第18話「禁止カード」





「ロ、ローリー様……? あの、なぜ、魔法についてそんなに詳しくご存知なので……? 魔法についてお教えしたことは無かったはずなのですが……。いえ、どのみち私にはお教え出来ない事ですが」


 今聞くべきなのはそれじゃない、とわかっていながらも、ひとまず落ち着くためにダミアンは脳裏に浮かんだ疑問をそのまま口にした。


 魔法と言えば、貴族と平民を隔てる最もわかりやすい力の差の象徴である。蠻獣ばんじゅうとの戦いを生業とする狩人ハンターや職業兵士のような、一般人とはかけ離れた実力を持っている者にとってはそうでもないかもしれないが、それは貴族とて同じことだ。経済力のある貴族や一部の富裕層は、狩人を雇って我が子に安全に小型の蠻獣と戦わせ、力を高めるという話もある。

 スタートラインが違うのだから、同じだけの努力をすれば貴族の方が優位になるのは当たり前のことだ。


 そんな魔法の発動キャンセルの条件など、貴族の絶対的優位性を覆しかねない特級の機密事項である。遠くスフォルト帝国でも魔法は貴族だけのものだと聞いたことがあるので、大陸全土を揺るがしかねない重大な機密だ。

 それが事実だとしたら、一介の傭兵が知っていて良い事ではない。むしろ根無し草の傭兵にだけは知られてはいけない内容であるはずだ。

 いや、実際にアーロンの魔法は不発に終わったのだから事実なのだろうが。


「ははは。ダミアン殿。人間、誰かに教わらずとも自然と知っていく事というのはあるものだよ。特に何度も目にし試行錯誤を繰り返す機会に恵まれた事などはね。

 私にとっては魔法の止め方がそれだったというだけの話だ。いちいち避けたり耐えたりするのが面倒になったのでね。撃たれる前に、あのぴかぴか光って目立っている部分を破壊してみたらどうなるのかという、まあ好奇心の産物だな。最終的にはそんな細かい作業をするくらいなら息の根を止めた方が早いことに気づいたので、そう活用出来る豆知識ではなかったが……ここで役に立って良かったよ」


 言っている事が明らかにおかしい。

 ローリーは「何度も目にし試行錯誤を繰り返す機会に恵まれた」と言うが、何度も魔法を目にしているような人間は普通は存在しない。たいていは最初の一度で死亡してしまうからだ。運良く生き延びられたとしても、二度は耐えられないだろう。

 それに「発動体を破壊すれば」と簡単に言ったが、今まさに魔法を撃たんとしている貴族の持つ発動体を破壊するなど、容易に出来る事ではない。ましてや、今のアーロンのように、一部の高位貴族の中には発動体無しでも魔法を使う者がいるのだ。その場合は腕が発動体代わりになっているらしいことは、ダミアンは今初めて知ったが。

 いずれにしても、間違っても好奇心でやっていい事ではない。

 あと、豆知識というレベルでもない。豆にそんな重い期待を背負わせてどうする気なのか。


「な、なるほど……? それで、なぜここに……」


 ローリーはルーベンより、離れから決して出ないよう言いつけられている。ローリーの性格なら、それを自ら破るような事は絶対にしないはずだ。


「ふむ。今日、ダミアン殿に教わった事をさっそく実践してみようかと思ってね。あれだよ、親に逆らう子供──反抗期というやつだ」


 ああ。

 とダミアンは頭を抱えそうになった。

 余計なことはしないほうがいい、と公爵に進言したのはダミアン自身である。あれはローリーの特殊な倫理観を刺激したくない一心での言葉だったが、それだけでは足りなかった。

 一般常識すら、もうあれ以上教えるべきではなかったのだ。


「──あああ! うあああああ! き、貴様らあ! 呑気に話をしている場合か! 私の腕が、そうだ、う、腕、腕を返せ貴様あ!」


 そこに、我に返ったアーロンが突撃してきた。

 彼は残った左手を突き出し、ローリーの持っている彼の右腕に掴みかかろうとする。


 それを後目しりめに、ダミアンはローリーと会話するのを諦め、アーロンが無意識に投げ捨てたペンダントトップをどこか冷めた気持ちで拾った。


 何というか、毒気を抜かれてしまったというか、そんな気分になっていた。

 あれほど憎んでいた姉殺しの犯人が、今は無様な姿でローリーにあしらわれている。

 元々怪しんでいたとは言え、アーロンが犯人だとわかってからあまり時間が経っていないせいだろうか。アーロンの事を、まだはっきりと犯人だと認識出来ていないだけなのかもしれない。

