第167話 力を重ねて

 亡者は大広場を取り囲むように溢れていた。

 まるでこれから始まる戦いを見守っているようだった。彼らはちゃんとした意識がないというのに、本能でそれを感じているのかもしれない。


 当人である俺も、マインから発せられる圧倒的なプレッシャーに身じろいでしまいそうだ。頭では”前に進め”と思っているのに、体は全く違っていて”後ろに下がろう”としているのだ。


 こんなことは初めてだ。

 今まで天竜やアークデーモンなどの強敵と戦ってきた。だが、マインに比べれば明らかに格下だと、断言できてしまう。


 彼女は一緒に旅をしている中で、とても強い人だとわかっていたつもりだった。

 それを今……この瞬間に訂正するべきだろう。


『大したものだ。俺様までずっと騙していたのか。マインのやつ……昔より強くなっていやがる』


 グリードが言うように、纏っている空気が別物だ。

 感覚的にではない。

 マインを取り巻くように、バチバチと小さな稲光が走っている。


『マインは本気だ。これ以上、踏み込めば否応なく始まってしまうぞ』


 話し合いなんて、甘ったれたことは皆無だろう。

 そんなことで済むのなら、この場に俺たちはいない。

 今のマインの耳に届くかは、わからない。それでも言いたかった。


「結局……俺たちってさ。こういうやり方でしか……わかりあえないってさ」


 アーロンが言っていた。

 人間同士がわかりあえないときは、お互いが望んでいなくとも争いは避けられない。その理由が自分自身ではないときなら尚更だと。


 俺にはこの世界がこれ以上おかしくなってしまう前に、彼の地への扉が開くのを止めなければいけない。


 マインは……ルナから聞いたことが本当なら諦めてくれないだろう。ずっと……数千年に渡って、追い求めてきたことなら止まるわけがない。


 ここまで来たら……こうなってしまったのなら、戦ってお互いの思いに決着をつけるしかない。

 勝てば官軍負ければ賊軍とはひどい話である。


「マインからしたら間違っていないと思う。だけどさ……こうするしかないんだ」


 まず彼女に話を聞いてもらうためには、戦って勝つしかない。

 俺は後ろに控えるエリスに目線を送った。

 同時に銃声が鳴り響いた。


 エリスが俺にファランクスバレットを放ったのだ。

 そして体の表面が青白い光の膜に覆われた。これによって、相手からの攻撃を相殺してくれる。


「マインの攻撃は強力だから、油断大敵だよ」

「それでも心強い」


 俺の目の前に、マインが飛び上がっていた。

 悠々とした姿。そして、忌避されるほどの真っ赤な瞳。

 それは真っ直ぐに俺を見ていた。


『くるぞ。マインの一撃は重い。しっかりと俺様を握っていろ』


 鈍い金属音が鳴り響いた。


 黒剣と黒斧が激しくぶつかり合う音だ。グリードが言う通り、ずっしりと重い一撃。

 あまりの威力に受け止めた俺の足が地面に沈み込んでしまうほどだった。

 これで初撃だから、思わず乾いた笑いが出そうだ。


『押し返せ! 立て続けに攻撃されるとスロースの効果が発揮されていくぞ』

「わかっているって」


 そう言われても、上から押さえつけられている。しっかりとマインによって地面に挟まれているので簡単にはいかない。

 俺が選んだのは、マインの黒斧の進行方向をずらすことだった。


 黒斧は火花を出しながら、黒剣を滑っていき、俺の足元へ落ちていく。

 地面をえぐり、土埃や地面の破片を巻き上げる。

 それを煙幕代わりに、右に飛び退いて距離を取ろうとするが。


『フェイト!』


 土埃から脱する俺をすぐに追いかけて、現れるマイン。

 しかも躱せない絶妙なタイミング。

 再び、彼女の攻撃を受けるしかない。


 今度は、先程の二倍の威力!


