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ドリーをはじめ、ヴィラーゼル伯爵家のメイドたちの手によって、どこの国のお姫様だと言わんばかりに飾り立てられたラビットは、ウィルバードとともにレマニエル侯爵家のダンスパーティーに向かった。
レマニエル侯爵家に到着すると、侯爵はダークグレーのジャケットの胸元に真っ赤な薔薇を差して出迎えた。くるんとカールした髭が相変わらずチャーミングだ。
「ようこそ、ヴィラーゼル伯爵。お嬢ちゃん」
レマニエル侯爵はラビットのことを「お嬢ちゃん」と呼ぶ。ウィルバードはラビットのことを公表していないから、彼女がもともとスラム街にいた孤児だとは知らない。おそらくウィルバードの遠縁の娘くらいに思っているのだろう。
ラビットの真っ白い髪を見て眉を顰める貴族も多い中、レマニエル侯爵は昔からラビットに友好的だ。彼女が身に着けているエメラルドのネックレスを、よく似合っているよと褒めてくれる。
レマニエル侯爵とウィルバードが世間話をしていると、「あら伯爵」と華やかな声がした。声がした方へ視線を動かすと、侯爵の娘のアザリーがまるで喪服のような真黒なドレスを着て現れた。侯爵は額を押さえて嘆息した。
「アザリー、またどうしてそのような格好を……」
「着飾りたい気分じゃないもの」
「だからと言って、もう少しましな格好があるだろう」
するとアザリーはにこりと微笑んだ。
「お父様の思惑はわかっているのよ。どうせわたくしの新しい婚約者探しでもはじめるつもりなのでしょう? でもおあいにく様。そういう気分じゃないの」
ラビットはアザリーとははじめて会うが、ずいぶんさばさばしたご令嬢だと思った。目鼻立ちは侯爵に似ているのか、やや吊り上がり気味の猫のような目をしている。
「こんにちは、アザリー」
ウィルバードがアザリーの手の甲にキスをして挨拶すれば、彼女は微笑んで「ごきげんよう」と返す。
「伯爵も早くどなたかと婚約しておかないと、お父様にわたくしとの婚約をごり押しされても知らないわよ?」
「こら、アザリー!」
アザリーはくすくす笑いながら「またあとでね」とパーティー会場に一人で向かう。
レマニエル侯爵はやれやれと息を吐いた。
「失礼いたしました、伯爵。娘はほら、三か月前の礼の件で意地になっていると言いますか、もう男など信用しないなどと言い出しましておりましてね。結婚などせずに家庭教師にでもなると言い出す始末でして。末席の貴族ならまだしも、侯爵家の娘が教師など……」
実業家と言われる、ビジネスに手を出している貴族たちも増えつつある昨今であるが、まだ上流階級の令嬢が働くことはよほどの例外でない限りありえない。働く令嬢たちはもれなく「何か難がある」と穿った目で見られる。日々の食べるものにすら困窮するような没落した家でもない限り、上流階級の令嬢が働きに出ることはまずないのだ。
ウィルバードはレマニエル侯爵に同調するようにうなずいた。
「なるほど、それは侯爵も頭が痛いことですね」
「ええ。それもこれも、あの男がアザリーを裏切ったから……」
「ああ、例の伯爵ですか。彼はずいぶん好色な方のようですね」
「好色どころか、ずるがしこい男ですよ」
ラビットは首をひねった。あの男とはおそらくアザリーと婚約破棄をした伯爵であろうが、この婚約破棄の背景にはややこしい事情でもあるのだろうか。新聞には詳しい事情は書かれていなかった。
ウィルバードは首をひねっているラビットが退屈しているとでも思ったのか、適当なところでレマニエル侯爵との話を切り上げて、パーティー会場へ向かう。
娘の次の婚約者を探すというのは本当のようで、ダンスパーティーには二十代から三十代前半ほどの貴族の男性ばかりが目立った。もちろん彼らのパートナーを務める女性もいるが、年配の、既婚の男性の姿は少ない。
「ラビット、お腹すいてる?」
出かけに軽食を食べてきたので、それほどお腹はすいていない。首を横に振ると、じゃあ甘いものを少しつまもうかと、ウィルバードが一口サイズのケーキを少し皿に盛って渡してくれた。ウィルバードはシャンパンのグラスを持って、ラビットとともに部屋の隅の休憩用の椅子に腰を下ろす。
ウィルバードは、付き合いでパーティーに出席してもあまり踊らない。ラビットと一、二曲踊る程度で、ほかの女性を誘うことはまずない。もちろん婚約者選びをするつもりもないようで、正直言って、ラビットにはあまりパーティーが好きなようには見えない。それでも貴族の義務として、最低限のパーティーに出席し、そしてシーズン中に数回、パーティーを主催しなければならないのだから、貴族というのは面倒なものだなとラビットは思う。
ラビットがもぐもぐとケーキを食べていると、周囲からの視線が突き刺さる。慣れているのでさほどラビットは気にはならないが、気分のいいものではない。これらの令嬢の視線はすべて、嫉妬と羨望、そして若干の好奇心だ。美貌のヴィラーゼル伯爵の妻の座を射止めたい令嬢はたくさんいる。その彼の隣を独占するラビットの存在はさぞ疎ましいだろう。
「……ロードはどうして結婚しないの?」
ウィルバードが結婚さえすれば、ラビットも彼のパートナーを務めることもない。令嬢たちから睨まれることもない。ウィルバードもいつかは後継ぎ問題のために結婚しなくてはいけないのだから、そろそろ観念してもいいころだろう。彼はもう二十九だ。
するとウィルバードは困ったように笑った。どうしてそんな顔をするのだろうか。
「残念ながら、相手がまだ気乗りしないようでね」
なるほど、つまり目をつけている女性はいるらしい。それならばその女性を誘ってパーティーに出席すればよかったのに。存外に、この麗しの伯爵様は奥手なのかもしれない。
「ロード、結婚にはタイミングが必要なんだってドルバー教授が言っていたよ。タイミングを読み間違えると、私のように『煮え切らない』と言われて逃げられてしまうからって。ロードも気をつけたほうがいいよ」
「覚えておくよ」
ウィルバードはどうしてか苦笑する。ラビットは本気で心配しているのに、ウィルバードは冗談だと思っているのだろうか?