 あるいは、ローリーが異常な事をさも正常な事であるかのようにのたまうせいかもしれない。彼を見ていると、常識だとか正常な判断力だとか、人として大切な何かが徐々に失われていく気がする。

 そっちの可能性が高い気がするな、とダミアンはぼんやりと思った。


「おっと。返してほしいのか。さては、魔法でくっつけて治すつもりだな。いいだろう。しかしひとつ条件がある。

 私が反抗期という、期間限定のカードを切ってまでここに来たのには目的がある。それにはアーロン卿、貴殿の協力が必要だ。なに、そう難しいことではない。

 ただ私と喧嘩をして欲しいという、それだけのことだ。簡単だろう?」


 事もなげにローリーが言う。


(……切断された手足を魔法でくっつける? そんな事が出来るのか? いや、魔法を使う前提な時点で貴族以外に縁のない情報だろうし、僕が知らないのも無理はないけど……)


 アーロンは錯乱したように「腕を返せ」と喚くばかりで全く交渉のていをなしていなかったが、最終的に焦れたローリーが「これを受け取った時点で交渉に同意したものと見做す」と言い、腕をアーロンに返却してしまった。


 他人事ながらひどい話である。

 貴族が平民相手にそういった一方的な交渉をしている場面は見たことがあったが、貴族が元傭兵にやられているのは初めて見た。


 アーロンがローリーから右腕をひったくり、残った右腕部分と切断面をくっつけようとする。が、当然そんなことではくっつくはずがない。


「……うううううう。くそ……くそ……。ア、アドリアーノ……アドリアーノを呼ばなければ……」


 アドリアーノというのは聖教会の誇る聖人の名前で、辺境から出たことがないダミアンでも知っている有名人だ。聖人は今王都で話題の聖女とは違い、純粋に治癒系の魔法の能力の高さのみによって選出されると言われている。

 聖人アドリアーノは特に怪我を治す系統の魔法に優れており、王都の教会に常駐していると聞いたことがある。

 彼は切断された腕の修復さえ出来るのか。というより、聖人たる彼くらいにしか出来ない事なのかもしれない。

 実際にそれが出来るかは置いておくとしても、彼が王都にいるのは万が一の際に王族の命を繋ぐためであるので、呼んだところでこの辺境の公爵領まで来るとは思えないが。


 そして、アーロンがいくら帰ってきた右腕に意識を奪われていようとも、そんな事はあのローリーには関係がなかった。


「そこまで喜んでもらえると、腕を返した私としても嬉しいよ。もう少し感動に浸らせてあげたいところなのだが、もう夜もかなり更けてきた。いつもなら寝ている時間だ。さっさと済ませよう。恥ずかしながら私はこういうことをするのが初めてなので、至らないところがあったら都度言ってほしい。

 ──では、始めようか。兄弟喧嘩とやらをな」





 ◇





 アーロン・ヴォールト。

 ダミアンにとっては何度殺しても飽き足らないほど憎い男。


 しかし、なんというか、彼がもう着れなくなった古着のように引き裂かれていく光景を見ても、ダミアンはさほど楽しい気持ちにはならなかった。あまりに悲惨な光景でありながら可哀想という感情が全く浮かんで来ないだけでも、十分憎んでいた証明になるのかもしれないが。


 ただ言えるのは、この夜、この光景を目にしたことで、ダミアンの中で確かにひとつの区切りが着いたのだ、という事だった。


「……アーロン、様は……。どうなったのでしょうか。ていうか、本当にこれ今どういう状態なんですか? 見てもさっぱりわからないのですが。まず、生きてるんですかこれ……?」


