1-6

「どういうことですか?」

 職員――児童相談所から派遣された男二人は家のなかに入ろうとする。

「ちょっと、待ってください!」

 男らは声も聞かず、部屋のなかへ入っていった。

「説明もないんですか?」おれは平良に向かい合った。

「……昨夜、然るべき処置をとると言いました」

「やり方が強引だと思います」

「その通りです。その必要性がありましたから」

「……子供同士が一緒に生活することがそんなに危険なことなんですか?」

「もちろんです! 未成年の男女が一緒にいるなんて不純極まりありません!」

「心外ですよ」

「……え?」

「平良さんはおれがそういうことする人間だと思っていたなんて……」

「そういうわけじゃありません……。教師として当然の対応をとったまでで……」

 平良に迷いが生じている。

 教師としての義憤に駆られていて、平良個人の思いは別にあるのかもしれない。それなら、話し合いの余地はありそうだ。

 だったが、

「透! 逃げるよ!」

 フローリングを駆ける足音が響いた。寺領と美園は目の前を突っ切って、外へ出ていった。

「逃げるってどこに――」

 追いかける職員をとっさに突き飛ばす。おれは必死になって二人の後を追った。

 近くの公園まで走った。後を追ってくる気配はない。なんとか撒けたようだ。

「勢いで逃げてしまいましたけど……よかったのでしょうか?」美園はいった。

「気にしなくていいよ。強引に連れていこうとしたのはあいつらだからさ」おれはいった。

「これからどうしましょう? 少し早いですけど、透さんの実家に行くにもアリかと」

「うーん……」

 統志郎が指定した時間までかなりある。実家に早く訪れて待つこともできるが、家には極力足を踏み入れたくない。どこかで時間を潰したい。

 と、

「行きたいところがあるんだけど」寺領はいった。

「どこだ?」

「海」

「海ぃ?」

 突然の提案。ここからだとかなりの時間を要する。だが、不思議と断る気にはなれなかった。統志郎に会う前に考えをまとめておきたかったから。気分転換にはちょうどいい。

「その案、乗った!」

 海には日没前に到着。

 暦は五月。もちろん、海水浴をする人はいない。だが、岸を歩いているだけでボードを担いだサーファーを見かける。

 防波堤に座って、海を眺める。海面に反射する夕日が眩く輝き、神秘的な光景にみえた。

 逃げたのはいいが、あとで平良にどう説明するか。統志郎との話についても考えなければならない。積み重なる問題。けれど、気分は穏やかだ。強く吹く浜風が膨れ上がる不安を静めてくれたから。

「ひゃー、ちべたーい」寺領は浅瀬を歩いていた。

 眺めていると、

「ふたりも来なよー!」

「どうする?」おれは美園に尋ねた。

「私は遠慮しておきます」

「……そんなこと言わずに!」

「わわっ」

 美園を抱えて寺領のもとまで全力疾走する。思ったより軽く、かなりの速度が出た。

 靴を脱いで波打ちぎわに足を入れる。ひんやりとした海水が足を押しては引いていく。その独特な感覚に夢中になる。

 美園を浅瀬に降ろした。

「ビックリしたじゃないですか!」

 笑って許しを請う。美園も満更でもない様子だ。

 と、寺領が近くにいないことに気づいた瞬間、

「それーっ!」

 寺領は拾ってきたバケツに海水を一杯にして、ぶっかけてきた。水浸しになり服は水を吸って重くなる。肌触りも気持ち悪い。

 いたずらに成功した寺領は腹を抱えて笑っている。

「どうやら、喧嘩を売る相手を間違えたようだな……!」

 バケツを奪い取り、仕返しをする。息継ぎする暇を与えず、寺領に海水をかけ続けた。夕日が暮れるまでおれたちは遊んだ。

 陸に上がり、服を絞って乾かす。

「うへぇ、海水でベトベトだよ」寺領はいった。

「全くだ」

「でも、こうやって遊ぶのもいいでしょ?」

「……今日はやけに元気がいいじゃないか」

「今日が三人で遊べる最後の日かもしれないでしょ」

「……未夏って意外とロマンチストなんだな」

 寺領はおれの背中を張った。上着を脱いでいたので、素肌にジンジンとした痛みが響く。

 帰りの電車。車窓から沈む夕日を眺めた。地平線が夕日を蝕むにつれて、淡い橙色の空は紺色の空に飲まれていった。

「それじゃ透の実家に行こうか」寺領はいった。

「いや、その前に向かう場所がある」

「どこ?」

「……平良先生の連絡先は知ってるのか?」

 うん、と返す寺領。

「児童相談所の方々にお前たちを引き取ってもらう」手を差し出して、スマホを要求する。

「せっかく逃げ出せたのに、どうして!」

「別にジジイと話すだけなら三人もいらないからな。……このまま平良さんを放っておく訳にもいかないだろ」

「むぅ……」

 平良にこれから自宅に戻る旨を伝えて、帰路につく。

 自宅に到着。すでに平良が待っていた。

「逃げたと思ったら、帰ってくるなんてどういう風の吹き回しですか?」

「少し考える時間が欲しかったんですよ。……今はもう落ち着きました」

「……それじゃ、二人を保護させてもらいます」

「お願いします」

 おれは頭を下げて、寺領と美園を引き渡す。

 と、

「ちょっと、待ってくれんか?」

 背後には統志郎が立っていた。どうやら、話を聞いていたようだ。

「あなたは確か……」平良は尋ねた。

「神崎統志郎と申します」神崎は名刺を渡す。

「統志郎さん。あなたは保護者としてこのことを知っていたのですか?」

 はい、と統志郎は頷く。

「では、どうして見過ごしたりしたのですか! 何か問題があってからでは遅いんですよ!」

「未成年による同棲生活。確かに危険で教育上、好ましくないことかもしれません。聖職者である貴方からみれば尚更。ですが、これは神崎家の問題です。家庭の事情にはあまり踏み込んでもらいたくないのです。……今日のところはこれでお引き取り願って、後のことはワシに任せてくれませんか?」

