第170話 ルナの世界

 俺は過去にルナの魂を喰らった。その彼女に幾度となく精神世界で助けられてきた。そして暴食スキルの影響からも守ってもらってきた。


 ルナにはどんなに感謝してもしきれないほどだ。

 そんなルナの願いは、俺と同じようにマインを止めてほしいというものだった。


 その気持ちに答えるために、俺なりに暴食スキルの新たな力を見出した。

 奪うだけではなく、喰らった魂と対話してその力を俺を媒介として引き出す。


 神から与えられたギフトであるスキルではない力だ。

 ルナ(ハニエル)が持つ固有の力を使わせてもらうものだ。


 これは大罪武器であるグリードとクロッシングしているときの感覚に似ている。

 魂を喰らっておいて、力を貸してほしいなんて都合のいい話だ。

 だから、力を許してくれるのは同じ目的を持ったルナしかない。


 俺は以前にマインの過去についてルナから事情を教えてもらったとき、彼女の力を引き出せるように精神世界で契約していたのだ。


 この喰らった魂を呼び起こし、魂自身の力と共に戦う。グリード曰く、俺の前任者だった暴食スキル保持者すら、成し得なかったことだという。

 そんな俺にクロッシングしているグリードが言う。


(喰らった相手に気をかけるとは、お前らしいというか……器用なやつだ。ここでハニエルの力は頼もしい。いくぞ、フェイト!)


 ハニエルの灼熱の火球たちが俺を守るように周回する。さらには障壁が展開されており、マインの《ノワールディストラクト》すらも防いでみせた。


(フェイト、時間がないぞ。長引けばルナの魂がもたない)


 この力はルナの魂を削って使われているものだ。

 魂の消耗は存在を失っていくことに繋がっていくという。


 これはクロッシングとは違う。

 一方的に俺がルナの魂を削って戦っているのだ。


 グリードが言うように、ハニエルの力を使えば使うほど、ルナの魂の炎は小さくなってしまう。

 そんなリスクを負ってでも、ルナはマインを止めるために共に戦うことを選んだ。


 今だにルナの力を引き出したことにマインは動揺していた。

 チャンスは一度だけ。


 取り巻く火球を黒斧へ集中させて、手から吹き飛ばす。

 そのまま俺は障壁を広げて、マインを取り込んだ。そして逃げられないように抱き寄せた。


「ルナ! 今だ!」


 障壁内がまばゆい光に包まれる。

 そして、意識が遠のいていくのを感じた。


 目を開けると、見渡す限りすべてに真っ白い世界が広がっていた。

 ここは、俺とルナが対話する精神世界。


 そして、足元にはマインが気を失って横たわっていた。

 俺たちはマインを止めるために、話し合う場所としてここを選んだ。


 それはルナやグリードの提案からだった。

 現実世界で正面からぶつかり合えば、マインは憤怒スキルを解放して声が届かないところへ行ってしまうだろうと予想されていた。


 案の定、シンに後押しされるように手のつけられない戦鬼と化してしまった。

 横たわるマインの姿は、現実世界のときのままだ。

 額には今だに二本の角が生えている。


 起こしてしまったら、今度は精神世界が戦闘になってしまいそうだ。

 不安に思っていると、後ろから肩を掴まれた。


「なんとかなったようだな。俺様とクロッシングした成果だな」


 振り向くと人の姿をしたグリードだった。赤毛をかきあげて、ドヤ顔をしている。


「あのな……そんな悠長なことを言っている場合か! 現実世界ではシンがハウゼンの人たちを生贄にしようとしているんだぞ!」

「お前はまだわかっていないのか」


 そう言ってグリードに小突かれてしまった。


「何度もここに来ているくせに、気が付かなかったのか? 精神世界と現実世界の時間の流れは違うってことをさ」

「そうなのか?」

「まったく……呆れるぜ。この精神世界は元々ルナがフェイトと暴食スキルを隔てる壁として作ってくれたものだ。つまり、この世界のルールはルナの思い通りというわけだ」

「時間の流れも?」

「そういうことだ。それに精神と肉体の時間の流れは元々違っているしな」


 グリードが言った「精神と肉体の時間の流れが違う」との言葉。このときの俺はマインのことで頭が一杯で聞き流してしまった。だが、その意味を知ることになるのは、これよりずっと先になってしまった。


 横たわるマインに目を落とすと、突然現れたルナが膝をついて彼女に寄り添っていた。


「やっと会えたね、お姉ちゃん」


 優しく手でマインの頬を撫でていた。


「こんなになっちゃって、いつも無理しちゃうんだから」


 ルナの瞳からは涙がこぼれ落ちていた。

 そんな中でグリードが何かつらそうに、ルナに話しかける。


「無理をさせてしまったな」

「いいのよ。これは私が決めて、フェイトにお願いしたことだから」

「ルナ……お前……」

「私のことは気にしない。もう過去の人間なのよ。私にとって、大事なのは今を生きているお姉ちゃん。フェイトもありがとうね」


 ルナは立ち上がって俺の手を握ってきた。その手は精神世界なのに温かさを感じた。


「俺は……ただマインを抑え込んだだけで、ここへ連れてきたのはルナだよ」

「いいえ、そんなことはないわ。十分よ。あのお姉ちゃんを傷付けることなく、ここに連れて来れたのはフェイトのおかげよ。誇っていいわ。そう思うでしょ、グリード?」

「ああ、お前はよくやったよ。俺様が思っていた以上にな。お前はあの戦鬼と対峙して一歩も引かなかった。そこに一切の恐れはなかった。クロッシングしていた俺様が言うのだから間違いない」


 憎まれ口ばかりで、あまりそういうことを言わないグリードに褒められて照れくさくなってしまう。


「だが、ここからが本番だ。ルナ……本当に大丈夫なのか?」

「ここまで来てそれを訊くかな。もちろんよ。心を閉ざしてしまったお姉ちゃんの中へ入れる道を作れるのは私だけよ」

「お前は……それが何を意味しているのかをわかっているのか」

「私は、いつだって自分のことはわかっているのよ。それを言うなら、グリードはどうする気なのよ。ちゃんと決めないといけないわよ。偉そうなことをばかり言うくせにあなたはいつだって昔から変われないくせに」

「それは……」

「虚勢ばかりで本当は怖がりさん」


 からかうように笑いながら言うルナにグリードは憤慨する。


「泣き虫だった私はずっと決められずにいた。……だけど私はもう決めたの。私は今を生きるお姉ちゃんのために使うことにした」

「もう……すきにしろ」

「そうさせてもらうわ。始めましょう。フェイトもお願いね」


 ルナはそう言って、横たわるマインの上で片腕を差し出した。

 俺たちは促されるまま、自分の手を重ねる。


「さあ、潜りましょう。お姉ちゃんの心へ。私が導くから、決して離さないでね。人の心の中は迷宮。迷えば戻ってこれないかもよ」


 恐ろしいことを言うな。この手は絶対に離さないさ。

 マインの閉ざされた心の中で永遠に彷徨い続けるなんて訳にはいかない。

 俺はマインと一緒にまた現実世界で生きていたいだけだから。


「準備はいいわね」

「「おう」」


 俺はルナ、グリードの顔を見て頷いた。

 この二人は俺にとってかけがいのない人たちだ。ここまでやってこれたのは、間違いなく彼らの助力があったからだ。


 そして、マインも同じでそれ以上の存在だ。


 俺たちはルナの案内で、マインの閉ざされた世界(心)へ踏み込んでいく。

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