(もうおじさんに片足突っ込んでるのに、知らないから)
今はかっこいいとほめそやされているからいいかもしれないが、油断していてドルバー教授のように恋人に逃げられても知らないんだから。
ケーキを食べ終えて皿を給仕に渡すと、ウィルバードがダンスに誘ってきたので彼の手を取ってダンスホールに向かった。ウィルバードは孤児であったラビットにきっちり淑女教育を施したので、特別難易度の高いダンス以外は、たいていの曲を踊ることができる。
(拾った孤児なんかにお金をかけて、ロードは本当に酔狂だなぁ)
そう思うものの、ウィルバードと踊るのは嫌いではない。彼はとてもダンスがうまいから、まるで羽が生えたように軽やかに踊ることができるのだ。
ウィルバードとのダンスを終えると、ラビットの周りに彼女をダンスに誘おうとする男性が集まるが、ウィルバードはそれをにこやかに、けれども有無を言わさない口調で追い払っていく。これもいつものことなので、ラビットは何も思わない。いっそ、ラビットはもともと孤児だったと言ってしまえば、男性たちからダンスに誘われることもないだろうし、ウィルバードもこんな面倒なことをしなくていいのに、どうして言わないのだろう。
ウィルバードが男性たちをすべて追い払うと、ラビットたちはバルコニーへ向かう。シーズンがはじまったばかりなので、夜風は多少冷たいが、凍えるほどではない。ウィルバードはお酒を、ラビットはノンアルコールのカクテルを飲みながら星を眺めていると、バルコニーにいた先客の噂話が耳に入ってきた。
「あれでしょ、ポールマー伯爵に捨てられた」
「そうそう。かわいそうよね」
「なんでも、ポールマー伯爵はソルトレイグ公爵のご令嬢と婚約したそうよ」
「ソイトレイグ公爵令嬢って……、ミリアーネ様はまだ十三歳じゃない」
「そんなの関係ないわよ。だって、ミリアーネ様のお母様は、ねえ?」
ソイトレイグ公爵はラビットも知っていた。直接の面識はないが、現王の妹と結婚したから新聞で取り上げられていることが多いからだ。現王と妃の間には姫しかおらず、ソイトレイグ公爵家の五歳の長男が次期王位を継ぐのではと噂されている。もちろん、これから先、王と王妃の間に王子が生まれてくる可能性もあるので、ただの噂にすぎないが。
令嬢たちの話が本当ならば、アザリーが婚約破棄された理由は、彼女の婚約者であったポールマー伯爵が、雲の上の存在ともいえるソイトレイグ公爵家の姫を射止めたからだろう。王の姪ともなれば例えば隣国の王子相手の縁談も持ち上がることがあるので、公爵自らがポールマー伯爵を選んだとは考えにくい。つまり、姫がポールマー伯爵に惚れるか何かして、自ら望んだに違いないだとうと思われた。
「こら、ラビット。聞き耳を立ててはいけないよ」
興味をそそられたラビットが令嬢たちの話に耳を傾けていると、ウィルバードが小声で言って額を小突いた。
ウィルバードはラビットが新聞を読むことを趣味にしているのを知っている。こそこそ読んでいたはずなのにいつの間にか気づかれていて、最近では彼が読み終わった新聞はラビットの目につくところにわざとおかれるようになった。だから、彼はラビットがこういった面白そうなニュースに目がないことを知っているのである。
ラビットは新聞に書かれていなかった婚約破棄の真相についてもう少し聞いてみたくもあったが、ウィルバードにダメと言われたのであきらめて、ちびちびと甘いノンアルコールカクテルを飲んだ。
令嬢たちはまだ噂話を続けているようだが、集中しないと聞き取れないほどの小声である。ラビットに下世話な話を聞かせたくないウィルバードが話しかけてくるので、彼女たちの話していることは聞こえない。
(でも、つまりはポールマー伯爵は大出世ってわけだね)
もしも本当にソイトレイグ公爵の五歳の息子が王位につけば、未来の王の外戚というわけだ。
(貴族というのは権力にどん欲だなぁ)
伯爵であるウィルバードも、そうなのだろうか? 目の前にものすごい良縁があって、孤児だったラビットが邪魔になったら、アザリーのようにあっさり捨てられるのだろうか。そう考えると、ラビットは胸の奥が小さく痛むような気がして、そっと心臓の上をおさえた。
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