SIGN8 公園でバーベキュー

 日本、四月。


 桜はだいぶ散ってしまったが、ぽかぽかとよい天気の下、公園で緑の空気を吸い込むのがとても気持ちのいい季節だ。


 蒼仁あおとの家からそう遠くない場所にある、市営の広い公園。

 豊かな木陰に涼みながら、遊歩道をのんびり散策することも、風を感じながらサイクリングコースを駆け抜けることもできる。


 バーベキュー広場もあるので、気心知れた仲間同士でわいわいとランチをつつくのもいいだろう。

 木々の合間から見える湖の景色に、心が洗われてゆくのを感じる。


「シェディスの分は、当然タマネギは抜くとして。それ以外は、焼けば大丈夫なんだよね?」


「はいー、もごもご、しっかり焼いて、ごっきゅん、さましてからあげてくださいー。人になったからって、ぷるぷる、好みや苦手は、うまうま、すぐには変わりませんから。あ、カルビと牛タン追加お願いします!」


「シェディスはソーセージもダメよ。こっち、キャベツとピーマン追加するわね」


「わーい! 美味しそうなにおい! 楽しみー!」


 彼らの熱気と箸とトングが、網の上を忙しく動き回る。たくさんの肉と野菜が、続々と香ばしい匂いを飛ばし始める。


 てきぱきと食材を焼く、二人の小学生。

 てきぱきと指示しながら味見する、いちばん小さな生き物。

 ぱっと見彼らの引率役に見えなくもない少女は、少し離れたところで歓声をあげながら、心のしっぽを振っている。


 炭のそばから、もうひとりの人物が立ち上がった。

 こちらが本当の引率役。ハムが「トゥルーフレンド」と呼んでいる、二十代の茶髪の男性だ。

 彼はバーベキューのわかりやすい役目を子供たちに任せ、危険がないかとさりげなく気を配りつつ、自分は炭番やタッパー類の片づけ・食器類の準備などの裏方作業に徹している。


