第28話

 サラリーマンの休日の有効な使い方。それは何と言っても、昼酒である。平日の朝から晩まで精神と身体を擦り減らし、笑顔も幸福も失い、そうしてたどり着いた休日の開放感が背徳感と相まって美酒を醸し出すのだ。毎日家でゴロゴロして女房子どもに当たり散らしながら酒瓶を振りかざすような昼酒では、こうはいかない。何事も陰と陽、ケとハレ。


 とはいえ、勿論、仕事をしなくても昼から飲めるのであれば、それが一番望ましい。しかし、叶わぬ夢は心を蝕む呪いに等しい。願わぬほうが身のためなのだ。凡庸なサラリーマンたるもの、己の身の丈に合った生活というものを心がけねばならない。


 というわけで、私は背伸びの必要のない幸せのため、桜満ちたる河川敷に向かって移動中である。背中には、お酒とおつまみの入ったリュック。傍らには、身の丈四尺の飼いネコであるメニョ。


 …と言いたいところだが、メニョは現在傍らにいない。お花見に行こう、と玄関を出るところまでは一緒だったが、何分あやつはネコである。ネコの移動は3次元に展開する。塀やら屋根やら、ひょいひょいと高低差を乗り越えて最短距離を進んでいく。我々ヒトが地を這いずり回るしかないのとは大違いだ。


 私が河川敷にたどり着いた頃には、メニョは桜の木陰で丸くなって眠っていた。随分と早く到着したのだろう。黒い背中にちらほらと花びらが積もっている。私は早速メニョの傍らにレジャーシートを敷いた。


「メニョ、場所取りご苦労。」

「にゃ」


メニョが目を覚ましたので、私は頭を撫でた。妙にでかいネコを警戒してか、この樹の周りには人がいない。これならゆっくりできる。


「きれいだなー。」

「…」


メニョは返事をしない。桜を見て美しいと感じる感性がネコにあるのかどうか、いささか心もとないところではある。はらはらと舞う花びらの動きに心を奪われているのではあるまいか。


 まあ、いいや。私はメニョを枕にしてごろりと横たわった。寝そべって眺める桜はまた一興。もふもふも心地良いし。


「うぬー」


メニョが文句を言う。私の頭が重いらしい。ヒトの頭は重くできているのだからしょうがないじゃないか。私とて、もう少し軽い方が首や肩が楽になって良いと思うのだが。


 しかし、メニョが後ろ足で私の頭をしきりに蹴りつけるので、やむなく私は起き上がった。全く、飼い主の頭を足蹴にするだなんて、けしからん。私は報復に、メニョの腹をもふもふ揉みさすった。ぐふふ、ゴロゴロ言わしめてやったぜ。


「さて、と。ちびちび、行きますかね。」

「にゃー」


 私はリュックからあれやこれやを取り出した。まずは、保冷剤と一緒にしておいた、ハイボール缶。ちょっと揺られているから心配だけど、気にせずぷしゅっとな。


「くはー。これこれ。」


私はしみじみと幸せのため息を漏らした。川のせせらぎ、木漏れ日、満開の桜、傍らのもふ毛。そんな環境での昼のアルコール。嗚呼、ここは天国か、三途の川か。


 だが、私の余韻は長く続かない。肝心のもふ毛が、爪を出して私をバリバリするからだ。


「はい、はい。メニョもやらかそうぜ。」


私は注意深くハイボールを置き、ちゅーるを開封した。


「うにゃー」


メニョが待ちきれずに突進してくる。危ない危ない、ハイボールの缶が倒れるところだった。


 私が絞り出すちゅーるをメニョはべろんべろんとしゃぶる。たまに、鼻に付くので、舌で回収。


「にゃはー」


食べ終わったメニョは何だか満足げに吐息を漏らした。ちゅーるはネコにとって酒みたいなものなのか。それはマタタビなのではなかったっけ。


 まあ、良い。私も引き続き花見酒を。


 と思っていると、メニョが勝手にリュックに顔を突っ込んでいる。


「おーい、メニョ。何してるんだい。」

「うぬあ」


メニョは持参したプラ皿をシートの上に出し、メニョ用おかかおにぎりのラップを剥いて、とふ、と載せた。その横に、高級カリカリの小袋をそっと添える。


「出せということかね。」

「にゃ」


やれやれ。やはり、ネコは花よりだんごか。私はカリカリをおかかおにぎりの横にざらざらと出してやった。


 傍らから聞こえてくるカリカリという音をBGMに、私は再び酒と桜の世界に没入した。ヒト用の乾き物で、私もカリカリと音を立てる。カリカリ二重奏。何という善き日であろうか。


 そのうち、メニョはちゃむちゃむとネコまんまおにぎりを食べ始めたので、私も自分用のおかかおにぎりを食べる。お揃い、お揃い。


 しかし、至福の時は長くは続かない。


「にゃー」

「チーズはしょっぱいから駄目だって。」

「ぬー」

「あたりめはネコには食えないって。」

「うぬー」

「こら、チーちくもしょっぱいから、いかーん。」


メニョは私のつまみを虎視眈々と狙い、手を出し爪を出す。メニョは家ではここまでおねだりはしないのだが、やはり昼酒の効能か。メニョは飲んでないけど。これでは花を見る隙も、お酒をのんびり飲む暇もありゃしない。チーちくに舞い降りた花びらをうっかり食べてしまったから、胃の中で花見酒だ。


 ヒト用おつまみ攻防戦でくたびれ、やがてメニョはちょっぴり拗ねてしまった。レジャーシートの隅の方で私に尻を向けて香箱を組んでいる。仕方のないやつだ。私はごろりと寝転がり、メニョをぎゅうと抱きしめた。しっぽが不満げに揺れる。


「ネコも塩気のある物、食べられると良いのにな。」

「ぬー」

「同じ物、一緒に食べたいな。」

「にゃ」


 腹にくっついているメニョが温かい。


 私はもふ毛に顔をうずめたまま、目を閉じた。メニョのごろごろ音が川の水音に乗って響く。メニョリータ、僕も疲れたよ。何だかとても眠いんだ。このまま少し、あの世とこの世のはざまでどんぶらこと舟を漕ぐことにしよう。

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