第24話  三人目の犠牲者

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 部屋の中心部に横たわっている死体から目を背けながら、二人は右手の壁の下部にあるその小さな扉の前に立った。


 リリーは安堵し、大きく息を吐いた。というのも、彼女はクロックを疑っているからだった。


 ハーブやミーシャがあのような惨い殺人に手を染めるはずがないし、レリックやイリヤも過激派ではないから除外できる。六助はドナルド殺害の犯行時間帯に常に自分と一緒にいた。となれば残るはあの大男だけだ。


 饅頭のような丸い手を起用に使い六助は二つの瓶を開けた。


「こっちの赤いのが小さくなる薬だ」


 小さな飴玉のような薬を受け取った。


「私これ初めて飲むわ。説明書も読んでおきましょう」


「俺にも見せてくれ」


「はい」




『この薬は体の大きさを変える薬です。赤い方が小さくなって、青い方が大きくなります。一時間経つと効果が切れて元の大きさに戻ります。それよりも早く戻りたいならもう片方の薬を食べましょう。※注意 薬の効果は食べた本人とそれに付随する物にのみ働きます。また、この薬自体は巨大化及び収縮の効果を受けないので、安心して使うために誰かと一緒に遊びましょう。また服薬中に死んでしまっても効果は持続するので注意してね♪』




 二人で肩を並べてくたびれた用紙に目を落とした。その時、六助の体がわなないてることに気づいた。冷静沈着な彼も、この異常事態に精神の限界を感じているのだろう。


「ふむ、薬自体は効果を受けない、か。じゃあ青玉の方も最初から取り出しておいた方がいいな」


 もう片方の瓶から青い薬を二つ出し、床に並べた。


「……よし、食べるぞ」


「うん」


 二人同時に赤い玉を口に放り込んだ。薬草を煮詰めたような底なしの苦みが口全体に広がった。


「まっず」


 文句を垂れながら薬をかみ砕き、飲み込んだ。その途端、全身に不快な寒気が走った。やがて視界が不明瞭になり、辺りの様子が一変した。


 気がつくと、すでに二人は小さくなっていた。


 天井が遥か遠くに見える。


 まるで空を見上げているようだ。


 元に戻るための青い薬玉はリリーの腰辺りまでの高さがあり、かなりの重量があった。横幅も六助のおなか周りより幅がある。


「ちょっと六助、私こんなのおっきいの運べないわよ……重いっ」


 六助はどこか悲しそうに目を細めて、


「運べないなら仕方ないな、ここに置いておこう」


「え、いいの?」


「ああ」


 どこか冷めた様子の彼だった。この薬の説明書を読み始めた時から、彼の様子がおかしいような気がした。気のせいだろうか。


「今の時刻は八時五十分か。よし、行こう」


 遥か遠くに見える巨大な掛け時計に一瞥をくれてから、相対的に通常サイズとなった扉を開き、二人はその通路を進んだ。


「やだちょっと、真っ暗じゃない」


 当然ながら通路内に光源などない。六助の持っていたライターが唯一の明かりだった。


「こいつが一緒に小さくなってくれてよかった」


 床には緑色の絨毯が敷かれており、歩き心地は悪くない。石造りの壁はいたるところに亀裂が走っていて、今にも崩れ落ちるのではないか、と不安になった。


 通路内にはひんやりとした空気が流れている。


 二人の仲間を殺した犯人が歩いた道だと思うと、その冷気はひどく不気味なものに感じられた。

 道中、六助はほとんど口を開かなかった。通路内に犯人の痕跡が残っていないからだろうか。たまにぶつぶつと独り言めいたものを口にするだけである。


 それにしても今自分たちはアジトのどこを通っているのだろうか。


 すでに二回も角を曲がった。坂になっている箇所があったかと思うと、急に道幅が狭くなり、六助がやっと通り抜けられるような箇所もあった。また、通路内に他の部屋と繋がっている扉などは見受けられなかった。


 やがて、行く手に扉が見えてきた。


「長いようで短かったわね」


 この家の中を巡っているのだから、それほど長い道のりではないだろう。このアジト以外の場所に通じているというのなら話は別だが。


「そうだな」


 扉の先は誰かの部屋のようだ。少なくとも自分の部屋ではない。


「ここはキーラの部屋だな。時刻は九時八分か。もう少し歩調を早めれば片道十五分くらいで行き来できるだろう」


 六助はきょろきょろと辺りを見渡した。


「キーラの……」


 数時間前の彼の断末魔が耳元で鳴り響いた。


 リリーは必死に頭を振って、その幻聴を払った。彼の部屋に入ったのはこれが初めてだ。案外片付いているな、と感じた。趣味の悪いコレクションが溜め込んであると思っていたが、そのようなものは見当たらない。


(それにしても……)


 なぜ、こんなことになってしまったのだろうか。


 レリックがありすを連れてきた時は、我が目を疑った。元々彼が、ありすと出会う予言を授かっていたことは知っていたが、それにしてもできすぎた話だと思った。しかし、目の前のありすが放つ、安らぎにも似た魔力を肌で感じ、彼女があの「ありす」であると確信した。明るい未来の幕開けを感じたのだ。


 それなのに……


(ありす様が来てから、こんな事件が起きてしまった)


 ありすのせい? 彼女がこのアジトに来たから、キーラもドナルドも死んだのか?


