第16話 ギルドマスターからの指令
『塔』から帰還した翌朝、日が昇ってすぐのころに目を覚ました。
「あ……くぅ……」
身体を起こしたラークは腕や肩を動かし、きしむ身体をほぐしていく。
「んー……」
ぼんやりとした頭のままふと視線を落とすと、隣に寝る姉の姿に気づいた。
「姉さんっ!?」
「んぅ……うるさいわねぇ……」
ラークの声に、アンバーが目を覚ます。
「ちょっと、なんでここで寝てんのさ?」
「ふぁ……」
身体を起こした彼女はぐっと身体を伸ばしたあと、半開きの目を弟に向ける。
「アンタが戻ったって聞いたから、急いで帰ってきたのよ」
「それはわかったけど、なんで俺のベッドで寝てるの?」
「あたしも疲れてたからさ。部屋に戻るのが面倒になっちゃって」
「はぁ……やめてほしいなぁ、こういうの」
「いいでしょ、たまには」
そう言って目をこすったあと、まだ明るくなりきっていない窓の外を見たアンバーが眉をひそめる。
「ちょっと、起きるの早くない? もうちょっと寝なくていいの? 疲れてるんじゃないの?」
「いや、昨日かなり早い時間に寝たから、大丈夫。それに、ここまで目が覚めれば二度寝する気にはなれないよ。
「そう、ならいいけど……」
そこでアンバーは、まだぼんやりとしたままの目をラークに向けた。
「で、どうだったの?」
「あー、うん。なんとかうまくいったよ」
その答えに、弟が『塔』での目的を果たしたのだと察したアンバーは、ふっと微笑んだ。
「ふふっ、よかった……じゃ……」
アンバーはそう言うと、再びベッドにねころがった。
「姉さん、起きないの?」
「あたしは夜遅かったのよ。だからもう少し寝るわ」
「……部屋に戻る気は?」
「ない」
アンバーはそう言うと、シーツを頭から被ってしまった。
「はぁ……」
姉の態度にため息をついたラークは、気を取り直してベッドを降りた。
――ぐぅ……。
そこで、ラークの腹が鳴る。
「サンドウィッチ、あるわよ……」
ベッドに潜り込んだアンバーが、ぼそりと呟く。
サイドテーブルを見ると、油紙に包まれたサンドウィッチがいくつかあった。
「おおー! サンキュー姉さん!」
ラークは姉に礼を言うと、ひとつをペロリと平らげた。
そしてふたつめを半分ほどたべたときだった。
――ねぇ、サンドウィッチって、なんでサンドウィッチっていうのか知ってる?
ふと少女の声が頭に響いた。
少女は嬉しそうにその知識を披露してくれたのだが、それが誰だったかを思い出せない。
「姉さん、サンドウィッチって、なんでサンドウィッチっていうか知ってる?」
「……知らないわよ」
「そっかぁ……」
物知りな姉に教えてもらったのだと思ったが、そうではないらしい。
サンドウィッチを咀嚼しながら記憶を辿っていくうち、ふと思い出した。
「あー、そっか。あのときボヘムで……」
まだジョブを授かる前、家族とともにボヘムを訪れたとき、そこで出会った少女が教えてくれたのだった。
そのボヘムも、滅んでしまった。
――俺はラーク。君は?
少女に声をかけたときのことが、頭に浮かんだ。
「無事かな、あの娘……」
顔も名前も思い出せない少女に、思いを馳せる。
「いや、それどころじゃないか」
ラークは小さく頭を振ると、残っていたサンドウィッチを口に放り込む。
「すぅ……すぅ……」
気づけば、姉は寝息を立てていた。
「それじゃ、いってきます」
ラークはベッドで眠る姉にそう告げ、部屋を出た。
○●○●
早朝だというのにギルドにはかなりの冒険者がいて、職員がいろいろと指示を出していた。
昨日はなんとなく聞き流してしまったが、
「おう、ラークか」
「あ、ギルマス。おはようございます」
受付へ行こうとしたところで、チェブランコに声をかけられた。
ギルドマスター自らこの早朝に陣頭指揮をとるとなると、いよいよ状況も切迫しているのかもしれない。
「なんだか大変そうですね」
「のんきなことを言うな。お前も当事者だぞ?」
「それはそうなんですけどね」
ひと月ものあいだ世間と離れて過ごしていたせいか、まだ日常的な感覚が戻っていないのかもしれず、ラークはどこか緊張感を欠いていた。
「まったく、こんなことならパーティーの再編成を認めるのではなかったよ」
チェブランコはそう言ってため息をつき、少しばかり恨めしげな視線をラークに向ける。
彼が辞めさえしなければ『幸運の一撃』は残っていただろう。
彼らの離脱はいまのギルドにとって、結構な痛手だった。
「そういうわけで、お前にはしっかりと働いてもらうからな」
ラークは自分のわがままでこの町の戦力を落としたことを、わずかながら申し訳なく思っていた。
だが再編成によって辺境へ向かったり戦力を落としたりしたパーティーは多数存在するので、過度な責任を負うつもりはない。
