ジルとジャネガ

 颯爽と駆ける彼女を見送り、時間を置くことなく移動を始める元赤ことジラード、ジルとジャネガ達。その行動はまるで訓練された軍隊の様に無駄が無い。元々軍人として訓練を受けていたパップス達ジャネガは兎も角、ジルもそれなりに心得があるのかもしれない。



 パップス達ジャネガ、と言ったがエリーやジルは一つ勘違いをしている。彼女たちにジャネガと名乗ったパップスがジャネガなのではない。彼ら全員がジャネガなのだが、その事実に現時点で気が付いている者は本人たち以外にこのタナトスで理解している者はいないかもしれない。



 彼等パップスは個体名を持たないまま育つ。幼いころから遊ぶという事をせず、種族の特徴で生後直ぐに動き回れることを活用して、産まれて数日の内に体の動かし方を学び、道具の使い方を学び、そうして大人のパップスが出来るようなことすべてを産まれてからわずか数年で出来る様に訓練する。


 もちろん、戦い方も。



 訓練についていけない弱い個体はいつの間にか消えている。だれがどうやって消しているのか、少なくともジャネガ達は知らない。きっと今頃は死んでいるのだろうとは理解できている。


 時折出てきた肉入りのスープの材料になっていたとしても特に驚かない。生きて行く為に再利用できるものを捨てる、もしくは葬る等無駄な事をしてはいられないのだから。



 ジャネガ達も少し前までは死ぬ事について、一切恐怖を感じなかった。自分たちが大きな戦いに参加して殆どが死んでしまう事も知っていた。それが当たり前だと感じていたし、生き残れるとも、ましてや生き残った後の事など思ったことも考えた事も無かった。


 ジャネガはうまく説明できないが、もともとそう言う事を考える能力が無かった。そんな感じがするのだ。



 そんな自分たちが「こう」なったのは、2つの要因がある、と何となくわかる。確たる証拠がある訳では無いし理論的に説明できるほどジャネガは自分の言語能力を信じていない。


 ただ、そう思う、そう信じる。それだけだ。



 一つは青天の霹靂。いきなり戦場を支配した閃光と爆発音。続いて空を駆け抜ける全てを焼き滅ぼす光の砲撃。あの光の爆流が、自分では感じる事の出来ない何かが、自分の中にあった何かを壊してしまったような、そんな気がした。



 急に世界に色が付いたような感じがした。そして今まで感じた事の無かった感情がこの身を支配した。食べる為、生きる為にタナトスに潜り蟻をやり過ごして獲物の残り粕を食べて過ごしてきた今なら考えずともわかる。


 あれは生まれて初めて感じた恐怖だ。実際、あの戦場であの光の奔流に心を流されてしまった者は秩序、混沌問わずかなりの数に上る。混沌勢の顔にもはっきりと恐怖の感情が浮かんでいた。自分達だけではない。


 戦場を支配していた狂乱の熱は、強力な魔法の攻撃という冷水を浴びせられて一気に熱が引いてしまった。狂乱が覚めた後、戦場の数的主力を担っていたパップスやゴブリン、コボルドが先程迄一切感じていなかったように見えた恐怖に一瞬で飲まれたのだ。



 当然戦場は混乱した。自分たちの指揮を執っていたパップスも、何をすればいいのか分からなくなったらしく棒立ちになっていたが、その隙をつかれて被害が出なかったのは単にあちら側も混乱していたからだ。


 だがそれでも今までの惰性で切りかかってくるオーガはいるし、あの光の奔流の影響が少なかった奴らも両陣営にいて、それらが更に戦場を引っ掻き回しにかかっていた。



 あのまま初めての恐怖に身を任せていたら、ジャネガ達はあの戦場から帰ってこれなかっただろう。自分たちにとって幸運だったのは、あの光の奔流に心を攫われなかった人物が自分たちを救ってくれたのだ。


 確かその男はジャネガと名乗っていた。混乱するパップス達に怒号を飛ばして、軍人として兵隊として訓練を受けていたこの身に指令コマンドを出してくれた。それは自分が助かる為だったかもしれない。元から命を捨てる為に戦場に来るような自分パップス達を捨て駒にして、戦場を離脱する為だったかもしれない。


