SIGN9 極北への第一歩

 あの夏の日、自分以外は助からなかったと思っていた。


 でも、小さかったシェディスは生きていた。

 さらに、ゲイルとブレイズまで!


 蒼仁あおとは、体内のどこかで冷え固まっていたものが、じんわりと少しずつ温度を取り戻していくのを感じた。


「あの、この二頭、どうやって?」


『十二月、調査中に偶然逢った。強い二頭だ。極寒ごっかん森林タイガで、ほとんど食べることもできなかったろうが、たくましく生きていたよ』


 画面の向こうで語る折賀おりがは、誇らしげにゲイルの頭をなでた。


 人に飼われていた狼犬おおかみいぬたちが生きていた。

 何ヶ月も極夜きょくやの極寒が続く厳しい状況で、野生動物に狙われることも少なくなかったはずだ。動物たちが持つ脅威の生命力に、改めて圧倒される思いだった。


 そう言えば、シェディスの母親も、冬期ではないが人の手を離れて生きていたはず。しかも、シェディスを産み育てながら。


「あ、あの! シェディスのお母さんは知りませんか? ヴィティという、白い犬なんです。確か、二頭の兄弟犬だったはずですけど」


『こいつらにも早く見つけるようかされてはいるが、残念ながらまだ見つかっていない』


 急かす? ゲイルとブレイズが?


『シェディスを捜すようにせっついてきたのもこいつらだ。やっと見つけたのが、ちょうどシェディスが人間に変化したタイミングだった。けものの言葉を解し、大精霊と交信できるという、今のイルハムの力があるからできたことだ』


「イルハム……?」


「僕です、僕ー」


 いつの間にか蒼仁の頭上で、ハムがえっへんと胸を張っている。


「映画でも言ってたでしょ。イルハム、またの名をハム・ザ・シャーマンです!」


「あのポンコツ映画はともかく、シャーマンってほんとだったんだ!」


「なんで僕の言葉じゃなくて折賀くんの言葉なら信じるんですかぁぁ」


 姿も話し方も、全然シャーマンらしくないからだろ、と、その場の誰もが思った。

 当事者の一人・シェディスだけは、まだ芝生の上で幸せそうな顔して眠っている。


 ハムの叫びは置いといて、折賀は話を続けた。


『飼い主の家族に許可を得て、今は俺がこいつらを預かってる。今、こっちはかなり厳しい状況だ。いずれ人の力よりも動物たちの力を頼みにする時が来る。具体的に言えば』


 突然、激しいサイレンの音が響き渡った。蒼仁は思わず周囲を見回したが、公園は静かなままだ。

 異変は画面の向こう、カナダで起きている。


『また誰かが遭難そうなんしたのかもしれない。ブリザードも頻繁ひんぱんに発生している。こんな事態になっても社員を避難させないバカな企業が多すぎる。電波障害も』


 ここで通信が切れた。まさに電波障害だ。

 

 甲斐かいが落胆しながらタブレットを手に取った。


「やっと久々につながったのにな。あいつもさっさと避難すればいいのに」


「こうも電波が届かないと、交通機関も怪しいでしょうね~。彼、大学の講義のいくつかはオンラインで出席していたはずですが。卒業は大丈夫なんでしょうか~」


「え、あの人まだ大学生?」


 蒼仁が驚くと、甲斐が「うん」と返答した。


「高校で俺と同級だった」


 蒼仁は驚いた。それまでの甲斐の口ぶりから、同じ年代であっても不思議はないのだが。


 非常事態が続く、激震げきしん真っただ中の極北で。厳しい環境にさらされながら、何ヶ月も調査を続けたり、犬を預かったり、とは。もっと年上の男でもきついのではないだろうか。