「ええ、ラキストたちのぶんまで、俺が働きますよ」
それでも彼がそう答えたのは、新たに得た〈ディープラーニング〉の力を試したいという思いがあるからだ。
「よし、ではラークには『廃坑』に向かってもらう」
「わかりました。とりあえず魔物を片っ端から狩っていけばいいですか?」
「いや、最深部にいってコアを破壊してくれ」
「コアって……ダンジョンコアを? 破壊するんですか?」
ダンジョンコアとは、ダンジョンの最深部にある心臓のようなものだ。
コアがある限りダンジョンは魔物を生み出し続ける。
逆に言えば、コアさえ破壊すればダンジョンには新たな魔物が生まれなくなり、
「いいんですか?」
「かまわん」
そう言ったチェブランコだが、苦い顔をしてた。
迷宮都市の主な産業は、ダンジョンの魔物から得られるドロップアイテムと魔石の採取だ。
コアを破壊してしまうと、残った魔物を倒したあと、新たな素材を得られなくなってしまう。
「どうせしばらく耐えれば、復活する。その前に町が滅んでしまっては、再興も叶わんからな」
ダンジョンコアは破壊されても半年から1年で復活する。
もしダンジョンを完全に停止させるのであれば、コアが復活するまでのあいだに、物理的に破壊し尽くす必要があった。
『草原』なら燃やす、『神殿』なら倒壊させる、『廃坑』なら埋める、といった具合に。
つまりダンジョンコアを破壊しても、ダンジョンそのものを残しておけば、いずれ町は再興できるのだ。
この町では過去にもコアを破壊することで
「じゃあほかのところも、コアを?」
「うむ。『神殿』には『黒の道化師』を向かわせた」
『黒の道化師』は1級パーティーだが、ギルマスの頼みで防衛戦力として残留していた。
「『草原』には残留した3級パーティーを中心にレイドを組んで送っている」
レイドとは、複数のパーティーで連携をとり、数十名から百名にのぼる大人数で戦うことを指す。
『草原』のようにだだっ広いダンジョンは数を頼んで、『神殿』のように入り組んだ迷宮じみた場所は少数精鋭で挑むのは、ごく一般的な戦術だろう。
『塔』はいまだコアに辿り着いた者がいないので、間引きのみに留まっている。
他に比べればまだ活性化の度合いが低く、これまで一度も
「それじゃあ『廃坑』は手つかずですか」
「いまのところ間引きで手一杯だな。だから優秀な冒険者がくるの待っていたわけだ」
ギルドマスターはそう言ってニヤリと笑った。
『廃坑』は『神殿』よりも高難度のダンジョンだが、それは全体を見ればの話だ。
『廃坑』という名の通り、複雑かつ広範囲に坑道が入り組んだそのダンジョンは、場所によっては危険なトラップや強い魔物が出現する。
だがコアまでの
「とはいえ、いまの状況でラークひとりをいかせるわけにはいかんな」
真顔に戻ったチェブランコがあたりを見回す。
そのなかにちょうどいい人材を見つけたのか、彼は少し表情を明るくした。
「エドモン、こい!」
ちょうど受付に向かおうとしたエドモンを、ギルドマスターは呼びつけた。
「……なんでしょう?」
招きに応じてやってきた彼は、ちらりとラークを見てかすかに眉をひそめたあと、チェブランコに問いかける。
そんなエドモンの態度にラークは少し驚いたが、だまって様子を見ることにした。
「これよりラークとふたりで『廃坑』に向かってくれ」
「えっ、いやです」
エドモンはギルドマスターの指示に即答し、ラークから一歩離れる。
「いや、お前……」
「えぇ……」
これにはチェブランコもラークも呆れるしかなかった。
「話はそれだけですか? ならボクはいかせてもらいますけど」
「いや待て、駄目に決まっているだろう。というかお前らはいまパーティーを組んでいるはずだが?」
「それは……」
チェブランコの言葉に、エドモンが顔をしかめる。
「これはギルドマスターとしての命令だ。ラークと協力して『廃坑』のコアを破壊してこい。そうしたら『塔』でのことは不問に付してやる」
「……そういうことならボクひとりでやるので、それでチャラにしてください」
「だからそれは駄目だ。魔物が活性化しているこの危険な状況での単独行動は許さん」
「それはボクが
「
「なんと言われようとも、ボクはもう誰とも組むつもりはありません」
「はぁ……お前なぁ……」
エドモンのかたくなな態度に、ギルドマスターがまたもため息をついた。
「さっきのことで、機嫌を損ねてるのか?」
「そういうわけでは……」
「いっておくが、あれはお前たちが悪いのだからな」
チェブランコはそう言ったあと、エドモンとラークを交互に見る。
どうやら『塔』内で別れたことを、言っているらしい。
「あはは……」
ギルドマスターの視線を受けたラークは、愛想笑いを浮かべた。