 そうであったとしても、あの場で自分達にやるべき事を思い出させ、恐怖を体に染みついた反射で乗り越える切欠をくれたのは事実だ。


 結局、あの戦場で自分達の一部を捨て駒にしてかなりの数の自分達を救う切欠を作ったジャネガは、自分たちの目の前でオーガの槍に貫かれて死んでしまった。



 その時に感じた。それはパップスが名を得る時の習性の様なものだったのかもしれない。どういう理屈でそうなったのかは分からない。自分たち以外もそうなるのかも知らない。


 ただ、自分たちの命を曲がりなりにも救ってくれた男が目の前で絶命した時、自分たちはパップスではなく、「ジャネガ」だと理解した。



 魔法的な、心霊的な理由で彼の魂が自分達に宿った訳では無い。間違いなく、彼の想いや記憶等が自分たちの中にある訳でも無い。あるとしたら、たいして面白い返しをしない自分達パップスに物好きにも自己紹介をしてくれた時や、混乱した自分達を怒鳴った時の事。


 そして絶命する際の、なんとも無念な表情



 おそらくそれだけを自分たちは受け取った。


 それだけなのに、自分たちは「パップス」では無く「ジャネガ」になった。



 こんな名前の得方をしている種族は自分たち以外にいるのだろうか。自分達、ジャネガは自分一人ではなく、彼の死を目撃した約400人全てがジャネガになった。



 このタナトスに住み着いてから、少し増えて今は500を超える。新しく生まれてきた者たちも多分、「ジャネガ」なんだろう。名を得てからは、以前ほど繁殖する事に熱心ではなくなってしまっているが。


 新しくタナトスの「ジャネガ」に参加してくるパップスもいる。彼らの中にもパップスでは無く、名前を持っている者がいる。



 名前を持っているパップスは、皆、以前ほど死にたがりではない。あの戦場を生き延び、光の奔流に心を攫われたものであっても、未だ「パップス」のままの者も沢山いる。その者たちも以前ほど命を軽く考えている訳では無い様だが、名を得た者たちよりもやはり刹那的だ。



 現に、今自分がつれている名前を持たぬパップス達は自分の指揮に従ってはいるものの、戦場に行けなかった自分たちの境遇に安堵よりも残念と感じている方の割合が多いみたいだ。


 元は同族だ。表情でわかる。ただ「ジャネガ」は思う。自分たちは既に「パップス」ではない。



 このジャネガ達のリーダーで、エリー達に名乗った「ジャネガ」がぼそりと言葉を漏らす。



 「旦那、良かったんですかい?彼女を一人で送り出しちまって。もしご希望ならうちの中から希望者を彼女に着けますが。」



 別にエリーと名乗った彼女の身を案じた訳では無い。ここに来るまでの少しの時間で、彼女が人の領域からかなり抜き出てしまっているのは理解できている。


 正式に雇われたわけではないが、彼女が口を利いてくれたから今回も食つなぐ事が出来そうだ、という理由から彼女こそ雇い主であると言えなくもない。



 自分の短い人生の経験で、そんな恩を受けておいてこういう時に、ただ何もせずに見送るのに少々居心地の悪さを感じたのもある。もう一つはもっと昏い、人様に胸を張って言えるような事じゃない理由からだ。



 自分達と根本的な部分で中々相容れない「パップス」のままで合流してきた仲間達を彼らの希望通りに処分してしまいたかった。


 以前とは確かに違う。だが、大方「パップス」のままの彼らと行動を共にしている内に自分たちもその内また「パップス」に戻ってしまいそうで「怖い」のだ。


 色々な意味でこの「怖い」を理解できないだろう「パップス」を心から受け入れる事は難しい。ただ、彼らは使い勝手は良いのだ。




 元から戦いは避ける様に動いてはいるが、それでも避けようの無い時がある。その際に彼らは命令一つで剣になり盾になり壁になってくれる。以前の様な身を捨てるような戦い方はしないが、それが返って戦士としての評価を上げているようで、今まで多くの危機的場面を彼らの力で乗り切ってこれたのは事実だ。


