第11話 まだ、まだやるべきことがある

 覚醒は何かしらぼやけていた。青暗い視界と見慣れぬ天井が認識をより不透明にし、眠気と疲労が重力をより強く感じさせていたからかもしれない。「暗い、まだ朝ではない、起きる必要はない。…ここは。旅館だ、今は…焼尻島にいるのだ。まだだ。…まだ、眠りの時間だ。眠い…。」羊は真夏の荒野を行進し、海を目指している。海のそばに生える牧草は、ミネラル分を多く含みうまい。羊はうまい草を知っているのだ。だから列を崩さず一心に海を目指す。荒野を横切り、砂漠を駆け抜け、小川を渡った。一糸乱れぬ行進は、羊の群居性に基づくものだ。自然はかくも美しい。そして羊は、旅館の前も行進する。ある羊が気付く。ある隊員が風呂で足を伸ばしていることに、足を伸ばし、肩の力を抜き、意識の狭間で揺れていることに。ある隊員は長い進軍の疲労から、湯気と温気に包まれ、眠りのふちに浮かんでいたのだ。ある羊はそれに気付き、首輪につけられたベルを鳴らした。きっと慣らし方にコツがあるのだ。けたたましいほどのベルの音だった。そして、けたたましいほどの刺激が走った。下腹部から背骨を疾走し、僕の意識を突き刺す。一瞬での覚醒、それは突き上げ、揺り動かすほどの尿意であった。身震いし、鳥肌が全身を隈なく覆った。僕はガバッと起き上がり、ドタバタと便所に駆け込んだ。密室の便所は殊の外暗い、電灯のスイッチは?しかし、不思議なことに、電灯のスイッチがどこにも見当たらない。ドアを開けたり閉めたりしてあちこちを探ってみたが、およそスイッチのありそうな場所は、どこもただの壁だった。そうこうしている間にも尿意は僕の膀胱を刺激し続ける。あふれ出んばかりの尿意と、それに抗う僕の尿道。僕は明かりを諦め男子便器の存在するであろうその前に立った。決心、そして放尿。膀胱が安堵し、尿道が恍惚した。しかし安堵がひと段落し、恍惚が収束するにつれ、僕の脳は不安を隠せなくなっていた。便器の大体の場所は認識できるのだが、これほど暗い中で小便をしたことがないので、小便が便器の枠内におさまりきらず、見当はずれな方へ弾けたりしているのではないかと想像したのだ。下らないことなのだが、僕らは常に、着地点を確認しながら小便をしているのだと、改めて認識させられた。下らないがしかしそれは、めったに出会えない貴重な体験だとも思えた。

 そんな不安な思いで小便をしたのは初めてだったが、何とかすべて出し切った。長い長い放尿だった。最後の一滴とともにため息が漏れ、解放感と達成感が僕の意識を拡散させる。眠気はもう感じられなかった。疲労もかえって心地よかった。新しい空気を、肺胞が満喫するまで吸い込みたかった。旅館は寝静まっていたが、少しの時間くらい鍵を開けておいても構うまい。僕は玄関の鍵を開けたまま外へ出て、海沿いの道路まで下りて行った。

 道路の外側はすぐ海で、ガードレールの代わりに低い堤防が続いていた。風はない。雨の様相もない。朝のワイドショウではきっと「今日も札幌は快晴です。」と伝えるだろう。僕は、海の遠い向うに視点を位置づけ、その堤防の上に立った。空気に冷ややかさが混じり、海の粒子が漂うようだった。空も海もはるかだった。

 島の夏の、限りなく夜に近い朝。

 夜の青は空の青だ。空の青が濃密になり希薄になり、僕らに夜と朝の狭間を降ろすのだ。だから、その青がいくら夜に染っていようと、底には空の青があった。遠くで、空と海とが交じり合う。けれども、海はやはり海であった。本質的に湛える根源が異なるのだ。僕は海の、有機的な鉛色の深みに震え、それを「戦慄」と小さく言葉にしてみた。言葉に発すると、思考がそれを認識する。

 海の音は遠くの波の崩れのようでもあり、崩れた波の最期の泡の細かい破裂のようでもあった。海の匂いは大気に放たれた潮の、細微な結晶のようでもあり、ごく希釈された腐臭のようでもあった。そういった重なりをもった生命感が、もしくは、受け止め、飲み込み、ひとつになろうとする包容力が、僕を震わせるのかもしれない。

