れがちだったし、ここのところ就職活動の緊張や忙しさに追われ続けていた。ずいぶん長いこと訪れていないような気がするが、そういった環境の影響は少なからずあるはずだ。自分を納得させるための理由など、いくらでもでっちあげることができた。 でも真実は否応なく迫りくる。

 子供ができたのかもしれない。

 もう一度きちんとした言葉で認識してみる。脳の中で言葉が文字に変換され、事態の大きさと切迫感が実質的な重さをもつようになる。

 淳子は就職活動にかこつけて後回しにしてきた自分を顧みた。それはきつく、つらい就職活動だった。物心つくころから、漠然とではあるがスチュワーデスを夢見ていた。短大に入学してなお、その思いは淳子をより強く虜にした。東京ではそれなりに名の通る短大に入学をしたが、四大卒の女性の方が就職に有利なのだと、まことしやかな情報が耳に入ってきた。「自分はそれに負けるわけにはいかない。語学堪能で礼節をわきまえ、万人に受入れられる笑顔と謙虚さを身につけなくてはならない。」淳子はいつも自分にそう言い聞かせてきた。英会話教室に通い、マナー教室に通い、和装教室にまで通った。夢を追いかける合間を縫って、テニスサークルに所属し、一般的なスクールライフも堪能した。せっかく短大生になったのだからという思いと、そうしたことも就職に有用なはずだという考えが、淳子に共存していた。短大に入学してからこっち、時間をゆったりと感じたことなどなかった。しかしそれでも自分を肯定する気持ちに、みじんの揺らぎもなかった。様々な歯車が、気持ち良いまでに見事に連動していた。そうやって一年三ヶ月を送ってきた。その集大成が今結実しようとしている。

 子供ができたのかもしれない。

 胸の奥底を自らの手で握りつぶしているような息苦しさを感じた。吐き出すべき古い空気が肺胞に沈殿し、自分の意思とは別の自分により、永久に躊躇されてしまっているような、そんな息苦しさだ。「でも」と淳子は思う。淳子自らの意思として思う。そして胸の奥底で固く固く握られていた指を、丹念に、根気強くほぐしにかかる。「でも私は、前に進むことができる。今までも進んできたし、これからもそうだ。私にできることはまだまだたくさんある。私は私をよく知っている。私は…。」しかし淳子は、握られた手のひらがいかほどに強固なものであるのかを、再認識するのであった。淳子の閉じた瞼の端から、涙が一筋伝った。淳子は何を考えることもできないでいた。


 「もちろん彼に、一番最初に相談したわ。私はこれを良いこととも悪いこととも分からなかった。今思えば、考えたって仕方のないことなのにね。でもとにかく、その時の私には彼に話したいという思いだけしかなかったの。だからすぐ、彼の部屋に急いだわ。彼は就職して都内で一人暮らしをしていたんだけど、私は合鍵をもっていたから、彼の部屋で彼が帰ってくるのをじっと待ってたの。妊娠検査薬を握りしめながらじっと。何を考えていたのかしらね。思い出せないわ。

 でね、結果だけ教えるけど(結果は分かってるわよね)、やっぱり妊娠していたの。検査薬の窓の赤い線を彼に見せたわ(なんだか恥ずかしいわね…)。私は何も言えなかった。子供が親におねしょを知らせるみたいに、ただ黙って検査薬だけ彼に見せたの。

 そしたらなんと彼、その場でプロポーズしたのよ。満面の笑顔でいきなりプロポーズよ。私、ワケ分からなかったわよ。いろんな心配とか不安とか、年齢も立場もあるし、笑顔になれるシチュエーションではないって思うわよね、普通。でも彼ね、ただ単純に嬉しそうに、笑って結婚しようって言ったの。ワケ分かんないし、イミ分かんないし、唖然とするってこういうことよ。満面の笑みの青年男子と、口をポカンと開けたアホ面の短大生が、顔を付き合わせて動けないでいるの。想像するだけで笑える光景だと思わない?(笑えないか…。)