「そんな、見過ごすわけにはいきません――」

 統志郎は指を鳴らした。

 それを合図に玄関から黒いスーツ服の男が複数人現れ、平良と児童相談所の男たちをとり囲む。黒服の男たちは平良らの両脇を掴んで離さなかった。

「ちょっと、放しなさい……!」平良はもがく。だが、びくともしなかった。

「お引き取りください」

 黒服の男たちは平良たちを腕づくで連れていった。

「……こんな強引なやり方で解決すると思ってるのか?」

「もちろん。あとで、児童相談所と学校に説明しておくからな」

 政財界にも強い影響力のある神崎家。手を出すなと言われれば、大抵の団体は身を引くしかない。

「くだらん騒ぎに巻き込まれて少し疲れた。なかでゆっくりさせてもらうぞ。……用事もそこで済ませよう」



 統志郎はリビングの椅子に腰掛けて、「ふぅ」と一息した。

「座りなさい」いつもの高圧的な態度ではなく、年相応に落ち着いた声だった。

 おれたちは統志郎の向かいに座る。

「まずはお疲れさま、とでも言うべきか。ワシの急な願いを聞いてくれてありがとう」

「お世辞はいいよ」

「本心だ。家のしきたりを執拗に嫌がっていたお前にしてはよくやったと思ってる。さぞかし、婚約者の二人が気に入ったとみえる。もう、その子たちを婚約者として認めたということでよいな?」

「二人とは結婚しない」

 婚約者として正式に認めてしまえば、二人とのつながりはきっと違うものになる気がした。これから彼女たちとどう向き合っていくのか。分からない、だからこそ怖い。

 そうか、と統志郎は呟くと一冊のファイルを机に置いた。

 ファイルには女性の写真とプロフィールが添えられていた。家柄や年齢といった情報が事細かに書かれている。

「新しい婚約者のリストを持ってきた。この中から、いいと思う子を選びなさい」

「選ばない」

「……ほう?」

「未夏とゆかりたちとは結婚はしない。……けど、これからも一緒に暮らしていこうと思う」

 寺領と美園も家の事情に振り回される。おれと同じだ。だからこそ、仲良くなれたのかもしれない。だからこそ、居心地がよかった。

「……それはルール違反だ」

「分かってる」

「婚約者だから同棲を許しているのに一緒に暮らすとはどういうつもりだ?」

「……初めは子供のおもり程度しか思っていなかったけど……今は違う。大事な――」

 友達というような関係でもなければ、家族でもない。おれたちの関係はいったい何なのだろう。

「……同居人だ」ふさわしい言葉が見当たらなかった。

「同居人」統志郎は心底訝しがった。

「……仮に同居することを許したとしても、寺領家と美園家が応じるわけがなかろう。なんせ婚約者になることを条件にこの家にやってきたのだからな。それが反故になれば、家に連れ戻されることになるだろう」

「それはそうかもしれないけど……」

「二人を婚約者として受け入れるか。それとも、新たな婚約者と暮らすか。二つに一つだ。いい加減、独りよがりな思考は卒業せい!」

 一人暮らしを始めたときもそうだった。おれの我が儘で周りを振り回す。心に抱く望みでさえ、社会の常識ってものに押しつぶされる。統志郎の言い分は正しい。反論の余地はない。

 統志郎に諭されそうになったとき、

「私は透さんと暮らします」

「私だって……!」寺領と美園は声を上げた。

 統志郎は寺領と美園を見遣り、

「話を聞いていなかったのか? 透は君たちを婚約者として認めておらんのだぞ」

「認めてもらえるまで待ち続けます」美園はいった。

「時間を無駄にするような真似を……君はよくても君の家族は許してはくれないぞ」

「そのときは家を出ます」

「透みたいなことを言いおって……」

「私は本気です」

 おれの無茶な言い分に寺領と美園も乗った。彼女たちも過ちを犯す。が、自らの気持ちには正直であった。目は燦然と輝きを放っている。

 統志郎はじっと見つめる。おれたちの覚悟を推し量るために。やがて、笑いを堪えられず吹き出すように破顔一笑した。

 笑い声は部屋中に響き渡った。

「よっぽど好かれておるじゃないか。お前も罪な男よ」

 統志郎の豹変っぷりについていけなかった。

 呆気にとられていると、

「しばらく納得いくまで暮らしてみなさい」

「本当か!」

「言っておくが、中途半端な考えのまま暮らしても別れが辛くなるだけだぞ」

「……わかってる」

 統志郎は席を離れると、すぐに家をでた。

 玄関の扉の閉まる音に反応して、「行っちゃった」と寺領は呟いた。

「まだ、ここにいていいってこと?」

 おれが頷くと、寺領と美園は抱きついてきた。

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