1-5

「あのあと、どうなったの?」

「一応、許してもらえたよ」

 寺領に許しを請うた翌日。

 お昼の話題は昨日の出来事の続きである。真莉が帰宅したあとも寺領の怒りは収まらず、対価を払うことで落着となった。

 対価――寺領の担当している家事をしばらく代わってやることになった。

 よかったね、と真莉は拍手した。良くはない。

「みんな仲良くが一番だから」

「正座のしすぎで足がまだ痛むんだよ……」

「今日も帰り寄ってくからね」

「ああ。……いい加減、未夏が一人で風呂に入れればいいんだけどな」

「それは……時間が解決してくれるんじゃない?」

「時間か……」

 ふと、統志郎と交わした約束を思い出した。

 あと一週間もすれば寺領も美園もいなくなるかもしれない。特段、寺領が一人で風呂に入れない問題など気にすることはないのかもしれない。

 神崎、と呼ばれて、振り向くと新島がいた。

「ミカ様は真莉さんと一緒にお風呂に入っているのか?」

「そうだけど……」

「私にいい考えがあるぞ!」

「急にどうしたんだ?」

 もう心配はいらない、と肩に手を添えてきた。

「真莉さんも毎日、お風呂に付き合うのは大変でしょう」

「いや、それほど――」

「そうか! 手助けが必要ですか。……神崎、今日は私に任せてくれ」

「任せるって……未夏とお風呂に入るってことか?」

 ああ、と自信たっぷりに答えた。

 新島は寺領と風呂に入ることしか考えていない。本来なら断る申し出だ。だが、寺領のお風呂に毎日付き合わせてきた真莉の負担を軽くするためにもやらせてみてもいいかもしれない。