 ダミアンの目の前には、じっくり見ても何だかよくわからない形になっている赤黒い物体が置いてある。元は人だったと紹介されても首を傾げるくらいの光景だ。


「もちろん生きているとも。でなければ喧嘩にならないからな。それにしても、敵対者を殺さず、かつ二度と敵対しないように戦うというのは、存外大変で……無駄に手間がかかるものなのだな。やはり殺してしまったほうが安く付きそうだ。世の一般的な兄弟はこれを日常的に行なっているのか。私ももっと精進せねばな」


「生きている……これで……。

 ええと、それで、これは……元に戻るのでしょうか?」


「元に、というのは、ほんの先ほどまでの元気な姿の事を言っているのかな。

 それなら無理だな。まああくまで私の経験上の話だが。連邦の辺境のよくわからない部族の怪しいシャーマンの力を借りれば新しい手足を生やす事は出来るかもしれんが、あれは骨は生えてこないからな。同じ理由で歯も治せん。

 いや、彼らの部族の、植物を操る魔法を上手く使えば骨の代わりも生やせるかもしれんな。しかしあれも確か魔力を込めすぎると全身が木になってしまうと言っていたか。元は人間を生きたままトーテムポールにするための技術らしいし」


「そうですか……」


 ローリーが何を言っているのか半分以上理解できなかったが、とりあえずアーロンが再起不能であることは理解できたので、その時点で真面目に聞くのはやめた。深入りすると頭がおかしくなってしまう予感がする。


「まあ、とりあえず生きてはいるから、これで喧嘩は私の一勝という事でよいかな。これを何度か繰り返すのだったか?」


 ローリーがそう言った瞬間、足元から「ううううう……ああああああ……」と絶望感あふれる呻き声が聞こえてきた。本当に生きていたらしい。

 まあ今の行為を何度か繰り返すとか、生きたままトーテムポールにされるとかの話を聞けば呻きたくなるのもわかる、とダミアンは思った。


「……いえ。もう良いでしょう。また明日、ローリー様には喧嘩について詳しくご教授いたします」


「……もしや、私は何か間違えてしまったか?」


「ええ。それはもう」





 ◇ ◇ ◇





 ルーベン・ヴォールト公爵にとって、アーロン・ヴォールトは自分によく似た最愛の息子だった。ある意味では長男ディランよりも目を掛けていたほどだ。


 当然、アーロンの身に起きた悲劇を目の当たりにした公爵は激怒した。


 自ら領軍の精鋭部隊と法兵隊を指揮し、城の離れに法撃を浴びせかけた。


 しかし、ローリーには通用しなかった。

 離れに大量の法撃が着弾した時には、すでに離れに居なかったのだ。

 どこにいたのかと言えば、法兵隊のすぐそばであった。なぜ攻撃が察知でき、いつどうやって移動してきたのか、領軍の誰にもわからなかった。

 ヴォールト領軍は知らない事であったが、遠方から法撃される事などローリーにとっては一般常識よりも遥かに慣れ親しんだ日常の一コマに過ぎなかったからであった。

 そのまま彼は、素手で法兵隊と精鋭部隊を全員解体してみせた。


 そして最後に一人残った公爵に対して「反抗期の次は親子喧嘩だったかな。大丈夫だ。今度は間違えない」と呟いた。

 逃げ延びたアーロンの従者より経緯を聞いていた公爵は、それを聞くと即座に軍を退いた。と言ってもすでに彼しか残っていなかったため、単にひとりで城に逃げ帰っただけであるが。





 後に、公爵はこう語ったと言う。


「──愛も、情も、それ以外のあらゆる感情も。

 権力も、財力も、それ以外のあらゆる力も。

 法も、倫理も、それ以外のあらゆる制約も何もかも……。圧倒的な理不尽の前では、何の意味も持たないのだ……。

 言葉が通じるのなら、会話をすればいい。攻撃が通じるのなら、攻撃を続ければいい。ではそのどちらも通じないのなら、一体どうすればいい?

