第97話 大寧寺の変 前編

「やはり、見過ごしておくわけにはいかん!」

陶はそう言って、陶と同じく武断派に属する数人の大内家の家臣、そして自分に宛がわれている部下たちに反旗を翻す旨を伝えた。

武断派の家臣、そして部下たちは陶とともに挙兵することとなったのである。


「さて、どこから攻めるか……」

内藤興盛は陶に尋ねた。

「まずは東の厳島、そして桜尾城を我らが接収、援軍に来るであろう毛利軍には佐東銀山城近辺を接収させ、山陽道を封鎖する!」

大内家を逃がさぬ、陶はそう奮い立っていた。


8月28日。

若山城から出陣した陶軍は、隆房率いる本隊が徳地口から、陶家臣の江良房栄・宮川房長率いる別働隊が防府口から山口に侵攻した。

「義隆はまだこちらに気付いておらんようだ」

陶は呆れ半分で言った。

自らを殺害すると分かっているなら、普通ならもう逃げているだろう、と思っていたのである。

もっとも、もしかしたら『どうせ死ぬのだから』遊び惚けてからと思っているかもしれないが。


山口に入ったのは同日正午頃で、杉・内藤の軍勢も呼応して陶軍の陣営に馳せ参じた。

陶軍は兵力5,000〜10,000人。


そもそも8月23日には陶軍の山口侵攻の噂で騒然としていた。

それなのに豊後大友氏からの使者等を接待する酒宴を続けており、隆房出陣前日の27日には能興行を行っていた。

本当にのんきだと言われても反論ができぬ、というほどの有様である。


「杉重矩邸への討ち入りをしてはいかがでしょう?」

冷泉隆豊はそう進言した。

「杉と内藤は敵にはならないだろう。心配はあるまい」

義隆はそう答えた。


隆房の侵攻を伝える注進が届いてようやく義隆は、大内氏館・築山館を出て多少でも防戦に有利な山麓の法泉寺に退いたが、時はすでに遅し。


本堂に本陣を置き、嶽の観音堂・求聞寺山などを隆豊らが固めたが、一緒に逃亡した公家たちや近習らを除けば、義隆に味方した重臣は隆豊くらいであり、兵力も2,000〜3,000人ほどしか集まらなかった。

対して侵攻する陶軍は10000程度の兵がいるのである。


組織的な抵抗もほとんどできず、空となった大内氏館や周辺の近臣邸は、火をかけられたり、宝物を略取されたりした。

「前関白の二条尹房は興盛に使者を送ろうぞ!」

義隆は大急ぎで筆を執る。

『義隆は隠居して義尊を当主とする』という和睦斡旋を懇願する。

だが、やはりそれは拒否された。


法泉寺の義隆軍は逃亡兵が相次いだことから、翌29日には山口を放棄して長門に逃亡。

義隆は大名から一転、逃亡生活を送ることとなった。

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