第45話 戦後の跡

翌日から、大内義隆たちは忙しく後処理に追われていた。

吉田郡山城の救援が成功したことで勢いが乗ったこともあり、続けて桜尾城や佐東銀山城など周辺の反大内勢力を毛利氏と共に制圧することとした。


そして、大内義隆は先行して幕府側にも毛利軍の事に対する報告を行った。

元就自身も使者を派遣して天文10年2月16日付で記載した戦況報告書『毛利元就郡山籠城日記』を宍戸元源の書状とともに、幕府の木沢長政のもとに持参させ、足利義晴や管領の細川晴元らに披露させた。


大内義隆が安芸守護に任じられたため、弘中隆包を安芸守護代に任じて厳島を含む安芸の支配体制を強化している。


「それにしても、父上の日記が役に立ちましたな」

隆元は感心しきりで言った。

「うむ。こういった記録はやはり付けておくべきじゃな」

元就も頷く。


大内義隆が安芸守護に命じられたことで、尼子方から大内方に鞍替えした主要な国人衆から、尼子氏退治を求める連署状が提出される。

やはり、群雄割拠のこの時代、強い者の元に付きたがる者が多いのである。

これを受け、陶隆房らの主導により、天文11年に大内義隆は出雲へ遠征することとなった。


一方で尼子は安芸・備後・石見のみならず出雲でも国人領主たちの多くが離反、備前・播磨では赤松氏や浦上氏が勢力を盛り返すなど、膠着状態であった中国地方の勢力争いは大きく衰退することとなった。

そして、11月13日には尼子経久が病没してしまう。

この機に乗じて尼子氏を叩こうとした大内義隆により、室町幕府から尼子討伐の綸旨も出されるなど、尼子氏は窮地に追い込まれた。


「このままでは、我が一族は壊滅してしまう……!」

尼子晴久は嘆いた。

だが、勢力などすぐに回復するものではない。

「あの男の言葉を真に受けて居れば、多少は変わったであろうか……」

晴久は、松井の言葉を思い出していた。

毛利から降伏してきたという兵たちの言葉を真に受けないようにと注意を促してきたのを流してしまったことに対しては、後々深く反省した。

そして、松井は姿を消してしまった。


「そういえば、隆元様」

「どうした?」

「……松井はこれから、どうなるのでしょう?」

「ふむ……、もう少し待ってくれんか。父上と相談をする」

「わかりました」

悠月は少し不安そうだが頷いた。

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