第10話 青兎のしっぽ


 手を払われた男が、こめかみに血管を浮き立たせながら吼えた。


「いい度胸じゃねぇか! 表に出ろ、ゴルァ!」


 道具屋の女の子が「はわわわ……!」と青ざめながら立ち尽くしている。

 荒事は苦手だが、彼女に迷惑を掛けるわけにいかない。

 俺は内心で激しく焦りつつも、大人しく外に出た。


(どうしよう、殴り合いなんてしたことないけど……)


 殴り合いどころか、喧嘩もほとんどしたことがない。

 頼みの綱はさっき解放されたスキルだが、果たしてどこまで通用するか……


 相手は四人。俺を半円状に取り囲んで、指を鳴らしながらにやにやと嗜虐的な笑みを浮かべ、あるいは苛立ちで顔を真っ赤にしている。


「よくその貧相な身体ナリで喧嘩売れたなァ?」

「俺たち『無形の黒炎』に逆らったこと、後悔しやがれ!」


 前世の俺ならまず間違いなく竦み上がっていただろう。実際、心臓はばくばくと早鐘を打って、口から飛び出さんばかりだ。

 なのに――

 胸の前に右拳を、顎の前に左拳を柔らかく構え、すっと腰を落とす。

 まるで何十年も馴染んだ動作のように、身体が動いた。

 無言の構えに、男たちの表情がぴくりと引き攣り――正面の髭面の男が、大きく踏み込む。


「うらァッ!」


 俺の左眼目がけて拳が放たれ――スピードの乗ったその一撃を、俺はわずかに首を傾けるだけで躱した。


「ッ……!?」


 男の目が驚愕に見開かれた。驚きつつも今度は俺のこめかみを狙うが、渾身の左フックはわずかに仰け反った鼻先を掠めるに留まる。


「こいつ……ッ!」


 決して彼が遅いわけではない、むしろ無駄のない身のこなしから、かなりの手練れだと分かる。

 にも関わらず、俺には彼がどこを狙ってどう動こうとしているのか、その軌道がまるで予知のように思い描けた。――これが【見切り】スキルの力か。

 男の左フックを避けると同時、最短距離で繰り出したカウンターが、髭に覆われた顎をスパァン! と撃ち抜いた。


「お、あ……?」


 髭面の男が頭を揺らしながらふらふらと後ずさり――そのまま膝から頽れる。


「っ、てめェ!」


 間髪入れず、右から大男が殴りかかってきた。

 威力はあるが振りが大きい。身体を開いてその腕を絡め取り、巻き込むようにしながら巨体を地面へと引きずり倒す。


「ぎゃあああっ!?」


 断末魔にも似た絶叫が上がったが、折れてはいない、はず……!

 さらに、横合いからこめかみを狙って放たれた三人目の手刀を左腕で受け流すと、がら空きになった脇腹に拳を叩き込んだ。よろめいた瞬間を狙って無防備な足を払う。


「ぎゃうっ!?」


 見事に転んだ男が後頭部をしたたかに打ち付けてのたうつ。


「調子に乗ってんじゃねェぞ!」


 後方から躍りかかった四人目をしゃがんで躱すと、振り返りざま顎を蹴り上げた。


「あがっ!」


 男はよろめきながらもグッと踏みこたえた。腰に伸ばした手にナイフが閃き――

 男が俺に肉薄するよりも早く、懐からリィネが飛び出した。


「フシュー!」

「へぶっ!」


 鼻に噛み付かれて、男が情けない悲鳴を上げる。

 そのみぞおちに、俺の繰り出した蹴りがめり込んでいた。


「ぐぶえぇっ!!」


 男が潰れたカエルのような悲鳴を上げて吹っ飛ぶ。


「ふー……ッ」


 開始からわずか二分。威勢の良かった男たちは、低く呻きながら芋虫のように蠢いていた。


 人知れず、額の冷や汗を拭う。どうにか切り抜けられた――というか予想以上に戦えた。ありがとう、スキル。


 リィネを肩に乗せて無言で立つ俺を、男たちが恐怖を湛えた目で見上げた。


「な、なんだこいつ……ッ! 上ランク冒険者か!?」

「こんなナリの冒険者、聞いたことねぇぞ……!」


 四対一で喧嘩を吹っ掛け、散々いきがってしまった手前、簡単には後に引けないだろう。ここらで手頃な口実を与えるのが良さそうだ。

 俺は男たちだけに見えるよう、フードを軽く持ち上げた。片目を眇め、唇を歪めてギザ歯を見せつける。

 どうだ必殺、顔面凶器。

 途端に、彼らの顔が恐怖に歪んだ。


「ひっ、化け物……!?」

「お、おい待て、この顔っ……! 氷竜帝!?」


 男たちは引き攣った悲鳴を上げると、気絶している仲間を担ぎ、よろめきながら逃げていった。


 遠い目で、遠ざかる背中を見送る。ふっ、化け物か……そうだな、俺はモテ死の宿業さだめを負った、哀しきトカゲ男。化け物と呼ばれるのがお似合いだ。……それにしても、氷竜帝ってさっきも聞いたような気がするな?