(違うわ)


 裏切り者はすでに潜んでいた。何年も本当の顔を隠し、自分たちを欺いていた。好機が来るのを待っていたのだ。全ての責任は裏切り者にある。断罪すべきは裏切り者一人だ。


 六助は扉の前で立ち尽くしていた。床に視線を落とし、組んだ指をもぞもぞと動かしている。考えをまとめているようだ。しばらくの間そうしていた六助は、急に弾かれたように踵を返して、


「よし、リリー戻ろう」


 そう言ってきびきびと暗い通路に戻っていった。そのあとを追い、リリーも小人の道へ走り出す。六助は肩をいからせながら、先を急ぐように歩いていた。


「ねぇ、六助。なんで過激派の連中は世界の終わりを望むのかしら」


「判らない」


 前を行く彼はぶっきらぼうに答えた。


「たしかにありす様は私たちがエリナ女王に対抗するための唯一の武器よ。それを奪われてしまえば、きっと私たちは永遠にエリナ女王に平伏していくしかないわね」


「ありす様を物みたいに言うじゃあない」


「あくまで例えよ。でもね、私、こうも思うの。ありす様を奪われて、太陽のない世界でずっと生きることを強いられても、それはそれで仕方のないことじゃない。だって今までだってそうだったし、夜の世界での生活だって、そう悪いものじゃあないでしょ」


「じゃあ君はなぜマッド・ハッタ―に志願したんだい?」



「それは、できることならお日様の光を浴びて生活したいって思ったからよ。でももっと大切なのは生きることだと思うの。死んでしまえば、何も残らない。どれだけ惨めで辛くても、生きることができているならそれは幸福なことなのよ」


「そう思わない人種もいる、ということだよ。今回の事態はそういう歪んだ思想が引き起こしたんだ。敗北するくらいなら、世界そのものを消してしまえ、と考えるのは、理解できない考え方ではない。ただあまりにも幼稚だけどね。例えば、チェスで負けそうな時に盤をひっくり返して駒をバラバラにし、『このゲームはおあずけ』と言ってるようなものだよ」


 ゲームと現実では程度が違うのでは、とリリーは思った。


「六助は誰が犯人だと思う?」


「まだ判らない。ただ、犯人が過激派であると断定できるなら、一人だけ該当者が見つかる。時間的矛盾の謎はもう解けた」


 頼もしい声で彼は言った。


「誰なの?」


「クロック」


「まあ」


 やはり六助もそう考えていたようだ。しかし彼は気になることも口にした。「犯人が過激派であると断定できるなら」とはどういうことだろうか。

 尋ねてみても、六助はそれ以上語ろうとはせず、一刻も早くこの通路を脱出したいようだった。

 やがてドナルドの部屋に通じる扉が見えてきた。六助はノブに手をかけながら呟いた。


「女王軍は今どの辺りにいるのかな。嫌な予感がする」


 二人は部屋に出るとすぐに青い薬をかじり、元の大きさに戻った。その刹那、小人の視界では認識できなかったが視界に飛び込んでき、リリーは絶句した。眼前の状況が理解できない。足がすくみ、腋の下を汗が伝った。


「なんで、どうして?」


 二人が小人の通路に入るまではあんなものは存在しなかった。ドナルドの遺体に覆いかぶさるようにして、一人の人間が死んでいる。床に飛び散った血しぶき、見開いた目。その者の首には深々とナイフが突き立てられていた。


 これ以上は正視できない。リリーは斜め下に視線を動かした。


「馬鹿な」


 六助が遺体に歩み寄り、仔細に遺体を調べ始めた。


「死んでる。即死だ。凶器はこの果物ナイフだな」


「どうして、ねぇ六助、いったい何が起きてるのよ。さっき言ったばっかじゃない。犯人はクロックだって」


 リリーは三人目の被害者クロックから目を背けながら、声を張り上げた。


 なぜ彼が殺されているのだ?


 六助は床に膝をついたまま、がっくりとうなだれている。彼のふくよかな頬から汗がしたたり落ちるのが見えた。


「判らない……判らない」


 六助はうめくようにその言葉を繰り返し続けた。


「判らない、判らない……あいつはいったい何者なんだ?」


 その言葉の意味もまた、リリーには理解できなかった。

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