「それじゃ、今日はお願いしようかな」

「いいの?」真莉はおれにしか聞こえない声で、

「この人、未夏ちゃんが嫌ってた人でしょ?」

「多分、大丈夫だろ」

「とにかく、今日は私に任せてくれ」

 新島を連れて帰宅した。

 寺領はすでに小学校から帰ってきていて、リビングのソファーで寝っ転がっている。

 くつろいでいた寺領は新島を見つけると、露骨に嫌な顔をした。

「未夏、お願いがあるんだが――」

「絶対やだ!」

「まだ何も言ってないぞ……」

「新島がいるってことは、そのお願いに関わってるってことでしょ?」

「ご名答……」

今日の風呂は真莉の代わりに新島が入ることを伝えた。しかし、寺領はその提案を拒んだ。

「真莉がいつでも来れる訳じゃないんだぞ」

「そのときは透と入るから」

「……そんなに嫌なのか」

 新島に対する嫌忌っぷりはかなりのものだ。

 新島は腕組みして俯いている。目はうっすらと赤く腫れ上がっていた。これほど嫌われているにも拘わらず、寺領と風呂に入りたいのか。

 仕方がない。説得を続けた。

「未夏と風呂に入るために毎日通っている真莉の苦労も考えたらどうだ。真莉も暇じゃない。かなりの負担になってるはずだ」

「それはそうだけど……」

「新島と風呂に入れないなら、今後は一人で入ってもらう!」

「そんなっ……!」

 ハッタリを効かせたが、どうやら効果てきめんだったようだ。

 うー、と獣のように唸る。やがて「わかったよ」と寺領は折れた。

「神崎……私のためによく説得してくれた……」新島は感無量といった感じだ。

「これまでにも相談に乗ってもらったからな。……あとはうまくやれよ」

 さっそく寺領は新島とともに浴室へ向かった。

 その間に美園と夕食の準備をする。

 寺領と美園の関係に進展はあったのかそれとなく聞いた。

「未夏とはうまくやってるのか?」

「学校でもよくお話しするようになりました」

「よかったじゃないか」

「私と口を利いてくれなかったのは、両親の言いつけを律儀に守っていただけですから」

 本当はそれだけじゃないぞ、とは言えなかった。おれは黙って頷く。

 おりから、寺領は悲鳴とともにリビングに駆け込んだ。体はずぶ濡れで、服も着ていない。

「透、助けてっ!」

「とにかく、前を隠せ!」

「誤解だから!」バスタオルを着た新島がやってきた。

「何があったんだ?」

「新島が胸を触ってきた」寺領はおれを盾にして、新島と対峙した。

「確かに、胸には触れた。けど、わざとじゃないんだ。手が滑って……」

「だ、そうだ」おれは寺領に問いかけた。

「やっぱり無理だよー!」

 寺領は抱きしめる力を強めた。おれの背中にくっついて離れない。

 故意ではなかったとしても、今の状態の寺領と新島を一緒にすることは難しい。諦めるしかないのか。

「新島、今日のところはこれで終わりにしてくれないか?」

「……そうだな」

 いつになく気落ちした新島は着替えると、髪も乾かさないまま出ていった。

 胸を故意に触ったかどうかはさておき、しばらくは新島を寺領に近づけないほうがいいのかもしれない。

 新島を見送った寺領は、

「透、お風呂に入るよ」

「え? 今から真莉を呼ぶんじゃないのか?」

「今から待ってたら風邪引いちゃうよ……お願い」

「おれよりもゆかりが適任だろ!」おれは美園に視線を向けた。

「私はその……恥ずかしくて」赤面する美園。

「いやいや、おれと一緒に入ったことあるじゃないか」

「それとこれは話が別なんですっ!」美園は自室へ逃げた。

 寺領と目が合う。なぜか嬉しそうに口角を上げていた。

「……わかった。先に行っててくれ」

 おれは水着を着て浴室に向かう。すでに寺領は髪を洗っていた。もちろん、彼女も水着を着ている。

 おれは先に湯船に浸かった。

「絶対わざとだよ」寺領はまだ胸を触られたことを気にしていた。

「いや、本当に手が滑ったのかもしれないし……」

「疑いが晴れるまで、この家に連れてきちゃダメだからね」

 相変わらず寺領と新島の仲は悪い。といっても、一方的に寺領が嫌っているだけなのだが。

 寺領は思い詰めた声で、

「そんなに一人でお風呂に入れないのがおかしいかな?」

「真莉とも話し合ったんだけどな、時間がたてば一人で入れるようになるものだから。もう少し待ってみようってな」

 うーん、と寺領は首を捻る。どうやら、このままではいけないという意識はあるようだ。

 と、

「……決めた! 明日から一人で入る!」

「本当か!」

「でも、透には手伝ってもらうから」

「え? 手伝い?」

 手伝う、というのは浴室の前まで付き添ってほしいとのことだった。

 翌日。

 寺領の入浴時間。おれは脱衣所で待機を強いられた。ここは我慢だ。閉鎖された空間で一人きりという不安感を取り除けばいいだけ。寺領ならすぐに克服できるはず。

「透ー、まだいるー?」

「いるよ! ……これは一人で入ったことになるのか?」

「なるに決まってんでしょ」

 一抹の不安がよぎった。

 おれが脱衣所にいる安心感がある限り、寺領は成長しないのでは? 自転車の乗り方を教えるようにこっそり手を離してやることも大事なのではないか。

 シャワーの音が浴室から響く。浴室のドアは透過性が低いので、向こうに人がいるか確認するには声をかけるしかない。

 つい先ほど返事をした。今ならこっそり抜け出してもわからないだろう。

 おれは脱衣室をでて、リビングのテレビをつけて、くつろぐ。

「あれ、透さん? 未夏さんに付き添っていらしたんじゃ……」美園はいった。

「おれがいなくても大丈夫さ」

「本当でしょうか……」

 と、全身に熱湯が降りかかる。熱いのか痛いのか分からない。おれはソファから転げ落ちた。

「熱っい!」

 水浸しのリビングに涙目の寺領が湯桶を手に佇む。

「傍にいてって言ったじゃん!」

「これは一つのステップだ。おれという補助輪はいつか卒業しなきゃならないのだ!」

「意味わかんないよ」

 透さん、と美園は悲しげな視線を向ける。

「未夏さんと最後まで付き合ってあげてください」

「くっ……」

 大人げなかったか……。

 それから寺領との特訓が始まる。はずだったが、翌日、寺領から「今日は一人で入ってみる」と申し出があった。以来、吹っ切れた寺領は一人で風呂に入れるようになった。喜ばしくもあり、なぜか寂しさもあった。