 甲斐かい健亮けんすけという名のその男性は、まだ学生だが、現在自分のアパートの部屋にハムとシェディスを預かっている身だ。

「俺の部屋、そんなに広くないけどね」と苦笑しながら。


 教員を目指しているというだけあって、子供たちへの接し方が柔らかくも頼もしく、安心感を与えてくれる。


「ハムとはよく一緒に食べてるけど。まさかパーシャとも、日本でバーベキューすることになるとはね」


 と、しみじみとつぶやく甲斐は、以前から彼らと縁があるらしい。


 さらに驚くことに、甲斐とハムは、蒼仁の母親とも面識があった。

「シェディスさんが一緒なら安心ね」と、母親が出逢ったばかりのシェディスに蒼仁の付き添いを任せたのは、そういった背景があったからなのだ。


 和気あいあいとバーベキューを楽しむ、人間たちと動物たち。

 今、公園内には彼らのほかに誰もいない。


 さびれた公園だからというわけではない。この日、彼らは「園内一斉整備」の名目で、広々とした公園を丸ごと借り切ってしまったのだ。

 甲斐の知り合いに、市に話を通せる「顔が利く人物」がいるらしいが、蒼仁にはそこまでの事情は知らされていない。


 貸し切りにした理由は、ただひとつ。

 一般市民に見せられない活動を、面積のある屋外で行う必要があるからだ。


 日本の空に「闇のオーロラ」が現れても、局地的に大吹雪が吹き荒れても、周囲の人間の記憶に残らず痕跡こんせきも残さないことは、すでに二回の事例で確認した。


 ならばここで大精霊と交信し「召喚能力」を発動しても、それが誰かに発見されたとしても、騒ぎにはならないのではないか。

 万一騒ぎが起きたとしても、「顔が利く人物」が人脈でなんとかしてくれるらしい。


 ――という経緯で、この公園を彼らの演習場にしてしまったのだ。



  ◇ ◇ ◇



 午前中、蒼仁は自分に課したノルマをある程度クリアした。


 すでに二回経験した一連の流れをイメージし、天から光と嵐をび、「天空!」の一言でスムーズに武器を召喚できるようになった。発動までの時間短縮に成功したことになる。


 さらに、武器の形状を変えることもこころみたが――これはまだ成功していない。


 ロッドのサイズや重量を変える必要は、あまりないのかもしれない。

 サイズを上げれば当然、シェディスの長所である俊敏しゅんびん性が損なわれる。

 剣や槍などといった別の形状は、棒と共通する「型」もあるが、刃がある分、異なる動きが必要になる。重心もその都度変わる。

 現状では、これが人型シェディスにとって最適な形状なのかもしれない。


 なぜシンプルな「棒」なんだろう、と蒼仁は考えた。


 もとが狼犬おおかみいぬなら、牙を連想する刃物の方がイメージに近いのに。

 シャレではないが、「狼牙棒ろうげぼう」という、牙のようなトゲがたくさんついた棒状の武器もある。シェディスのロッドは、材質こそ特殊だが、形状は何もつかないまっさらな棒だ。