「ありがとう、リィネ。助かったよ」

「きゅい、きゅい」


 詰めていた息を吐きつつリィネを撫でていると、か細い声がした。


「あ、あの、ありがとうございます、です……!」


 振り返ると、道具屋の女の子が丸い頬を紅潮させて俺を見上げていた。


「な、中へどうぞ……!」


 俺が店内に入ると、女の子はドアノブに『CLOSE』の看板を下げてドアを閉めた。

 潤んだ目で俺を見つめて、ぺこりと頭を下げる。


万屋よろずや『青兎のしっぽ』へようこそ、ですっ……て、店主の、プーカ、です……!」


 この子が店主なのかと驚きつつ、プーカと名乗った女の子を見つめる。

 こぼれ落ちそうに大きな空色の瞳に、小動物めいた仕草。雰囲気からすると十代前半といったところだが、背丈は小さな子どもくらいしかない。ぷるぷると震えながら俺を上目に見上げる様子は、まるで子うさぎのようだ――と思ったら、空を融かしたような青い髪から、長い耳が垂れていた。彼女も獣人らしい。

 こんないたいけな子を怖がらせては悪い。俺はフードをますます深く被った。


「ほんとうに、ありがとうございました。助かったです……いつもはぽちまるが追い出してくれるのですが、今日は調子が良くないみたいで……」


 ぽちまる? と首を傾げていると、目の前に緑色をした紐状のものが現れた。


「!」


 声もなく後ずさった俺の前で、カウンターから伸びた植物の蔦が、うねうねと身をしならせる。

 どうやらこのぽちまるが、防犯装置用心棒の役目を担っているらしい。レティシアが『人を選ぶ』と言っていたが、そういうことだったのか。

 だが、よく見ると蔦は萎み、葉は痩せて色褪せていた。


「昨日は、やんちゃなおきゃくさまがたくさん来たので、疲れてしまったのかもしれないです……」


 しょんぼりとうなだれる蔦の先端に、リィネがふすふすと鼻を寄せる。

 俺はしおれた葉っぱに触れて、口の中で小さく呟いた。


「【治癒】」


 たちまち、ぽちまるに生気が漲った。葉がぴんと張り、蔦の先端まで瑞々しく蘇る。

 プーカの顔がぱああっと輝いた。


「あ、ありがとうございますです……! なんとお礼を言えばいいのか……!」


 犬の尾のようにぶんぶんと蔦を振るぽちまるを、プーカが嬉しそうに撫でる。

 こんなか弱そうな子が一人で店番なんて心配だったけど、用心棒がいるなら安心だ。


「そ、それで、今日はどのようなご用件でしょうかっ……?」

「買い取りを」


 低くしゃがれた声に驚いたのか、プーカはぴょーん! と飛び上がったが、すぐにカウンターへ案内してくれた。

 踏み台に登ったプーカの前に、魔核とアイテムを並べる。

 途端、プーカの丸い両目がさらに見開かれた。


「こ、これは……!」


 プーカは身を乗り出すと、真剣な顔で魔核を調べ始めた。

 さっきまで怯えていたのが嘘のように興奮した様子で、魔核をルーペのようなもので近視したり、不思議な緑の炎で炙ったり、少し削ってフラスコの中の液体に溶かしたりしている。

 待つことしばし。


「こ、こちらでいかがでしょうか……」


 じゃらりと重たげな袋がカウンターに置かれる。

 中を見ると、三十枚ほどの金貨が詰まっていた。

 こんなに!? さっきは全部で金貨三枚って言われたのに!?


「……多くないか」


 思わずそう零すと、プーカはまたもやぴょーん! と飛び上がった。

 びくびくと震えながらも、上目に俺を見上げる。


「お、おきゃくさまがお持ちになった品は、どれも一級品です……こ、これが妥当な価格かとととと……」


 これが適正価格だとすると、さっきの道具屋はかなり安く買い叩こうとしていたんだな。レティシアに感謝しなくては。

 何かと入り用だ、これが正規の売値ならありがたく貰おう。


 ずしりと重たい袋を懐に収め、店内を見回す。

 プーカがおずおずと口を開いた。


「な、何をお探しですか……?」

「……食料を」





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 次回わくわくお買い物タイム&衝撃の事実発覚です。

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