 被害者も思ったより出ていない。以前の自分達と比べれば天と地ほどの差がある。このタナトスに住み着いて、彼等「パップス」を受け入れてから今迄で「パップス」の戦死者は僅か8名。これが多いか少ないかで言えば、パップスとしては少ないだろうし、この地で冒険者の後方支援を生業にしている者達と比べても少ない被害だろうと思う。


 それでも後から参加してきた「パップス」の一割が失われたことになるのだが。


 最近、外で食うに困った名前を持たないパップス達が、自分たちの噂を聞き少しづつ集まってきている事もあって、その位の損害であれば十分許容できる。だが、心情的には兎も角むやみに、一応は仲間を死に追いやる心算はそろばん勘定的には無い。


 再度言うが心情的には兎も角。



 だからこれは断られるのを理解しての控えめな提案なのだ。案の定、男は苦笑して断ってきた。



 「今から行っても彼女に追いつけんよ。見ただろう?まるで引き絞られた弓から放たれた矢のようだ。


 狙いすまされ、研ぎ澄まされ、気配を感じさせず一気に仕留める、狩人の矢だな。


 しかもただの矢ではない。得物を穿った後、狩場ごと灼熱の炎で焼き尽くしてしまう、破滅的な矢だ。着いていきたいのなら止はしないが、君達では足手纏いにしかならんな。


 もちろん、恐らくはこの私でも、な。」



 そう言うとジルは少し熱に焼かれた様な表情で続ける。



 「あれこそが私の至るべき姿なのだろうな。まさに理想だな。ま、流された結果とは言え折角弟子になれたのだ。


 精々見習わせてもらうとしよう。」



 あれを見習うというのは人の身では重荷なのではないかとジャネガは思わないでは無かったが、考えてみればあの戦場を縦横無尽に駆け巡っていた一部の冒険者達を思い浮かべれば、不可能でもないのかもしれないと思いなおす。


 何かを返事しようとジルの方を見たが、彼は特に自分の言葉を待っていなそうだと理解できた。



 「それにどうやらまだまだ先もありそうな気配だしな。魔法使いになって長生きする、か。今迄考えた事も無かった。」



 自分の言葉も、おそらくジル自身の言葉も彼の耳には入っていないだろう。口から言葉が溢れてしまっている事に気が付いていない。ジャネガは頭はそれ程良くないが、空気を読む力はどうやら多少はあるらしい。


 下手に口をはさむ愚を避ける判断を、彼は賢明にも選ぶ事が出来た。



 「たとえ長く時を生きようが、彼女に私を見てもらう事は難しかろう。何せ本人曰く男の心を持っている、らしいのだからな。もしかしたら何かの冗談か比喩かも知れんが、彼女の男共に対する接し方を見れば何処か納得できる。


 だが、彼女自身を手に入れることは出来なくとも、側に居ることは出来る。武力で守れなくとも心を守ることも出来るだろう。


 幸い、この身はシリルに好かれているようだしな。彼女を守る事がエリーを守る事に繋がるのなら……。


 既に受けた恩、これから受ける恩を返すには少々足りないかもしれないが、この先の人生を全て捧げる価値は十分にあるさ。」



 これは言葉に出さず、心の奥でエリーに忠誠を誓うジル。エリーに異性に対する好意があるのは間違いないだろう。恐らくはその代償行為としての忠誠心の可能性も無くはない。


 ただ、エリーに似ている彼女の妹に、段々と惹かれてきている自分にはまだ気が付いていないようだ。



 女性が男の心を持っているという言葉が今一理解できないジャネガだが、現状、のんびりと移動する訳には行かない事は理解できる。仲間から、移動するならもう少し急ごうと提案を受け、漸くジルに言葉を掛ける決心がついた。



 既に小声になってブツブツと、近くにいるジャネガにも聞こえない位の音量で何かを呟いているジルに、旦那、出来るだけ早く動きましょう、と声を掛けて急かす。



 同時にエリーが向かった先から、先程聞こえた遠雷の様な爆発音よりも更に大きな爆発音が何発も鳴り響く。



 思わず再度苦笑いを浮かべるジルと、さもありなんと何処か納得しているジャネガがふと顔を合わせて笑っていた。

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