「今日も一人で入るのか?」

「うん……もしかして私と入りたいの?」

「子供の体に興味はない!」

「そうですか。……あ、そうだ」

「はいこれ」と寺領から紙を一枚手渡された。

 授業参観の案内だった。

「懐かしいな。おれも昔、母さんに来てもらってたよ。未夏の両親は来てくれるのか?」

「……来ない。ここに来る条件としてパパとママに連絡はしちゃいけないって統志郎さまと約束したから」

「……そうか」

 思春期の子どもならともかく、まだまだ親に甘えたい年頃だ。辛いに違いない。

「来てよ」

「……は?」

「授業参観! 透を誘ってるの」

「いや、これって保護者が対象だろ?」

「大丈夫。この日だけ私のパパになってもらうから」

「無理があるだろ。バレたときに婚約者の関係が知られると後々面倒になる」

 教師から小学生と同棲していることを疑われた身としては危険を冒したくはない。これ以上、ぼろが出ると誤魔化しきれない。

 バレないから、と駄々をこねる寺領を無視して夕食の準備にとりかかる。おりから、美園も家に帰ってきた。

 夕食の準備を手伝ってもらうべく、玄関まで迎えに行くと紙を渡された。

 授業参観の案内の用紙。寺領と同じものだ。

「ぜひ、透さんに来てほしいです」

「ほら、ゆかりも言ってることだしさ」

「遊びに行くわけじゃないんだぞ」

「そんなの分かってるよ。でも、一世一代の晴れ舞台だから」

「大げさすぎるだろ……」

 同棲期間もすでに一ヶ月経とうとしていた。もしかしたら、もう会えなくなることも考えられる。二人の姿を見納めるのもいいかもしれない。

 と、疑問が浮かぶ。

「参観日っていつなんだ?」

「あした」寺領と美園は同時に答える。

「ちなみに、出席にはもう丸つけておいたから」寺領はいった。

「……やり口が汚いなぁ!」

 結局、二人に押し切られて参加することになった。

 目立たないよう注意しよう。



 参観日当日。

 教室の奥にはすでに保護者が並んでいた。三十代から四十代の男女の並びに加わる。もちろん、保護者のなかでおれが一番若かった。

 授業の始まりを告げるチャイムが鳴り、担任の教師が教室に入ってきた。

 担任の教師は二十代前半の女で、髪は長めでウェーブが入っている。表情は硬く緊張しているようで、落ち着かないさまは見ていて愛くるしかった。

 騒ぐ生徒を席につかせて授業が始まる。

 科目は総合。

 この日のために、書いてきた作文を音読するようだ。

 テーマは将来の夢、なりたい自分。

 名列順に発表が始まる。転校してきたばかりの寺領と美園の発表は最後のようだ。

 ほかの生徒たちの発表を聞いていると、科学者や医者、警察官を志望している人が多かった。この年頃のなりたいものといえば、親の影響やテレビやネットの影響をよく受ける。大きくなるにつれて、現実と理想の折り合いがついて子供の頃の夢なんてものは幻想だったと気づく。

 発表を何となしに聞いていると、あっという間に寺領の番が回ってきた。

「私の将来の夢は女優になることです――」

 寺領の発表はおれに対する当てつけだった。

 自分の夢のことは冒頭のみで、残りは婚約者の話をしていた。

 婚約者のダメなところ挙げて、直してほしいところを活き活きと主張する寺領に、何度も異議を申し立てたい気持ちが沸いた。だが、ここは保護者として黙って話を聞くしかなかった。

 話し終えた寺領はこちらを嫌みったらしく一瞥した。

「はい。ありがとうございました。次は美園さんお願いします」平良はいった。

「私の将来の夢は立派な花嫁になることです――」

 花嫁修業の一環として学んでいる茶道教室の実体験を話に組み込んでいたので、説得力のある作文に仕上がっていた。作文の出来栄えの高さに、聞いていて誇らしい気分になった。うんうん、と頷いて保護者アピールをしてしまうほどだった。

