第27話
世に中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし。ということで、古来より、桜が咲くとむずむずと飲みたくなって落ち着かなくなるのが日本人というものである。無論、歌の解釈は人それぞれなので、そうでない読み方も世には流布している。へべれけLv.33の私の解釈が酒寄りなのは致し方がない話だ。
私は会社の行き帰りにそこかしこで咲き始めた桜を見ては心蠢かせ、記憶の花を肴に冷酒を自宅ですする日々であるが、そうじゃないんだ。やっぱり、外で明るいうちから飲みたい。昼酒の背徳が良いんだ。
私は固い決意を胸に、週末の朝に早起きをした。固い決意が無いと、早起きなんてできない。あまりに早く起きたので、我が家の身の丈四尺のネコ、メニョが不思議そうな顔をしている。
「メニョ、今日はお花見に行くのだ。」
「にゃ」
「メニョも行くか?」
「にゃ」
イエスなのかノーなのか、判然としない。まあ、いいや。あとは流れで。
今日のメニョ朝食は、トーストと、ウインナーとミニトマトとピーマンの丸焼き。それに、ぬるくチンされた牛乳。ヨーグルトにはイチゴジャム。トマトのヘタが少し硬いから、よく噛まねば。おっと、ピーマンの種が歯に挟まる。まあ、飲み込んでしまえば食物繊維とポリフェノールだ。とても健康的。
朝食の食器を洗ってから、私は支度にとりかかった。確か、こんな時のためにハイボール缶が冷えているはず。よし。それから、乾き物のおつまみ。
メニョの様子をちらりと窺うと、新聞を広げてとぐろを巻き、うつらうつらしている。春の日向ぼっこはネコの大好物だ。新聞は要らないのではないかと思うが、メニョは新聞の上が好きだ。ああやっていつも腹の下に敷いてしまうので、私は読みたいときに読めないし、いつもしわしわ。
ああ、そうかそうか。レジャーシートを一応持って行こう。メニョの腹の下の新聞のおかげで思い出せて良かった。
それはさておき、メニョは行くのかな。私はメニョに歩み寄り、横腹をもふった。無言でもふ散らかしていると、メニョが顔を上げた。
「うぬ」
「メニョもお花見行く?行くなら、メニョのおつまみも持って行くよ。」
「にゃー」
行きたそうだ。ふむ。では、ちょっと良いカリカリの小パックと、ちゅーるでも持って行こう。
私が戸棚をごそごそしていると、膝裏にぬるりとした感触がやってきた。
「にゃー」
「なんだ、おかかか?ダメダメ、お前、毎日喰い過ぎだろ。」
「ぬーうー」
メニョは不服そうに唸ると、冷蔵庫に向かった。さっき私が確認したハイボール缶をすっと出してしまう。
「待て待て、それをどうするつもりだ。」
「なふ」
「いやいや、振るな、振るな。」
何というネコだ。飼い主の大事な炭酸飲料水を振りまくって噴水にしようとするだなんて。そんな脅し、どこで覚えたんだ。何というけしからんネコだ。
憤りはするものの、私はその脅しに容易に屈する。飼い主としての、ヒトとしての威厳とは、何であろうか。
「じゃあ、おかかごはんおにぎりにして持って行こう。私のお昼にもなるし。」
「にゃ」
メニョはハイボール缶をしまって、冷ご飯を出した。しょうがないので、小さいネコまんまおにぎりを二つ作り、一個にだけ醤油を少し掛けて、海苔を巻いて目印にしておく。メニョ用は、味無し。
「なーうー」
「えー、おかか足りないって?贅沢言うなよ。ちゅーるもあるからさ。」
「にゃい」
「ああ、海苔?しょうがないな、ほれ。」
メニョは焼き海苔も好きだ。私は切れ端をメニョと分かち合った。うむ、うまい。たまに上あごに貼り付いて、にゃむにゃむと格闘することがあるのは、私もメニョも同じだ。今日はお互い、恙なく食べられた。
さて、こんなところかな。準備に使った物をまた洗い、さっとそこらあたりを掃除して。
「さて、出かけるか。」
「ぬー」
メニョがぐいぐいと私の服の裾を引っ張る。
「ん、何だ…しまった、まだパジャマだった。こりゃ、うっかり。」
ふー、とメニョがため息のような鼻息を吐き出す。ぐう。くそ、私にだってもふもふとした毛皮さえあれば、着替えなどという面倒な作業は要らないのに。
しかし、人として社会生活を送る以上、TPOに応じた着衣は不可欠。しょうがないので、私はメニョが出してくれた衣類を身に着けた。ここの所、メニョが何着かまともな普段着を準備しておいてくれるので、お出かけの際にいっぱしの中年として過ごせる。コーディネートとか流行とか、その辺はよく分からんが、メニョが選んでくれてるからまあ大丈夫じゃないのかな。少なくとも、ネコ目には良く映るに相違ない。ヒトにモテる必要性は私には無いので、ネコのご機嫌をとれれば必要十分だ。
よし。私は洗面所で寝癖を直し、そこはかとない気合を入れ、背筋をぐっと曲げた。曲げないと、足元のメニョをなでられない。もふもふ。
さて、もふもふも充電完了。準備万端だ。メニョとお花見としゃれこもう。
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