 でもねアキ、そういうのって伝わるの。私も嬉しいの。彼が嬉しいと私も嬉しいの。彼がいて彼の子供がいるのが何より嬉しいことなの。そう思うのよ。「結婚しよう。」素敵な言葉よね。人と人が一緒にいられるのって嬉しいのよね。」


 翌日、淳子と彼は病院へ行き、出産予定日を二月と知った。それと時を同じくし、スチュワーデスの内定通知が淳子の手に届いた。

 淳子は内定を辞退しようと考えた。子供を授かり結婚する。彼と自分と子供の三人の家庭を築く。それがなすべき行動だと思えた。そしてそう彼に伝えた。しかし彼の考えは違った。彼は淳子に就職するべきだと切り出した。内定を辞退したらいつか必ず後悔する、自分自身が今ここでなくなってしまう、そう諭した。出産が予定通り二月であれば、就職のための決定的な障害にはならない、自分も協力できるし、お互いの両親にも協力を仰ぐべきで、辛いかもしれないが、乗り切れるはずだと強く断言した。

 それは若者の過剰な不遜だったのかもしれないし、男性特有の、責任と責務がないまぜになった虚勢だったのかもしれない。淳子にはしかし、それが啓示にすら思えた。「私は前に進むことができる。彼は私をよくわかっているし、私は彼を全幅に信頼できる。そう、私は進むべき前をよくわかっている。」このときの淳子は、自分の未来を、自分たちの未来を、現実的に鮮明に思い描くことができていたのだ。

 淳子と彼は最初に、お互いの両親に今の状況を報告し、自分たちの考えを展開した。彼は効率的に雄弁だったし、淳子は現実的な補助者として有能だった。その甲斐があったのか、どちらの両親にしても結婚に対する決定的な反対はなかった。しかし淳子の就職については、淳子の母親が猛烈に反対した。産後一カ月での職場復帰(新規就労)は、いくら自分が協力しても、いかに彼が協力してくれたとしても無理がある。母親業をなめすぎている。淳子の母親はそう主張して譲らなかった。一般的で至極当然の主張だった。淳子にもその言い分は分かった。

 しかし淳子は崩れなかった。母親が「産後一カ月での職場復帰」を懸念するのであれば、その一ヶ月を先延ばしする方向で思案した。淳子は就職先に事情を説明し、九月採用を承諾させたのだ。それは、実に首尾一貫した立ち居振る舞いであった。淳子は手始めに、会社に福利厚生について確認し、産後間もないことで何らかの優遇措置を受けられないだろうかと持ちかけた。電話での応対は熱意にあふれ、話しぶりは理路整然としていた。何度か会社に赴き、かなり子細な現況や、産後の一般的な職場復帰期間などについても話し合いの場をもったほどだ。そして下された会社の判断は、九月の中途採用の時期に合わせて、非正規社員としてであれば採用するとのことであった。もちろん淳子はその条件をのんだ。そして母親に対してもその条件をのませた。あるいは、そのような娘の一部始終を知っていた母は、娘の熱意を受入れることしかできなかった。淳子のしなやかなる意志の強さが母親を翻意させ、岩をも貫いたのだ。

 淳子と彼は、様々な外的要因をひとまずかたずけ、二人でほっと肩をなでおろした。つわりが収束し、夏が終わって気候の良い時期になったら結納を済ませる。正月をお互いの実家で過ごした早々に彼の実家を訪ね、結婚届けを役所に提出する。結婚式や披露宴は、出産後落ち着いてから考える。そして淳子は、卒業論文を期日までに提出する。残された事柄はそれだけのはずだった。スケジュールに沿って時を経、二月の出産を待つだけだった。束の間といえど、淳子と彼に穏やかな時間が流れた。週に何日かは彼のマンションで二人で食事をとり、子供の名前を考えたり、新居を考えたりした。彼は戸建を主張し、淳子はマンションを主張した。彼は男らしい威厳を根拠とし、淳子は女性らしい家政を重んじた。しかしそれもこれも、ただの会話だった。人がともに時を経るうえでの、共有を紡ぐ手段だった。幸せとはそういうものだと、淳子は実感していた。それが真実なのだと、淳子は確信していた。そうやって嘘のような本当の時間が過ぎ去っていった。