ふともうひとつの視線を感じてそちらに目を向けると、不機嫌そうなまま自分を見ていたエドモンが、すっと目を逸らした。
先ほどラークを見る目が冷たかったのは、チェブランコに叱られたからだろうか。
「なぁ、エドモン」
エドモンに向き直ったチェブランコが、話を続ける。
「無理に連携を取ったり共闘したりしなくてもいい。互いに見える位置で行動して、なにかあったときにほんの少し手助けしてやる、くらいでいいから、な?」
たとえそれぞれがひとりで行動していようとも、近くに誰かがいるだけで危険度はかなり下がる。
身動きが取れないほどのケガや毒などを受けても、回復してくれるような相手がいれば助かることは多いのだ。
そんなことを丁寧に説明したところで、ようやくエドモンが折れた。
「これは、ラークに預けておく」
『廃坑』行きが決定したところで、ギルドマスターは懐からひとつのブローチを取り出し、ラークに手渡す。
黒く大きな宝石を金細工で飾ったものだった。
「これが、噂の鍵ですか」
「ああそうだ」
ラークは受け取ったブローチを、ポーチに納めた。
「ラーク、エドモン。くれぐれも頼んだぞ」
「ええ、任せてください」
ギルドマスターの言葉にラークは明るく答え、エドモンは無言で一礼だけをして踵を返す。
「2時間後に『廃坑』の入り口で会おう」
彼はそう言い残して、颯爽とギルドを去っていった。
「なぁ、お前ら『塔』でケンカでもしたのか?」
「あー、いえ、それは、その……」
「……正直に全部話せ。さっき言ったとおり、今回の件が終わったら虚偽報告の件はなかったことにしてやるから」
「あー、はい、実は……」
そこでラークは事情を説明した。
「やっぱりルール違反の片棒を担がせたのが悪かったんでしょうか」
「んー、どうだろうな。パーティーをでっち上げて入場規制をすり抜けるというのは、よくある話だからなぁ……」
「えっ、よくあるんですか?」
「まぁ、あっちゃいけないんだがな」
軽く驚くラークに、チェブランコは困ったように苦笑する。
「あのー、もしかして姉さんとなにかあったとか?」
「エドモンとアンバーがか?」
「はい。姉さんの頼みを聞く代わりに、その、付き合うとかそういう……でもそれがこじれちゃったとか……」
「いや、それはない」
「えっ、なんでですか? 姉さんは見ての通り美人ですし、頭もいいですし、気立てもいいですし、かなりモテますよ? エドモンが姉さんのことを好きになって、だから頼みを聞いてあげて、でもエドモンが思ったような展開にはならなくて、だから機嫌を損ねて俺に八つ当たりしたんだとしたらあの態度にも説明はつきますよね?」
突然早口でまくし立ててきたラークに、エドモンがため息をつく。
「はぁ……お前、シスコンか?」
「いえ、ちがいますけど? 客観的に見て姉さんは美人で頭も気立てもよくてモテるから、エドモンが好きになってもおかしくないって話をしただけです」
「ラーク、それはないと言っているだろう」
「だからなんでですか? エドモンは前から姉さんのことが好きで、ずっと姉さんを見てて……あ、そうか、だから都合よく助けてもらえたのか」
「いやだから、エドモンは女のケツを追い回すようなやつじゃないからな」
「別にエドモンが女好きだなんて言ってません。姉さんに惚れてるんじゃないかって話です。それにそのことを俺はとやかく言うつもりはありません。そのおかげで助かったのかも知れないし? っていうかエドモンはいいヤツだし、普通にカッコイイし、弟としては大歓迎なんですけどね」
「……とにかく、あいつのお前に対する態度についてはよくわからんが、少なくともアンバーとの恋愛絡みじゃないことはたしかだ」
「なんでギルマスにそんなことがわかるんですか? 言っておきますけど俺は姉さんの弟ですよ? 姉さんがどれだけモテるか、ずっと見てきたんですから」
「それを言うなら俺だってエドモンの……」
「エドモンの?」
そこでギルマスは慌てて目を逸らし、軽く咳払いをする。
「んんっ……! あー、とにかく、わかるもんはわかるんだよ。というか、シンプルにお前が嫌われているだけじゃないのか?」
「えー、それは普通に傷つくなぁ……」
そう言ってわざとらしく顔をしかめるラークを見て、チェブランコは、今朝何度目になるかわからないため息をついた。
「まぁ、あれだ。エドモンにも言ったが、適度に距離を置いていいから、うまくやってくれ」
彼はそう言い残すと、その場を去って行った。
ギルドマスターは何かと忙しいのだ。
「……準備だけはしっかりやっておくかな」
出発まで少し余裕ができたので、ラークは魔石の納品や消耗品の補充など
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