 今ならわかる。帝国があれを自分らでどうにかしようとせず、王国に押し付けてきた理由が。得難い戦力だと認識していたはずの連邦も、それに横槍を入れなかった理由が。

 誰も彼も、あれに関わりたくなかったのだ。余計なことをして、甚大な被害をこうむりたくなかったのだ。

 王国は、あれを引き取るべきではなかった。ただ帝国に「知らぬ」と返すだけでよかった。それだけで、あれと敵対していた帝国はいずれ滅んでいただろう。次に、おそらくはあれを抱え込んでいた連邦も。まあ、その後王国が滅ばずにいられる保証は全くないが……」


 文字通り手足をもがれ、声すらも奪われ、これまでと同じ生活が送れなくなってしまったアーロンは、その居室を今は亡き、公爵の正妻が使っていた部屋に移した。ここは生まれたばかりの赤子の世話をするため、乳母が休むための部屋が隣接させてある。そこに世話係を住まわせ、アーロンの介護をさせるためだった。


 離れを失い、住む場所を無くしたローリーは、入れ替わりでアーロンの部屋に移る事になった。部屋の主がここに戻ってくる事はもう無いからだ。

 従者用の隣室はダミアンにあてがわれた。

 そこに住んでいたアーロンの従者は、アーロンの行動を諌められなかったかどで暇を出された。

 確かに主人が間違った行ないに手を染めようとしたならば、それを諫めるのは従者の役割なのかもしれない。しかしこの公爵家において、当主ルーベンの寵愛を受けているアーロンに苦言を呈する事が出来る者など存在しない。いささか理不尽であると言えるが、公爵にとってこれが精一杯の八つ当たりであったのだろう。


 そして、アーロンの凶報を聞きつけて王都よりやってきた長男ディラン。


 弟アーロンの事を肉親なりに愛していたのは事実だったが、同時に彼はアーロンの素行不良をよく思っていなかった。

 さらにディランはアーロンよりも慎重であり、かつ身の程も弁えていたため、ローリーと積極的に敵対する事はなかった。

 ローリーの物腰が、見かけ上はあくまで柔らかく紳士であったせいかもしれない。あるいは、そうでありながら隠しきれない狂気を滲ませていたからかもしれない。ディランは領城滞在中、再三に渡ってローリーより兄弟喧嘩の誘いを受けていたが、全て丁寧かつはっきりと断っていた。

 アーロンの状況を確認し、公爵と今後の事を話し合い、それが一段落すると、ディランは逃げるように王都へと戻っていった。


 すぐに招集できる遊撃戦力を短時間でほとんど失ってしまったヴォールト公爵領だったが、しかし、交易路を使って帝国軍が攻めてくる事は無かった。

 本来であれば異常な静けさとも言えるが、公爵は何ら不思議には思わなかった。帝国が少しでも考える頭を持っているならば、今のヴォールト領に手を出すはずがないからだ。


 軍事力の低下は蠻獣ばんじゅうによる被害も増大させたが、それは僅かなものに留まった。

 ルーベン・ヴォールト公爵がダミアンを通して、暇を持て余していたローリーに仕事を与えたからだ。誰か領内の蠻獣を狩り尽してくれないかな、と。

 それにより、結果的に普段の数十分の一のコストで蠻獣対策を行なう事が出来たのだった。


 ちなみに領軍と蠻獣が共に力を落としたことで、今度は野盗のたぐいが跋扈するようになるのだが、それはまた別の話である。


 そう、それで困るのはまた別の人物なのであった。







★ ★ ★


これでようやく、冒頭の時間軸に追いつきましたので、次回はエヴァンジェリン嬢です。


私は主人公は振り回されるより振り回す方が好きなのでローリーを主人公と定めておりますが、振り回されるのが好きという方はエヴァンジェリン嬢が主人公だと思って読んでいただいてもいいのかなと思います。あとダミアン君とか。

このあたりは好みですね。

「やべーやつが主人公ってのは作者が勝手に言ってるだけ」ってやつです。


それと、連邦の辺境のよくわからない部族の怪しいシャーマンの魔法ですが、生きたままトーテムポールになる事はかの部族にとっては大変名誉なことなので、人道的には全く問題ない行為であることをここに記しておきます。ご安心ください。

気になる方がいらっしゃるといけないかなと思い解説いたしました。木になる魔法なだけに(


少しでも「書いてる事おかしいなこいつ。でも好き」と思われた方は、★やフォローなどいただけますと幸いです。


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