「皆さん、すばらしい発表ありがとうございました。将来に向けてこれからも努力を続けましょう」

 と、担任の教師がまとめたところで終業のチャイムが鳴った。

「このあと保護者の方を交えて三者面談を行いますので、希望された時間になりましたら教室にお越しください」

「三者面談だと?」おれは寺領に詰め寄った。

「今日は授業参観をして終わりじゃなかったのか?」

「あれ、言ってなかったっけ。授業のあとに三者面談があるって。……時間のセッティングはすませてあるから大丈夫だよ」

「大丈夫なわけあるか。おれが高校生だってバレたらどうするんだ!」極力、声を抑える。

「まぁまぁ、その話は控え室で聞くから」

 面談の時刻まで、保護者と一部の生徒は図書室で待つ。

 周りの大人たちに怪しまれないように、離れた場所に陣取った。

「そもそも、さっきの発表はなんだ」おれは寺領に問い詰めた。

「何だって……透に対する苦情?」

「悪い噂が流れたらどうするんだ!」

「でも、聞いてる人は透のことだってわかんないじゃん。ねー、パパ」

「パパって呼ぶな」

 図書室の隅に座っているとはいえ、声が大きければ話が聞こえてしまう。

 周囲の訝しげな視線に辛抱できず、

「やっぱりダメだ。帰ろう!」

 立ち上がったところを寺領にしがみつかれた。

「今更何言ってんの! ここまで来たら、トコトン突っ走らないと!」

「私も反対です」美園も服を引いて止めに入った。

「ゆかりもかっ!」

「父親であった方がじっくりとお話をすることができると思います」

 と、一縷の閃きが頭をよぎった。

「…………おれが未夏とゆかりの父親ってのは無理がないか? 苗字違うから」

「そこは……うまくごまかして」

「無理だろっ!」



「未夏の父の誠一と申します」

「担任の平良です。本日は授業参観にご参加していただきありがとうございます」

 面談の時間を迎えた。

 作戦はアドリブでその場しのぎ。

「随分お若いんですね。……失礼ですが、歳を伺ってもよろしいですか?」さっそく、平良に素性を探られた。

「歳は二十四です。未夏は私が高一のときに生まれた子なんですよ」

「あっ、あーっそうだったんですね。どおりで若いお父さんだと」

「よく若いって言われますよ。……未夏は学校でうまくやってますか?」

「未夏さんは転校してきたばかりなんですが、すぐにクラスの皆さんと仲良くしています」

 平良は寺領のクラスでの立ち位置や学業の成績について順を追って話した。

 クラスの中心人物で、話のまとめ役。

 授業中も騒いだりせず、静かに話を聞くいい子らしい。先生もよく助けられているそうだ。

「問題児じゃなかったんですね。よかったー」

 と、寺領は足を踏みつけてきた。

 おれは痛みを我慢して話を続ける。

「平良先生もいい先生そうで……安心して未夏を任せられます」

「そんな! 私なんてまだ一年目のペーペーですから。毎日、学んでばかりです。……最後に、お父さんからは何か聞きたいことはありますか?」

「未夏は言葉遣いが汚いのですが何とかなりませんか?」

「ちょっと! 何言ってんの!」

 おれと寺領は睨みあった。その様子が可笑しかったのか、手で口元を隠すように笑った。

「仲がよろしいんですね」

「全然っ!」寺領とおれの声が重なった。

 面談が終わったので教室を出ると、美園が待っていた。

「次は私の番です」

 寺領には先に帰るよう促したが、面談が終わるまで図書室で待つようだ。

 美園を連れて教室に戻る。

 当然、平良の表情が曇った。

「美園吾郎さんでよろしいですよね? ……あなたは未夏さんのお父さんじゃ――」

「吾郎は……私の兄です」

「兄っ!」

「吾郎が出席できないということで、代わりに私が面談することになりました」

「はぁ、そんな珍しいこともあるんですね」

 平良から美園の話を聞いた。

 学業は学年でトップクラスで文句のつけようがないらしい。ただ、寺領に比べて、クラスメイトとの交流が少ないそうだ。

「もう少し、友だちを作ったほうがいいんじゃないかと……」

 美園の顔に影が差した。どうやら、本人も気にしているようだった。

 おれは居ずまいを正して平良と向き合った。

「先生、お言葉ですが……ゆかりのことはそっとしてあげてください。話しやすい人、そうでない人がいる以上、人付き合いの仕方は個性です。その個性を奪うようなことはなさらないでください。ゆかりのやり方で何かクラスによくない影響があるのなら、私に知らせてください」