 すごい、と素直に思った。

 学業にとらわれず、危険もかえりみず。何かを成し遂げようとしている者の気概きがいを感じる。


 自分も、そんな大きな人間になれるだろうか。



  ◇ ◇ ◇



「とまあ、今のカナダはかなりカオスな状況なわけですが……」


 ハムが、蒼仁の頭上でポリポリと頭をかきながら言った。同時にポリポリとおやつのナッツも食べている。


「蒼仁くん、それにシェディスも。僕たちは、近いうちにまたカナダへ行かなければなりません」


 カナダへ――


 それは蒼仁の目標が、一足飛びに目前へ近づいたことを意味する。

 同時に、これまでとは比べものにならないほどの危険へ飛び込んでいくということも。


「自殺行為」


 と、パーシャも冷たく言い放った。


「わかってると思うけど。日本こっちでは『なかったこと』で済んできた今までの襲撃しゅうげきが、カナダあっちでは全部本当になるのよ。アオトにひょうがぶつかれば死ぬし、シェディスも狼にまれたら死ぬし、ハムがヘラジカに踏まれても死ぬ。いくらアオトが大精霊グレート・スピリットから力を授けられたからって、なんでそこまで危険なことをしなくちゃいけないの?」


「それもまた、大精霊グレート・スピリットおぼしなのでございますぅ~」


 ハムは蒼仁の頭から降りると、その辺で拾った草を腰ミノがわりに腰に巻き、「大精霊に捧げる舞」を舞いながら神妙に告げた。フラダンスにしか見えない。


「これは、極北の先住民族に代々伝えられている教えです。

 この世界の生物、無生物、天候、事象に至るまで。すべてのものにひとつひとつ、精霊が宿っています。それらをべるのが天空の大精霊、グレート・スピリットです。

 世界を包み込む空。恵みの光を放つ太陽。世界を浄化する炎。世界を守る風。

 それらはすべて、世界のすべての生き物たちのものです。言い換えれば、誰のものでもありません。人がそれらを支配してはならないのです」


 蒼仁の意識に、じんわりとしみ込んでいく教えだった。ハムの言葉なのに。


謙虚けんきょな教えがちゃんとあるのね。少しはまともなこと言うじゃない。で、アオトと何の関係が?」


「お答えしましょう!」


 天空に両手でナッツをかかげるハムに、太陽の光が降り注ぎ、崇高な音楽まで流れ出した。


 単に、甲斐がハムに頼まれて『ハムハム物語』のBGMを流してるだけだった。


「これになぞらえて、大精霊グレート・スピリットよりこのようなお告げがございました。

 狼は、動物世界の番人です。天上の国・煌界リュースの動物霊たちが秩序を失った今、地上の精霊たちを守り、つまり地球の自然を守る役目は、霊狼ヴァルズと呼ばれる狼の姿をした精霊たちにたくされました。霊狼ヴァルズの中でも特に選りすぐった四体を、空・太陽・炎・風のそれぞれを守る守護精霊として、地上の世界に送り込んだそうです」


 選ばれた、四体の霊狼ヴァルズ。蒼仁は記憶に刻み込んだ。


「『闇のオーロラ』を越えて襲い来る霊狼ヴァルズや動物霊をなだめ、煌界リュースへ還すには、守護精霊の力を得た四体の霊狼ヴァルズの力を召喚するしかありません。その召喚を行うのが、力を授かった少年・蒼仁くんなのです!」


 ジャジャーン!

 甲斐の音響の仕事が終わった。


 タブレットを片付けながら、甲斐が心配そうな表情で言葉を継いだ。


「わかりやすく言えば、選ばれた四体の霊狼ヴァルズと蒼仁くんが召喚する力じゃないと、『闇のオーロラ』の脅威とは戦えないんだって。カナダの警察や軍やハンターを出動させても倒せない。蒼仁くんが行くしかない、ってことなんだ。でも危険すぎる」


 甲斐もパーシャも、「なんで蒼仁が」と、納得しない顔だ。

 その中で、当の蒼仁は「四体?」という部分が気になっていた。


「シェディスもそのうちの一体?」


「はい。シェディスちゃんは、大精霊の加護を受けて人型に変化すると同時に『天空の霊狼ヴァルズ』の力を得ました。あ、百パーセントの狼ではないので、正確には『霊狼犬ヴァルファンス』です」


