第125話 山口平定
城に向かい、兵たちは火縄銃を放つ。
バーン、バーン、と発砲音がこだまする。
「これが火縄銃……!」
兵たちは興奮した。
というのも、毛利軍はこの戦で初めて火縄銃を用いたからである。
毛利軍は火縄銃の効果もあってか、攻撃は勢いを増す。
「行けー!」
「このままでは、もう持たぬ……」
城に立てこもっていた江良賢宣が降伏し、その後に山崎興盛も沼城を出て開城した。
「城主が出てきたのう」
元就は攻撃を止めさせた。
そして、捕縛した城主の山崎興盛に近寄る。
「山崎殿、もしよければわしに仕えてみぬか?」
「……生憎ではございますが、ワシは毛利殿に仕えるつもりはない」
山崎興盛は、そう言うと自ら腹に短刀を突き付け自害した。
「戦で亡くなったものを丁重に弔うのじゃ」
「ははっ!」
元就は部下にそう命じた。
同じころ。
元就による周防侵攻が進んでいた頃、大内氏の家臣団の内部崩壊も進んでいた。
陶氏の本拠である富田若山城は、陶晴賢の嫡男である長房が弟・貞明らと共に籠もっており、厳島から脱出した石見国守護代の問田隆盛も滞留していた。
しかし、大寧寺の変後に晴賢に討たれた豊前国守護代杉重矩の遺児・杉重輔が襲撃する。
重輔の挙兵は毛利と通じており、この戦いも毛利軍による攻略であった。
長房らは、防ぎきれずに城を捨てて龍文寺に逃亡して3月2日に自害した。
父親の敵である陶氏を討ち滅ぼした重輔であったが、これに怒った内藤隆世が重輔の討伐に動く。
義長はこれを仲裁して止めようとするも失敗し、両者の軍勢は山口後河原で戦いとなる。
この戦いで山口の街は焼かれ、敗れた重輔が防府にて討たれたのは3月4日であった。
山口の街を元就の指揮の下で再整備するのにはかなりの年月を要したという。
「一つ戦が起これば、また連鎖して戦が起きるんだよな……」
「本当に……」
松井も悠月もつらそうに言う。
「戦なんて、なければいいのに」
二人は心底そう願うのであった。
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