 そう、過ぎ去って行ったのだ。

 脳内出血で倒れたのは帰省中の十二月三十一日だった。彼の実家は長野の田舎にあり、凍てついた雪の降る、寒さの厳しい夜だった。彼は夜中に、年越し用の日本酒を納屋に取りに行こうとして、倒れた。家の中と寒空の、急激な温度差が原因だった。ドサン、という耳慣れない衝撃音に、家の者が玄関先まで様子を見に行って発見された。

 一命を取り留めたものの、彼は深い昏睡に陥ってしまった。昏々と、昏々と。永遠が実在するならきっとこういった様子を言うのだろう、昏々と昏々と、彼は眠り続けた。

 淳子がそれを知ったのは、一月三日のことだった。毎日あった彼からの連絡が途絶えて三日目だった。少なからざる苛立ちと対象のない嫉妬、そしてかすかな不安が淳子に募り、彼の実家に電話した。電話口には彼の祖母がでた。彼の祖母の、淀んだ口ぶりから発せられた言葉に、淳子は崩れた。

 二人の歩んだ時間が縦横無尽に彼女を捉え、様々なものをはぎ取りながら去って行った。そこには確かに彼が存在し、淳子も存在した。しかしたどり着いたのはまったくの自分自身だった。「私は進む、いったいどこに。私は知っている、いったい何を。私はいったい何だろう。彼はいったい…。」自分たちの未来とはいったい何であったのだろう。確立されたはずの明快な未来。約束されたはずの幸せなはずの、遠い遠い未来。

 淳子の頬には涙がとめどなかった。声も出なかった。ただ液体の筋が潰えることなくつたうのだった。

 淳子は何を考えることも、したくなくなっていた。


 「彼は去年の十一月に亡くなったわ。約三年ね、倒れてから。ずーっと病院のベットの上で動かなかったのよ。

 そしてお葬式。

 私は優生(ゆう、私の娘)を連れて参列したけど、一般参列だったの。結婚する前に彼が倒れちゃったから私は他人だし、優生は私の私生子。三年たっても悲しいものよ。寂しいって言ったほうが良いのかな。なんて言うか、押しつぶされるとか締め付けられるとか、そういった感覚だったわ。辛いわね、やっぱり。

 ねえ、アキに想像できるかしら?優生は動いている父親を見たことがないのよ。病院のベットで横たわっている父親しか見たことないの。言葉を交わしたこともないし、抱きしめてもらったこともないの。優生が触れても、彼は何の反応もしないのよ。だから私、この人がお父さんなんだって、何度も何度も言い含めたわ。「優生のお父さんは、今は眠ってるの、早く起きて、優生遊んでくれるといいわね。」って。そうするとね、優生が彼に話しかけるの、早く起きてねって、優生と遊んでねって。私が彼の手を握ると優生もお父さんの手を握るし、私が彼の髪を梳かすと優生もお父さんの髪をなでるの。でもね、悲しい顔はしないの。優生はたぶん、お父さんに会っても悲しくないの。横たわっているお父さんが優生にとっては当たり前なのよ。当たり前のことには悲しみは感じないのよ。だからお葬式に行ってもね、優生にとってはただのお出かけだったみたい。デパートに行くのと同じ。ちょっといい服着て、電車乗って、ママとお出かけ。人が多くて困った顔をしてたわ、静かにできなくて途中で会場を退出しなくちゃならなくてね…。いくら言葉で父親だと言ってもね。優生がどう受け止めていたのか、私には自信がないの。そんなこと考えてると、…なんて書いたらよいのかしらね、私、文章力ないの、ゴメンね、私のボキャブラリーでは伝えきれないわ。とにかくそんなお葬式だったのよ。

