第162話 死闘
「えぇ?もうやめちゃうの?あともうちょっとだったのに」
扉一枚隔てた向こう側から聞こえる会話は情事のそれだった。
金で女を抱くなど穢らわしいし金で股を開く女が同性として恥ずかしい、ノエルはそう思った。
「いや、客が来ているようなんでな?」
その言葉は扉の外のノエルに向けられたものだった。
ノエルもそれに気づくとサッと音も立てずに扉との距離を取る。
ノエルの挙動を知ってか知らずかクルデーレは言った。
「蔵書室で待っていろ」
ノエルはもう正体がバレている以上、部屋に押し入って殺すことは諦めてクルデーレの指定した蔵書室に向かうことにした。
向こう側から指定された場所であることから先に入ることで仕掛けの有無を調べようというわけだ。
棚の隙間、天井、床下、扉と隅々まで細工が施されていないか確かめていく。
「安心しろ、無粋な仕掛けなどあるはずもない」
ノエルの背中に声をかけたのは、もちろんクルデーレ。
「敵の言葉を信じられるとでも?」
「疑うなら好きにしろ。どうせお前は俺に負けてこの場で死ぬんだからなぁ?」
クルデーレは例の湾刀を鞘から引き抜いた。
それに合わせてノエルも二本の短剣抜く。
「一人でこの俺を相手取ろうとは、随分と死に急ぐようだ」
棚と棚に挟まれた狭い通路で対峙する二人。
先に仕掛けたのは、クルデーレだった。
床を勢いよく蹴って間合いを詰める。
ノエルはその姿を見ると逆に間合いを取るように駆け出した。
「逃げるのか?」
ノエルはクルデーレの声には答えず、書棚にかかっていた梯子を倒した。
すると梯子が上手い具合に通路を塞ぐ。
だがクルデーレは、姿勢を低くしスライディングするようにして倒れかかる梯子を避けてみせた。
「そんなんじゃすぐに追いついちまうぜ?」
下卑た笑みを浮かべるクルデーレに一瞥くれるとノエルは、棚を思いっきり蹴飛ばした。
すると、高く積み上げられた蔵書が崩れ始める。
僅かに一瞬、崩れ落ちる無数の本でクルデーレの視界は妨げられる。
ノエルはそれを狙っていた。
棚に足をかけると反対の棚へと飛び移りどうにか棚の上へと乗ると、クルデーレの背面目掛けて飛び降りた。
そして深々と背中を抉るよう短剣を突き出す。
しかしそれは、イメージに過ぎなかった。
クルデーレはすんでのところでその攻撃を交わしていた。
ノエルの手元に残る感触は布を切り裂いたようなものだけだった。
「危ねぇ危ねぇ」
言葉とは裏腹に全く危機感を感じさせない口調でクルデーレは言うと、再びノエルとの間合いを詰めようとする。
無駄のない最短の軌道で繰り出される剣戟は、目にも止まらぬ速さだ。
「どこまでついて来れるかなぁ?」
クルデーレは死合いを楽しんでいた。
「減らず口を!」
ヴェルナールの補佐役についてから現場を離れることが多くなったノエルだが、日々の鍛錬は欠かさず時にはヴェルナールや腕っ節の兵士たちとも剣を交えているだけあって、衰えのない剣の筋をみせる。
ときたま繰り出す不意打ちのような鋭い突きにもしっかりと対応していた。
しかし男と女では持てる体力が違う。
それ故にノエルの剣は少しずつ乱れ始めていた。
「お、隙が増えたねぇっ!」
「チィッ!」
ノエルは大きく飛び退くことで、間合いから出ようとするもクルデーレはそれを逃さない。
ノエルが退いた分だけ、クルデーレは詰める。
「はぁはぁ……」
ノエルは息が上がり始めていた。
「そろそろ終わらせるか」
クルデーレはニヤリと笑うとますます剣を突き出す速度をあげた。
ノエルの対応しきれない領域に突入しつつある剣戟にノエルの体には少しずつ浅い傷が増えていく。
「閣下……」
一人でクルデーレを殺しに来たことに後悔をしながらノエルは無自覚のうちにヴェルナールのことを呼んでいた。
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