「……わかりました」

 平良の返事に覇気はなく、つらそうにため息をはいた。

「どうかしましたか?」

「いえ、未夏さんのお父さんに指摘をいただいて、改めて私の発言が安直だったなと」

「はっはっは。教師になって一年目なら仕方ないとは思いますが」

 平良は神妙な面持ちで、

「……たまに、教育者として自分の行いに迷うことがあります」

「良い教育というものは先生と生徒、そして保護者が協力して育んでいくものですよ。平良先生が全て背負う必要はありません」

「誠一さん……」平良はハッとなって言い直した。

「すいません! 私ったらつい名前で呼んじゃって……!」

「いや、名前で呼んで結構ですよ。歳もそんなに違わないでしょうし」

「はい……これからもよろしくお願いします」

 こちらこそ、と握手を交わして面談を終えた。

 図書室で眠っている寺領を回収して帰宅した。

 冷蔵庫に入っているあり合わせのもので夕食の準備をしていると、美園はくすくすと笑いだした。

「何かおかしかったか?」おれはいった。

「はい。随分と父親っぷりが様になっていらしたので」

「……父親ってのも悪くないかもな。けど、もう面談には行かないぞ」

「どうしてですか?」

「次会ったら絶対、高校生ってバレるからだ!」

 おりから、チャイムが鳴る。ドアホンを確認すると、平良が写っていた。

「あれ、平良先生? どうしたんですか」ドアホンの画面越しに尋ねた。

「先ほどの面談のときに、渡し忘れていたプリントがありまして……」

「そんなに大事なプリントなんですか?」

「いえ、そうでもないんですが……あっ――」

 明日、寺領さんに渡せばよかったんだー、と平良は頭を抱えてその場に座り込んだ。相当後悔しているようだ。

「まぁ、せっかく持ってきましたから、ポストに入れておきますね――」

 平良が立ち去ろうとすると、「先生だー」と寺領が割り込んできた。

「せっかくだし、一緒にご飯食べようよ!」

「こらっ、今からお仕事かもしれないだろ」寺領を押しやった。

 平良は満更でもない様子で、

「その、今日の仕事は終わってこのまま帰るところでしたけど……誠一さんさえよろしければ……」

「私は大丈夫ですよ……今、扉を開けますね」

 エントランスのロックを解除して、平良を通した。

「……断れなかった」おれは呟く。

「賑やかになっていいじゃん」

「またしても、寺領誠一にならなければならないのか……」

「がんばって、パパ」

 茶化してくる寺領の相手をしていると、気づかぬうちに美園が平良を部屋へ通していた。

 お邪魔しています、と遠慮がちに言った平良は、

「どうして美園さんがここにいるのでしょうか?」

「吾郎兄さん夫妻が海外に出張にいってるから、その間だけ預かってるんですよ」

「ああ、そうなんですね」

 また嘘を積み重ねる。罪の意識はとうに薄れていた。

 さっそく、平良と食卓を囲った。テーブルの上はいつもの食事。豪勢なものは用意できなかった。

「すいません、スーパーで買った総菜ばかりですが……」おれはいった。

「いえ! 私もいつも似たような夕食ですから……!」

 食事中は寺領が平良に質問責めしていた。住んでいる場所だとか、彼氏がいるのかだとか。……現在、一人暮らしで彼氏はいないらしい。

 婚約者が通うクラスの担任の教師。おれとの関わりは赤の他人に等しい。同棲生活がなければ、接点などあるはずのない人。そんな人と同じ空間で食事をするのは不思議な感覚だった。