 それが十一月、そしてアキに会ったのが十二月。

 私ね、アキに会うのがとても嬉しかったのよ、なにかすごく特別な感じがして。地方泊まりの時って、普通みんな同僚とご飯食べに行くんだけど、私はちょっとお友達がいるからって、お断りしたの。先輩の話にはそういうことたまに聞くんだけど、実際自分がそういう立場になれちゃって、なんだか偉くなっちゃったように思ったの。東京から離れた札幌の街に会うべき知人がいるという設定に、ちょっと酔ってたのね。こっちの勝手な自尊心にアキを巻き込んじゃって、申し訳なかったわ。でもラッキーなことだと思って許してね。私はアキに会えてとてもラッキーだったと思ってるから(笑)。

 唐突だけど、もう三時なの。いくらなんでもそろそろ寝るわね(明日も早いの、育児は大変なのよ)。最後に老婆心ながら人生の先輩として忠告。女の子にとってはね、何も言わないことは嘘をついているのと同じなのよ。『私のことをちゃんと思っていてほしいの、そして、私には言葉で言ってほしいの』ワガママなのは分かっているけど、女の子ってそういうものなのよ。よく覚えておくといいわ。あなた良い人だから。

 私ね、アキには良い未来が待ってると思うのよ。

 いつか氷の街から出てくることはあるのかしら?また会えると良いわね。」

 長い文章の分厚い便せんの最後に、女の子の写真が同封してあった。優生ちゃんだ。元気そうに笑っていた。手法を熟知しない稚拙な、その分ダイレクトな笑顔が湧き出て、フレームからこぼれていた。母親譲りだった。僕は便箋と写真を封筒に戻すと、本棚に放り込んだ。もう一度熟読するには長文にすぎるし、なにより刺激が強すぎたからだ。

 彼女には子供がいた。そして、その子の父親は亡くなっていた。

 札幌で会ったときの如才ない彼女を思い出す。「苦労したの。でも、それが当たり前だと思ってたの。」彼女はそう言った。『当たり前だと思っていた』のだろうか、『当たり前だと思いこんだ』のだろうか、あるいは『思いたかった…』。面影ある中学生が、そのまますくすくと今の彼女に成長したわけではないようだ。不在の意志から何かを必死に読み取ろうとしている彼女の姿を思い描く。文字になっていない部分の彼女を、僕のわずかな想像力で補い、必死に生き抜いたであろう三年間の彼女の姿を、思い描く。それは正しい選択だったのだと思う。しかし、削り取られてしまった可能性の代わりに、悲しみが満ちていく様が、ありありと脳裏に像となる。

 厚い雪雲と鉛色の海、そして、終わることの無い雪片。あまりに静かで遠近の消えた世界で、雪片は荒れる海原に消えて逝く。やがて波は、振り子のような単調さで潮位を迫り上げ、長富淳子に満ちていく。膝から肩へ、頸から頬へ。音もなく迫り上がる潮に満たされながら、長富淳子の瞳は、大きく見開かれ、冷たく濡れ、その水晶体の奥底まで青白い静寂が浸透している。迫りくる潮位と、硬質に張り詰めた瞳、その調和こそが長富淳子なのだと思った。

 僕は胸の震えを感じた。凍え、圧迫され、呼吸を忘れるほどの震撼だ。彼女の率直で力強い文体が、僕に迫ったからかもしれない。それは一方的な手紙のようにも思え、僕の全部を見透かした手紙のようにも思える。それは彼女の悲しみであるとともに、僕に多分の示唆を投げかけているのだ。手紙に書かれた幾分大きめの几帳面な文字達が、異口同音に彼女の心中を代弁し、同時に僕の心底をゆする。そして、小さなボリュームの集合が、ざわめきからひとつの音声へと変態しているようだった。

 僕は受け止めるべきなのだろうか。僕は本当に受け止められるのだろうか。「扇動する奴はいいさ…」、しかし彼女は、僕を扇動しているのではない。僕は受け止めるべきなのだろう。分厚い便箋は、風采以上の自重を発し、そこに鎮座していた。

 彼女はいったい誰だったのだろう。


 僕は長富淳子に対して誠実だったのだろうか、奈々に対して誠実だったのだろうか。僕の真実は彼女たちにとってどれほど本当だったのだろうか。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る