「ほかにも戦う霊狼ヴァルズが三体必要ってこと?」


「『天空』の他に、『光架こうか』・『双焔そうえん』・『刃風はかぜ』の三体を捜さなければなりません」


「あと、三体……」


 つぶやく蒼仁の頭の中に、「なんで自分が」はないらしい。

 どうすれば現状を打開できるのか。思考は立ち止まらず、前へ前へと進んでいく。


「思ったんだけど。日本にいて襲撃を受けた場合、もし俺がやられたら、その部分だけは本物になると思うんだ。でないと襲撃する意味がない。

 日本をカナダのようにしないのは、多分その方が俺を襲うのに都合がいいから。カナダをあんなふうにしたのは、あの国の野生の狼や動物たちに関係があると思う」


「ふむふむ……。いい読みかもしれませんね」


 蒼仁はかがんで足元のフラダンスハムを拾い、両手に乗せたまま告げた。


「俺、カナダに行く」


「アオト!?」


 パーシャがとがめるように叫ぶが、かまわずに言葉を続ける。


「もともと行こうと思ってたんだ。行って、何があったのか確かめるつもりだった。入国するには地位のある役職や専門の技能が必要だから、そのために勉強してきた。それまで何年かかっても行くつもりだった。

 それが、もしも今すぐに行ける、というなら……こんなチャンス、願ってもないよ」


「そうだね、行こう!」


 元気よく起きたばかりのシェディスが、やや沈んでいた微妙な空気を、読むこともなく勢いよく吹っ飛ばした。


「私が生まれたところはカナダっていうんだよね。私、アオトと一緒にカナダへ行きたい。駆けっこにちょうどいい森の道、冷たくて気持ちいい川の水、いいにおいのする花、いいにおいのする風、おいしそうなにおいのリス、どんなにジャンプしてもつかめない白い雲、とにかくたくさん、アオトに見せてあげたい。アオトと一緒に遊びたい!」


 蒼仁の中にも、まぶしかったユーコンの日差しが、穏やかで力強い川の流れが、さまざまなにおいがよみがえってきた。ゲイルとブレイスが、たくさん遊んでくれたことも。


 もう一度、あの場所へ戻りたい。


「ハム、カナダへ案内して。その前に、甲斐さんと一緒に、うちのお母さんを説得してくれないかな。さすがに反対されると思うから」


「ええとですね、ちょっと待って、蒼仁くん」


 おやつのナッツを振りながら、ハムは少し困った顔をした。


「きみのやる気は立派だと思います。カナダへ行かなければならないのも確かです。でもその前に、日本でやらなくちゃいけないことがありまして」


「特訓? もっと必要なら、いくらでもやるけど」


「いえいえ、それもありますが、探さなければならない霊狼ヴァルズのうちの一体が、どうやら日本にいるようなんですよ」


「日本……」


 蒼仁は自分のタブレットを操作し、何かを確認してから真剣な表情で言った。


「じゃあ、毎週日曜の志望校別特訓と、月一の模試の日を避ければ霊狼ヴァルズを探しに行ける。できればカナダ行きも、今は学校があるから夏休みにあてられると助かるんだけど。あ、夏期講習と、夏期合宿特訓の日程も考えないと。その前にGW集中特訓もある。スケジュールはしっかり立てないとね」


「「「………」」」


 ハムとパーシャと甲斐は顔を見合わせた。

 ここまで非常事態が進んでも、蒼仁の日常の姿勢にブレはない。ある意味、蒼仁の精神も十分にたくましい。


「アオトのスケジュール管理能力が鉄板なのは十分わかったけど。それ、ほんとに全部行くつもり?」


「蒼仁くん、やる気があるとこ悪いですけど……たぶん、それ、ムリですぅ……」


 召喚士であるよりもずっと前から、蒼仁は立派な受験戦士。

 まだまだ、学業(主に塾)からは離れられないのだった。



 塾の出席日数はともかくとして。

 彼らの、「二頭めの霊狼ヴァルズ」を探す戦いが始まる。


 二頭めの霊狼ヴァルズ、その力を『光架こうか』。

 万物の上に降り注ぐ太陽の光が、架け橋となって広い世界を繋いでいく。


 天空に燃え上がるその光は、闇を打ち払う力となるか。






I 「天空」の霊狼 <了>

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