第18話 大雪が降る

 大学生活最後の冬休みを、僕は、札幌で過ごした。卒論と後期の試験を理由に実家には帰らなかった。貧乏な学生にとって、帰省は大変な出費なのだ。だから、帰省するなら出来るだけ長期滞在し食費を浮かせようとするし、そうでなければ帰省しない。二、三日帰省するというのが最も非効率だった。ただ、帰省しなければしないで、暖房代がかさむので、僕は一日のほとんどを区体育館のトレーニングルームで過ごした。入館料の三百三十円を払えば、朝の九時から夜の九時までそこにいることができた。ランニングマシンやエアロバイク、種々のトレーニング機器。僕は開館と同時に入館し、午後の三時頃まで体脂肪率と格闘した。最後にシャワーを気の済むまで浴びて家路に就く。暖房代も風呂代もかからず、カロリーも消費できる。夢のようなワンダーランドだ。でも、十二月二十九日から一月三日までは区体育館も休館になってしまう。区役所と同じなのだ。

 十二月二十九日、僕はとことんまで寝てやった。やる気になれば寝られるもので、僕は食事と歯磨きと排泄以外を、テレビを見ながら布団の中で過ごした。ストーブすら点けなかった。実に経済的である。

 十二月三十日、僕は部屋にあるマンガを片っ端から読み下した。全てをきちんと読んでみると、時間のかかるもので、マンガを読むだけで一日が終わってしまった。

 十二月三十一日、僕はとうとう『雪国』に手を出した。他の小説を読んでも良いのだが、暇つぶしにと思うと、どうしても雪国に手を伸ばしてしまう。とどのつまり、僕は島村に対する羨望を、その先にある川端への憧憬やその思考への嫉妬を、ぬぐい去りきれないでいるのだ。

 十二月三十一日の午後から元日いっぱい、札幌は大雪に見舞われた。大雪だからといって外出できないわけではないが、食料もあるし行くあてもないので、部屋で読書をし、精神が休養を求めると筋トレに勤しんだ。読書、腕立、読書、腹筋、読書、スクワット…といった具合に。僕は、実にまとめて川端康成を読んだ。『雪国』を読み終わると『みづうみ』を読んだ。『みづうみ』を読み終わると『古都』を読み、次いで『眠れる美女』を読んだ。読み続ける合間〃〃に窓を開け、外の様子を確認してはみたものの、雪はその強弱を変化させるだけで、途切れることなく降り続いていた。窓から入る冷気が僕の皮膚を引き締める。生死を分かつほどの外気に触れ、こうしてストーブの点いた温かい部屋で生命を浪費している自分が、いつの日か老年に達することを想像した。そこに悲しみはなかった。明日の朝目覚めてみたら老人になっていたとして、巨大な虫になっているよりははるかにまともに思えた。僕は自我同一性を確立する代わりに、他人の思考を雑多に混ぜ込み、硬く乾燥させた外骨格のようなものを、虫みたいにまとうことを得手としていたのかもしれない。僕の文章はユニークだが、主旨は違うのだ。僕の外骨格は虫のように素敵だが、それを剥がされたら立つことすらままならない。僕は今すぐに寝たきり老人になり、目前の死を夢見たところで、何の不思議もないように思えるのだ。僕の二十三年の人生における、当然の帰結に思えるのだ、あるべき未来を棄却して…。

 そんな途方もない退廃が僕のアパートを巡り、時節時節に僕に去来した。そうやって一日半が過ぎた。

 一月二日快晴、一日半に及ぶ降雪が明け、札幌は晴天に恵まれた。しかしながら、ドアの前が激しく吹きだまっており、大家さんが外から除雪をしてくれるまでドアを開けられなかった。僕が再び札幌の大地を踏みしめたのは、一月二日午前十一時であった。

 気温は氷点を軽く下回っていたが、白銀の雪に埋もれた家並みを見ていると、幾分晴れやかな気持ちになった。雪の反射のまばゆさもあったのだろう。近くのコンビニまで、散歩がてら、朝食とも昼食ともつかぬ弁当を買いに行った。僕は焼肉弁当とカップラーメンと缶コーヒーを買って家に戻った。体に悪そうだと思いつつ、清潔な青空と純白の雪世界を見ていたら自分を汚しても良いような気がした。それが許されるような気がしたのだ。

 一月二日の午後からは一転、テレビばかりを見ていた。正月番組のオンパレードだった。一般的に、毎年同じことを人を入れ替えて垂れ流している低能番組と言われるが、それを言うのはよほど毎年、じっくりと正月番組を見ている人達なのだろうと思う。そこまでわかりきっていて、そのうえ批判するぐらいなら、見なければ良いのだ。トルストイやドストエフスキーを読んで、人間のあるべき姿について家族討論をすればよいのだ。長い冬をもつ北海道の人間ならば、彼らの考え方も受け入れやすいだろう。見たくないテレビ番組を見てそれを批判し続けるより、よっぽど建設的である。

 かく言う僕はといえば、生れてこのかた、正月番組をこれほどじっくり鑑賞した経験はなかった。正月を一人で過ごしたのが初めてだったからだ。家族と一緒にいると僕にチャンネンル権はなかった。結果的に、テレビを見なくなる。改めて、集中できる環境で一人して観賞すると、興味深かいものだった。日本テレビやTBSやフジテレビやテレビ朝日などの名だたる大企業が、小市民の休暇を満足させるべく、朝から晩まで趣向を凝らし、あまつさえ大物芸能人を惜しげもなくキャスティングしている。そこには生産性のかけらもなく、ただただ浪費されるだけの平和があった。満州は過酷に暑かったのだろう。歩きながら気絶し、安楽を求め頭部を撃ちぬき、笑顔のない組織の中で、生命を維持するための食物を摂取する。僕はハイカロリーで高塩分の食事を摂り、清らかな雪の底でぬくぬくとしている。極彩色の正月番組、僕の六畳一間のアパートに舞い降りた幸福であった。


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