第五章 メスレ日本・東京支社
女性事務員に通された応接室で、青井と山中がかしこまって座っている。
カーペットや家具に暖色系の色を使い、家庭のリビングのような雰囲気の部屋である。
壁にかかったリトグラフもポップ調で、日本の会社の応接室とは違う。
扉が開き、小太りの男と背の高い金髪の青年が入ってきた。
「お待たせしました」
青井と山中は立ち上がり、名刺を交換しながら自己紹介をした。
「私、栄京商事の青井と申します。
大阪では原田様に、お世話になっておりました」
「斎藤と申します。
いやいや、原田からお噂はうかがっております。
うちのインスタントコーヒーの
フローズン技術の件では随分お世話になったそうで。
今回の事も他社に先がけて、
さっそくいらっしゃっていただいて期待しているんですよ。
ああ、それとこの人は、
ドイツ本社から来たバイオ技術専門の方で、
ミハエル・ミュウラーさんです」
青井は反射的に、ドイツ語で挨拶を交わした。
その話し方がとても自然で、山中は驚きと共に仕事のコネクションといい、過去の実績といい、改めて青井の部下でよかったと思った。
一回目の挨拶は好感触を得て、いずれいくつかの技術提携をする企業をしぼってリストと共に、後日栄京の役員を連れてくることを約束して、二人は帰路についた。
会社に戻る電車の中で、山中は興奮気味に青井に話している。
「いやー、今でも信じられないですよ、
こんなに早く話が進んだのは初めてです。
もし、うまくいけば、
日本のバイオ食品に革命がおきますよ」
「大げさなやっちゃなー。
お前、今からそんなに入れ込んだらバテテまうでぇ。
俺らの仕事はな、あんまり夢持ちすぎると、
あとのショックが、でかいんや・・・。
そうそう、万馬券はこんでぇー・・・」
そう言いつつも、青井はこのさわやかな部下がかわいかった。
若い頃は変にしらけず、夢を持って仕事をしてもらいたかったのだ。
だが時々手綱を引かないと、とんでもない所まで暴走するのも若さなのであった。
「さっそく報告書作らんとな。
リストの手配と資料集めは君がやってくれるか?
問題は役員用の報告書やな、
お偉いさんを動かさな予算もおりんし・・・。
せっかく、まとまるモンもあかんようになるさかいな。
ただ・・・」
青井はそこまで言うと、口ごもってしまった。
「どうしたんです?」
山中が不思議そうに聞いた。
「いや・・・な、
お偉いさん動かすのはクライアント説得すりより難しいんや。
日本の会社ちゅうんは、けったいな所でな、
典型的な内弁慶が多てなー、ごっつう、
丁寧で分かり易い資料作らないかんのや・・・。
翻って言うと、自分の会社のお偉いさん説得できたら、
ほぼ完璧やと思ったらええねん。
よっぽど、ひねくれとらんかぎりは、な・・・」
「はー、そういうものですかね?」
山中はわかったような、わからないような複雑な心境であった。
「まー、俺はけっこう慣れてるから、
報告書は俺が書くよ。
問題はワープロなんよ・・・。
ページ数もごっつ多なるし、役員会、
明後日やから明日中に作らなあかんねん。
今日と明日で下書きを書いて、いっぱいやし、
来週に、しょーかいな・・・?」
「そんなー、僕も手伝いますよ・・・。
それにワープロだったら早川さんがいるじゃないですか?」
「いや、君には資料とリストの方作ってもらわな。
それでいっぱいやし・・・。
明日、同期会やゆうとったやろ。
いざとなったら、資料とリストと俺の口でごまかすわ。
それに早川君には最近無理ばっかり、ゆうとるし・・・。
彼女も明日来るんやろ、同期会?」
山中は、気を配る青井を意外そうに見て言った。
「けっこう気を使ってるんですね・・・。
彼女はともかく、僕ならいいですよ、
どうせ飲むだけだし・・・」
「アホ、お前、さっきも同期会やいうて、
気合い入れとったやろ・・・?
知っとるぞ、何や、
お前、早川君と仲ええそうやないか?」
青井に言われて、山中はムキになって言った。
「そ、そんな事ないですよ。
別に・・・・俺達、何にもないっすよ・・・。
まあ、正直に言えば僕は彼女の事、
いーなぁと、思いますけどね・・・」
「おー、ゆうやないか、後輩・・・。
若いうちはそれぐらいが、ええなあー。
そやけど・・・あの子、きっついぞー?」
青井はニヤニヤしながら言った。
「まー、確かに少し気は強いけど・・・。
青井さんにだけですよ、あんなにケンカするの。
社内でも評判ですよ・・・」
青井は頭をかきながら言った。
「まー、大阪でも、
よー、注意されとったけどなぁ・・・。
そんでもちょっとはシャレになったんやけど、
あの子にはまいるわ・・・。
ボケとツッコミがきかんさかいな。
でも、まー、ええわ、俺自体はもう変われんし、
このままで・・・。
嫌われても、しゃーないし。
そやけど、困っとんのはワープロなんや。
お偉いさんらも今はモバイルの時代やゆうて、
ちゃんとパソコン勉強せー、ゆうし・・・。
いつまでも女の子に頼るな、言うんや・・・。
そんでも俺、バリバリの文系やから、
パソコンのマニュアル本見るだけで、
ジンマシン出よるねん・・・」
山中は青井の話がおかしかった。
K大出身で5カ国語もペラペラな人なのに、ワープロに弱いなんて。
そんなところが人なつっこい感じがして、この上司が好きなのであった。
「まー、とりあえず報告書は手書きで、
お前の資料附けりゃ、今回はごまかせるやろ?
その内ワープロにも挑戦するわ・・・」
二人を乗せた電車が、新宿駅に着こうとしている。
暖かくなったせいか電車の窓が一つ開いていて、そこから爽やかな風が入ってくる。
高層ビル群が、古いビルの影から顔を出した。
山中は今日と明日の資料作りと、それが終わってからの同期会の事を思い、青井には分からないように心の中で気合いを入れていた。
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