 何かシェディスならではの理由があるとしたら、やっぱり性格なのかな、と思う。


 シェディスの性格は、よく言えば素直で天真爛漫てんしんらんまん。悪く言えば、やや用心深さに欠けるところがあるが、まだ一歳という年齢を考えれば無理もない。


 無駄に獲物を狩ることはしない。家族や仲間への優しさ、情愛に満ちている。

 そんな、犬や狼がもつ「温かな部分」が、シェディスの全身からあふれ出ているように感じる。

 霊狼ヴァルズは同属。ヘラジカも、食さないなら「獲物」ではない。

 彼らと戦った時も、きっと、無駄に傷つけたくはなかったんじゃないかと思う。


 初めて逢ったとき、シェディスは霊狼ヴァルズの群れに向かって「『煌界リュース』へかえれ!」と叫んだ。

 シェディスにとって、戦闘は相手を害する行為ではない。「煌界リュース」へ還すための行為。


 棒ならば、できる限り傷つけずに相手を制することも可能――

 そう考えると、なんとなくだが納得できる気がする。


 緊急の事態に備え、体力を使い切ることは好ましくない。蒼仁の修練は午前でいったん切り上げることになった。


 シェディスの方は、まだまだ元気いっぱいだ。

 午前中は蒼仁が召喚した氷結棒アイスロッドを「うりゃーっ」と振り回し、バーベキューを挟んだ後、午後は同サイズ・同重量の木製の棒を「おりゃーっ」と振り回す。

 時々勢い余って、ブリッジしたりでんぐり返ったりトリプルアクセルを繰り出したりしてしまうのはご愛嬌あいきょう


 これでも、やみくもに振り回しているわけではない。

 事前に甲斐の伝手つてで、棒術を含む武術にけた知人に指導を受けた。棒術の基礎、基本の「型」は、ひと通り身に着けている。


 あとは、シェディスならではの動き、氷結棒アイスロッドならではの特性が、どこまで可能性を広げてくれるかだ。


 蒼仁の眼前で、大きく回転する棒と一体化したかのように。

 華奢きゃしゃなシェディスの全身が、激しく渦巻く空気をまとって風のように駆け抜けた。



 ◇ ◇ ◇



「体力使い切るなって言ったのに」


 スイッチが切れたように急に倒れ、芝生の上で爆睡に突入したシェディスを見て、蒼仁はまったくもう、と苦笑した。

 年齢的に、シェディスはまだまだ遊びざかりの狼犬。はりきるなと言う方が難しいのだろう。


「そういう蒼仁くんは、休憩入れなくて大丈夫なんですか?」


 ハムが言うとおり、自分の召喚トレーニングが終わったあとも、蒼仁はノートやタブレットを離さない。

 塾の自習時間を割いて来ているので、少しでも遅れを取り戻すために高速でタブレットを操っている真っ最中だ。


「受験生が毎日勉強するのは当たり前だし」


「でも、夕方からまた塾へ行くんでしょ?」


「これもアオトなりのトレーニングなんじゃない?」


 木陰で読書中のパーシャが、言葉を入れてきた。


「体を酷使するシーンから頭を酷使するシーンへの切り替えスイッチ。対象が切り替わるたびに、自分自身も瞬時に切り替える。それぞれのシーンでベストパフォーマンスを目指す。この先何があるかわからないから、スイッチを意識することは無駄にはならないはずよね」


「確かに、受験生はマラソン大会や運動会の直後にぶっ通しで模試を受けるなんてこともあるんですよねー。いいトレーニングだけど、すっごく疲れそうですー。柔軟で回復の早い少年ならではですね。もうあちこちガタが来てる、ちょっぴりメタボが気になるおっさんのハムにはうらやましい限りですぅ〜」


 そう言いながら、公園設置の野外テーブルの上で「オイッチニー、サンハム!」とラジオ体操を始めるおっさんハム。これが今のハムのベストパフォーマンスである。


「シェディスが何でもあっという間に覚えてしまうからね。俺も負けられないよ」


 蒼仁の目から見ても、シェディスの吸収スピードには驚かされる。どんなことも、一度見れば覚えてしまうのだ。

 体の回転だけでなく、頭の回転も速い。慣れないはずの人間の体をすっかり使いこなし、彼女はどんどん強くなっている。


 彼女は人型の、もと狼犬。

 この先、人として生きるのか、犬あるいは狼として生きるのかはまだわからない。

 どの生き方に進んだとしても、彼女だったら柔軟にうまく生きていけそうな気がする。


 彼女が犬だったら、警察犬や救助犬のような優秀な使役犬しえきけんになってもおかしくない。


 もし、狼だったら――


 きっと、いつかはあの次期狼王、ウィンズレイをも超えられるんじゃないだろうか。



 ◇ ◇ ◇



 少し離れた場所で、甲斐は両手にタブレットを抱え、画面に映る相手と通話中だった。


「お前またヒゲ伸びてんじゃん」などと楽しそうに談笑している。親しい男性が相手らしい。


 しばらく話した後で、甲斐はタブレットを持って蒼仁のそばに来た。


「蒼仁くん。俺の仲間が今、調査のためにカナダにいるんだ」


 カナダ。その名を聞いて、蒼仁の意識が跳ね上がる。

 すべての始まりの場所。

 今の蒼仁が、行きたくても行けない遠い国。


「そいつが、蒼仁くんに話があるって」


 差し出されたタブレットを受け取る。

 いったい、どんな話なのか。

 調査で何か、わかったのだろうか――


 画面を通して蒼仁に向き合ったのは、防寒装備に全身をしっかりと包んだ、若い日本人男性だった。

 整った精悍せいかんな顔立ち。いるだけで、空気が引き締まるような人だ。


 吐く息の白さが、現地の寒さをわかりやすく伝えてくる。屋内にいるらしいが、暖房は効いていないのか。

 窓の外では風が荒れている。窓がビリビリと震える音まで伝わってくる。 


 男は蒼仁に向かって軽くあいさつした後、自分の名前を『折賀おりが美仁よしひと』と名乗った。


『蒼仁くん。こいつらを、覚えてるか』


 折賀がタブレットの向きを変えた。折賀に代わって現れたのは、灰色の毛並みを持つ二頭の犬。

 犬と言うよりは、かなり狼に近い風貌だが、二頭とも首輪をつけている。

 

 蒼仁は息をのんだ。二頭の顔も、毛色も、首輪も確かに見たことがある。


 一緒にカヌーで旅した仲間だ!


「ゲイル! ブレイズ! 生きてたんだ……!」

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