第18話

 ごーん、とどこかから除夜の鐘が聞こえてくる。蕎麦とヒレ酒でくちくなった腹を抱え、私は布団に潜った。私は日付変更線上で初詣を企む口ではない。何が悲しゅうて、寒空の下、人混みの中に出掛けねばならぬのだ。寒い冬の夜は、ネコと寝るに限る。


 寒さが厳しくなってからというもの、我が家の身の丈四尺のネコであるメニョと私は、布団はひとつ、枕もひとつの生活を送っている。おかげでお互いにネコたんぽ・ヒトたんぽのウィンウィンのぬくもりに包まれて眠れる。狭いけど。


 ところが、布団の中にメニョがいない。布団が冷たい。どうしたことだ。寒くて寝られないじゃないか。


 まあ、いいか。頑張って、一人で寝よう。


 私は睡魔の促すまま、瞼を閉じた。と、その顔をぽふぽふと冷たくて柔らかい物がはたいた。眠いから無視していると、細長い毛のようなものがコチョコチョと私の顔をくすぐる。くそ、負けるか。断固、寝てやる。意地でも眼を開けまいとする私であったが、ざりざりとした鮫皮かおろし金のような触感の生暖かい物が額を撫でるに至り、とうとう眼を開けた。メニョの顔が至近に見えた。


「にゃー」

「何だよ、寝ようよ。いい子は寝る時間だぞ。ゆく年くる年も終わったろ。」

「にゃ、にゃ」


 メニョが掛布団をはごうとする。飼い主に対して、何という暴挙。


「こら、寒いじゃないか。」

「にゃーにゃー」


何か、しきりに要求している。まさかとは思うが、ゆく年くる年に感化されて、夜間に初詣に行こうというのか。メニョはあの番組の頃にはもうコタツで寝ていたじゃないか。そんなご要望には気付かぬふりをしたい。こちらは今まさに眠気の絶頂である。


「にゃー」


 メニョは両前足の肉球をぽふぽふと合わせた。柏手のつもりか。肉球では音は鳴らない。


「にゃ」


財布から出してきたのか、500円玉を見せてくる。


「待て待て。お賽銭に500円は出し過ぎだ。神様というものは、銭で動くような心の小さい存在じゃないんだから、そんなに要らないの。」


私は慌てて跳び起きた。これ幸い、とメニョが頭と前足で私を押して布団から追い出す。何しろ普通のネコより体がでかいので、こういう力技は容赦がない。私は渋々布団からはいずり出た。


 まさかパジャマで外に出るわけにもいかないので、分厚い衣類に着替える。うう、ちべたい。好い感じで温まっていた身体の熱が、冷たい衣類に奪われる。コートを羽織って、マフラー巻いて、ニット帽かぶって、小銭入れを持って。うう、防寒着そのものが冷え切っているから、厚着しても寒い。


「メニョは寒くないの?」


メニョは一張羅の毛皮一枚である。地面と接する肉球に至っては、裸足だ。私が裸足で歩いたらすぐかじかんで、しもやけになる。


「んー」


うん、分からん。寒いのかもしれないが、ネコのしなやかな身体の動きを邪魔するような衣類は無い方が良いだろう。


 とにもかくにも、気が進まない中、私はメニョと連れ立って家を出た。とても寒い。正月前後は冷え込むのが当たり前ではあるが、特に寒さが厳しい気がする。暑いよりはずっと良いが、でも、歯が鳴る。


 私はガタガタと震えながら、玄関の外で立ち止まった。道路が、白い。空を見上げると、はらはらと白い物が降ってくる。結構なペースではないか。もう一度道路に目を向ければ、一旦ついた誰かの足跡やタイヤの跡の上にさらに雪が降り積もっている。


「メニョ、雪だよ。」

「ぬう…」


 メニョはネコである。雪がこんこん降って庭駆けまわるのは犬であって、ネコではない。ネコはコタツで丸くなるのだ。メニョは玄関の中からじっと外を見つめた。


「行くか?雪積もってるから、歩くと足濡れるぞ。」

「んんんー…」


メニョはしっぽをばたばたと振った。考えている。メニョはネコだから、肉球や毛皮が濡れるのは好まない。傘を差せば身体は濡れまいが、裸足の肉球はベッタベタになること請け合いだ。


 メニョは何度か唸って、不意に二本足で立ち上がった。私にのすっと寄りかかる。


「え、抱いて行けってか?」

「にゃー」

「無理だ。お前な、自分の大きさと私の大きさをよく考えなさい。神社まで、10分くらいあるんだぞ。」

「にゃーう」


やってみる前から諦めるなんて、ナンセンスだぜ!と少年漫画のような訴えをメニョがしている気がする。えええー。現実を見ようよ。


 メニョが私から前足を離さないので、やむなく私は試しにメニョを抱きかかえてみた。重い。とても重い。ずっしりと、みっしりと、私のしなびた細腕に巨大ネコの重みが掛かる。往復10分プラス参拝の待ち時間をこの状態でやり過ごすのは絶望的だ。


「め、めにょ…無理だ、腕がもうプルプルしている。降ろして良い?」

「…なーふ…」


 私はメニョを玄関に下ろした。何となく、新年早々、お互いにしょんぼりする。我々は無言で家の中に引き返し、冷たいパジャマに着替え、冷たい布団に潜り込んだ。元気なく背中を私に向けているメニョを、ぎゅっと抱きしめて、頭を撫でてやる。


「予報だと昼は晴れだから、雑煮食ってから行こうや。きっと、屋台も出てるよ。」

「…」

「正月用の高級かつぶしやるから。」

「にゃ」


メニョからゴロゴロ音が漏れ出した。機嫌が直ったらしい。布団も温まってきた。


 よしよし。今年も一年、メニョと一緒だ。

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