「ご馳走さまでした。そろそろお暇させていただきますね」平良は食事を終え、席を立つ。

「えー! 一緒にお風呂に入ってよー」寺領は引きとめた。

「それは、さすがにできません……」

「未夏! やめなさい。もう一人で入れるようになっただろ」

「今回は親交を深めるためのお風呂だからいいの」

「いい加減にしなさい!」おれは声を強めた。

 泣き出しそうになる寺領をみた平良は、

「……わかりました。今日は私が一緒に入ってあげましょう」

「そこまでしてもらわなくても……」

「ここは任せてください。小さい子の扱いには慣れてますから」

 喜ぶ寺領は平良の腕を引っ張りながら浴室へ直行した。

 おれと美園は食器洗いを始める。しかし、作業は捗らなかった。浴室のほうが気になり、目が泳いでしまっている。

 見かねた美園は、

「様子を見てきましょうか?」

「……頼んだ」

 数分後、美園は戻ってきた。

 普段の落ち着いた感じはなく、動揺しているようだった。美園の顔はうっすらと紅潮している。

「あの、これは言ってよろしいのか迷っています」

「一体、どうなってるんだ?」

「未夏さんが先生の胸を揉みしだいています」

「揉みしだく!」

「はい。それはもう、かなり……」

「……あとで説教が必要だな」

 食器の片づけは終わった。寺領と平良は浴室からあがったらしく、話をしながらリビングに向かってくる。寺領を一喝するべく、待ち構える。

 が、二人ともバスタオル一枚で肌を隠した姿だった。タオルの素材は薄く、タオル越しからでも平良の体つきがくっきりと浮かびあがっていた。話に夢中でおれの存在に気づいていない。

「先生、その格好はまずいです!」おれはいった。

「えっ? あっ――」

 平良は局部を隠すように屈んだ。

「すいません! こんなはしたない格好で歩き回って……」

「それより、早く服を……」平良は脱衣所へ駆け込んだ。

「ジロジロ見ちゃってやらしー」

「バスタオル一枚で出歩くほうが悪い。……それで、どうだったんだ?」

「なにが?」

「……平良先生の胸は?」

「…………最っ低!」

 怒られるのは分かっていた。だが、聞かずにはいられなかった。

 明日も仕事があるので、と帰宅する平良をマンションの前まで見送る。

「晩ご飯、ご一緒させて頂いてありがとうございました」

「いえ、こちらも長く引き留めてしまって。また未夏たちと遊んでやってください」

 それでは、と平良が立ち去ろうとしたとき、黒塗りの車が停まる。見慣れた車。車のナンバーで誰が乗っているかわかった。

「おおう、透! 婚約者との生活はうまくいっとるか?」統志郎は車から降りた。

「ジジイ……! 何でこんなときに……」

「透? 婚約者?」

 平良の存在に気づいた統志郎は、

「おや、あなたは……?」

「初めまして。寺領さんと美園さんのクラスの担任をしております平良と申します」

 統志郎は顔を顰めた。

「教師ともあろう御方が高校生の部屋から一緒に出てくるとは感心しませんな」

「高校生? 一体、だれのことです?」

「あなたの目の前にいるではありませんか」

 統志郎と平良は視線をこちらに向けてきた。

 非常にまずい状況だ。ここまで寺領の父として完璧に振る舞ってきたが、統志郎のせいで台無しになってしまう。

 疑われる前に先手を打とう。

「高校生だなんていつの話をしているんですか。私はもう社会人ですよおじいさま」おれは統志郎に向けて瞬きをした。

 が、

「急にウインクなんぞするな。気色悪いぞ」

「空気読んでくれっていう合図だよ!」

「……一体、何の話をしてるんですか?」

「……いい加減観念せい。ワシに出会ったのが運の尽きだったな」

 どうやら統志郎は状況を察したらしい。

 まだ寺領誠一として振る舞うべきか?