 足元を覗き込む。白い泡の密集が堤防に付着し揺れ動いているようだ。聞こえるはずもないが、ぷつぷつという泡のつぶやきがそこにあるように思えた。実際の堤防の高さを推し量るには明るさが足りない。僕の踏みしめている堤防の真下の白く不定形な揺らぎは、距離感の確立しない僕には一種の麻痺であった。

 祖父の話は、だいたいいつも同じ件で締めくくられた。『人間、歩けなくなったら終わりだぞ、ちゃんと立って歩けなくなったら、そん時はもう死ぬんだ。』

 その言葉は二十二才になった今でも、僕の記憶に強烈に、鮮烈に、深刻に打ち付けられている。キリストが十字架に貼り付けられたように打ち付けられている。そのようにして打ち付けられた楔が、僕の胸の肉に食い込み、柔らかく同化していた。それは最早、僕にとっての教訓だった。疲れた時、気分が滅入った時、やる気が出ない時、僕はとにかくその場で立ちあがる。歩くスペースがあれば、歩く。元気はある、と思う。行動の基準を何によるのかは個人差があるが、祖父にとっては生きて存在することだったのだろう。そして生きることと歩くことは同義だったのだ。歩き続けた戦地、そして今ある自分。前線では死ぬことのほうが楽に思えることだってある。それでも、立ってみる。足を一歩前に出してみる。そうすると、自分がまだ生きられると思える。

 見たこともない満州の地に思いをはせる。僕もまだ生きている。生きてやるべきことは沢山ある。それは時と場所を隔てて引き継がれ、僕の教訓としてここにある。

 僕の目は堤防の上から、白くなる海岸線をとらえていた。僕はまだ前に進める。進むべき未来は必ず存在するのだ。

 しかしいったい、この小さな島のどこに工事が必要だというのだろう。また、岩橋さんはいったい何の現場で働いているのだろう。



 夜の青は空の青だ。空の青が濃密になり希薄になり、僕らに夜と朝の狭間を降ろすのだ。だから、その青がいくら夜に染っていようと、底には空の青があった。遠くで、空と海とが交じり合う。けれども、海はやはり海であった。本質的に湛える根源が異なるのだ。僕は海の、有機的な鉛色の深みに震え、それを「戦慄」と小さく言葉にしてみた。言葉に発すると、思考がそれを認識する。

 海の音は遠くの波の崩れのようでもあり、崩れた波の最期の泡の細かい破裂のようでもあった。海の匂いは大気に放たれた潮の、細微な結晶のようでもあり、ごく希釈された腐臭のようでもあった。そういった重なりをもった生命感が、もしくは、受け止め、飲み込み、ひとつになろうとする包容力が、僕を震わせるのかもしれない。

 足元を覗き込む。白い泡の密集が堤防に付着し揺れ動いているようだ。聞こえるはずもないが、ぷつぷつという泡のつぶやきがそこにあるように思えた。実際の堤防の高さを推し量るには明るさが足りない。僕の踏みしめている堤防の真下の白く不定形な揺らぎは、距離感の確立しない僕には一種の麻痺であった。

 祖父の話は、だいたいいつも同じ件で締めくくられた。『人間、歩けなくなったら終わりだぞ、ちゃんと立って歩けなくなったら、そん時はもう死ぬんだ。』

 その言葉は二十二才になった今でも、僕の記憶に強烈に、鮮烈に、深刻に打ち付けられている。キリストが十字架に貼り付けられたように打ち付けられている。そのようにして打ち付けられた楔が、僕の胸の肉に食い込み、柔らかく同化していた。それは最早、僕にとっての教訓だった。疲れた時、気分が滅入った時、やる気が出ない時、僕はとにかくその場で立ちあがる。歩くスペースがあれば、歩く。元気はある、と思う。行動の基準を何によるのかは個人差があるが、祖父にとっては生きて存在することだったのだろう。そして生きることと歩くことは同義だったのだ。歩き続けた戦地、そして今ある自分。前線では死ぬことのほうが楽に思えることだってある。それでも、立ってみる。足を一歩前に出してみる。そうすると、自分がまだ生きられると思える。

 見たこともない満州の地に思いをはせる。僕もまだ生きている。生きてやるべきことは沢山ある。それは時と場所を隔てて引き継がれ、僕の教訓としてここにある。

 僕の目は堤防の上から、白くなる海岸線をとらえていた。僕はまだ前に進める。進むべき未来は必ず存在するのだ。

 しかしいったい、この小さな島のどこに工事が必要だというのだろう。また、岩橋さんはいったい何の現場で働いているのだろう。

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