 鈍い金属音と一緒に予想していた以上の衝撃が両腕に伝わってきた。

 ビリビリとした戦いの感触……。だけど、今まで戦ってきた者たちとは違った感覚もあった。


 ぶつかり合いに押し負けないように力を込めていく。まだ二振りだ。

 ここからの攻撃はもっと飛躍的なものとなる。

 俺は今だに無言のままで黒斧を振る彼女を見据える。


「マイン」

「………」


 元々、無口な人であまり自分から話すことはない。

 でも俺は知っている。


「手加減はいらない」

「……」

「ここまで来たんだ。マインを止めるために」


 わずかに彼女の眉が動いたのを見逃さなかった。


「ルナから話は聞いている」

「!?」


 そういうと無表情だった顔に変化が起こった。

 戦いではいつも冷静沈着だったマインに動揺の色が帯びるのを感じた。


「ルナが……」


 わずかに口から溢れ落ちた言葉を聞き逃さなかった。


「そうだ。ルナが」


 マインと話ができそうな緒が見つかりそうだったのに……またしても邪魔をする者がいた。


 血のように赤い触手を伸ばして、俺とマインの間を遠ざける。

 触れてしまえば危険な予感がして、仕方なしに後ろへ飛び退く。


「チッ、うまく避けたね。残念だな」


 またしても地面から現われるシン。今度は水が染み出すように静かにだ。

 人の形をしているが、人ではない存在。グリードたちは集合生命体と言っていた。あれなら、どこにでも隠れられるし、何にでも成れてしまうだろう。


 シンは俺に背を向けながら、マインに声をかける。


「君の言う通り、時間は与えた。しかし、もう待てない」

「……」

「さあ、始めよう。こいつらを殺すんだ」

「……」

「じゃないと、扉は開かれない。この機会を逃せば、君の望みはもう永遠にかなわない」

「……」

「ずっとずっとこの時を待っていたんだろ? 後少しなんだよ、マイン」


 うつむいている彼女に、シンは囁やくように言葉を言っていた。


「みんな、君を待っているんだ。またみんなを裏切るつもりなのかい?」

「違う」

「なら、本気で戦わないと。彼らは君を邪魔する敵なんだから……開放して君の力を見せてやるんだ」


 俺の想像を絶する時間をかけて、マインは追い求めて生きていた。

 ルナから聞かされた話が本当なら、俺では到底心が折れているような時間を。


 シンの囁やきはまさにマインがここまで生きてきた原動力だった。そこを的確に触発されてしまえば、いつも冷静なマインだって揺さぶられないはずがない。


 俺と旅をしていた中でも彼女は、心をどこか遠くに置いてきてしまったようだった。そして、その願いが今叶う。


 たとえば、過去の俺なら、やっぱりマインと同じことをしてしまっただろう。


 シンは俺に向けて、笑みをこぼした。それは余裕……勝ったと確信した顔だった。


『フェイト! これはやばいぞ』

「離れて、フェイト!」


 後ろへ控えるエリスが援護するため、シンとマインに向けて激しい銃撃を行う。

 ただならぬ気配にグリードもエリスも俺に後ろへ下がるように促してくる。


 マインは憤怒の大罪スキル保持者だ。

 それは旅の中で本人から教えてもらっていたので知っていた。


 俺は知っているだけで、彼女が持つ憤怒スキルの力を見たことがない。いつも無表情に黒斧を振るっているだけだった。


 たまに、酒場でからかわれて反撃していた。そのときは怒っているというよりは、お仕置きをしている感じだった。


 憤怒スキル保持者が、怒りに身を任せたとき……一体どうなってしまうのか?


 俺はこの場で目のあたりにした。


『これがマインの本来の姿だ』

「あはは……もう二度と見たくないって思っていたけどね」


 グリードは苦笑い。

 後ろにいるエリスは明らかに狼狽していた。ツーマンセルと提案していたことから、後衛である彼女には相性がとても悪いのだろう。



 そして、俺は初めてマインの本来の姿を見てしまった。

 彼女の体を取り囲むように瞳に似た忌避されるほどの赤いオーラが立ち上る。

 有り余る魔力が具現化してしまっているのだろう。


 もっとも特徴的なのはマインの額に二本の角が生えていたことだ。さらに体に刻まれていた邪刻印も発光している。


『フェイト、よく聞け。あれは怒りに身を任せた戦鬼だ。ああなってしまえば、もう俺様たちの声は届かない。つまり、お前が暴走スキルに飲み込まれている状態に似ている。この意味はお前だからこそ、よくわかっているはずだ』

「自ら憤怒スキルのちからを引き出したってことか」

『そうだ。お前のような半飢餓状態とは違う。マインは完全に引き出した』


 いきなり大罪スキル全開か……


『マインは行動で示した。本気だとな』


 シンの言う通り、与えてもらっていた時間が終わってしまったということだ。


『今までのスロース頼りの攻撃とはわけが違うぞ』


 俺はすぐに暴食スキルの半分――半飢餓状態を引き出す。

 途端にマインの姿が視界から消える。すでにスロースは通常の二倍の重さになっているにもかかわらずだ。


『俺たちもいくぞ。でなければ、受け止められない』

「ああ、いくぞ! グリード!」


 俺はここに来るまで、精神世界で絶え間なく鍛錬してきた成果を発揮させる。


「グリード!」

『フェイト!』


 俺たちの声が重なると同時に、黒剣は黒く輝き出す。

 その黒き光は俺を包み込んでいった。


「『クロッシング!!』」 

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