「…………平良さん。折り入ってお話があります」

 全ての成り行きを平良に話した。寺領から授業参観に出て欲しいと乞われたことから今に至るまで。

 話を聞き終えた平良は茫然としている。半ば信じられないといった様子だ。

 統志郎はやけに嬉しそうに会釈をした。

「いやー、これは申し訳ないことを致しました。お詫びといってはなんですが、これを……」胸ポケットから一万円札の札束を取り出すと、平良に押しつけた。

「お金なんて受け取れません!」

「そう言わずに――」

「そういうのやめろよ!」おれは統志郎の手を払いのけた。

「身内が迷惑をかけたら、責任をとるのは当たり前ではないか」

「それは悪かったと思ってる。……でも、ほかに方法があるだろ」

「もう結構です!」平良は癇癪を起していた。

「貴方たちどうかしてるんじゃないんですか。まだ幼い子を親から引き離すなんて!」

「確かにそうですけど、これには深い訳が――」

「聞きたくありません。……この事態を見過ごすわけにはいきません。教育者として然るべき処置をとらせていただきます」

「処置って言うのは警察に通報とかですか?」

 違います、と怒る平良はその場をあとにした。

 彼女の後ろ姿を見遣りながら、

「これは少々危険かもしれんな」統志郎は顎をさすった。

「危険って何だよ?」

「お前は気にしなくていい。……それで、今日来た用件なんだが。明日、三人でワシの屋敷に来るように」

「何でだよ?」

「……婚約者と暮らし始めて一ヶ月たった。お前の答えを聞かせてくれ」

 約束の日。全ての始まりから一ヶ月。

 同棲生活なんて早く終わってしまえばいいと思っていた。婚約者なんていらないと。だが――。

「今は何も言うな。明日、じっくり話し合おうではないか」

「連絡だけなら別に電話でもよかっただろ」

「馬鹿者。大事なことは面と向かって話すのが一番に決まってるだろう」統志郎は車に乗り込み、去っていった。

 自宅に戻ると、

「随分、遅かったね」寺領はいった。

「ああ。……平良さんに正体ばれちゃったよ」

「あちゃー」、「まぁ」寺領と美薗は声を漏らす。

「怒ってた?」寺領はいった。

「それはもう……」

「そっかー。それじゃ、明日フォローしておくから」

「それで怒りが収まればいいが……」

 話は終わり、寺領はスマートフォンをいじり、美園は勉強に取りかかる。

 二人とも、と呼びかけ、

「明日、おれの屋敷に来てくれ。話がある」

 寺領と美園は頷く。用件を言わずとも何の用なのか理解したようだ。



 翌日。

 帰宅するとすでに寺領と美園は家にいた。これから統志郎の待つ実家に帰る。と、その前に尋ねておくべきことがある。

「どうだった?」おれは寺領に尋ねた。

「平良先生のこと? いつも通りだったけど」

「そうか……」

 妙だ。

 昨日、あれほど怒っていた平良が普段通りとは。小言の一つあってもおかしくはない。

「あ、でも」と美園は思い出した様子で、

「今日もあの家に帰るんだよね、って聞かれた」

「それだけか?」

「そうだけど。……もうっ! 透は心配しすぎ。平良先生は優しいから変なことにならないって!」

 寺領の言うとおり考えすぎなのかもしれない。万が一、警察が来たら諦めよう。事情を説明すれば捕まえることはないだろう。

 平良の件は保留。おれたちにはもっと大事な用がある。

「夜に出掛けるから。それまでに準備しておくように」

 寺領と美薗は返事をした。しばらくして、「ねぇ」と寺領は尋ねた。

「透の考えは決まってるの?」

「……着いてから伝える」

 家を出ようとしたとき、インターホンが鳴る。ドアホンを確認すると、エントランスの前には平良とその後ろには男が二人立っていた。

「今日はどうしましたか?」

「忘れ物を届けにきました」

 三人で? と、疑問に思ったがエントランスと部屋の鍵を解錠した。

「わざわざ、ありがとうございます。……後ろの方々は?」部屋のドアを開け、平良たちと対面する。

 平良は無言のまま、顔を顰めている。

「平良さん?」再度問う。

「今日は児童相談所の方々に来ていただきました」

「え?」

「寺領さんと美園さんを保護させていただきます。どいてください」

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