……婚約?

 フェルゼスを囲む四つの国は、王族に並ぶ程の権力を持つ大公達がそれぞれ治める国だ。入出国の管理は厳しく、現地に別荘を構える貴族であれば、一年程度なら静養として滞在を認められるが、平民だと長めの観光でも移動を含めて1ヶ月程度が限度。

 それ以上の滞在だと、旅費の出所を疑われる事にもなるし、実際に平民には捻出の難しい額である事から、満期で申請される事も殆どない。申請の更新なんて以ての外だし、許可証の発行自体、申請から早くて三日。遅ければ一週間は掛かってしまう。例え申請回数の不審さに目を瞑ってもらえたとしても、時間の無駄だ。


「……平民になっても普通に王都で生活して、旅行のような贅沢をするつもりもなかったから失念してましたわ…」


 公爵令嬢、慎ましすぎない???


 うちのように竜をまとめる一族は、移動能力の高さから国内外の行き来を期間問わず認められているという事が例外なのだと、すっかり忘れていた俺は、彼女に比べてなんと傲慢なことか。見習わなくては。


 平民であっても、国外に取引先があって通行証を発行されている商人であれば、申請は必要ないけれど……え、ファウスティナ嬢と商売でも始めるべきなのかしら、これ。


「手っ取り早い方法が、なくもねぇけど。」


 さっきまで頭を抱えていたはずの兄貴が、やたらウキウキした笑顔で言ってくる。嫌な予感しかしませんね?


「本当ですかっ!?」


 俺は出来ればスルーしたかったけど、言わば当事者であるファウスティナ嬢からしたら、方法があると言われれば知りたいわよね…腹を括るしかないのか……


「あんたがラヴと婚約しちまえば、いつでもどこでも、好きなだけ滞在し放題だぜ!」


 …っほらぁ~やっぱり!!ぶっ込んでくると思った!!特大の爆弾を!!!!

 「結婚でも良いけどな」なんて兄貴は続けてるけど、そういう問題じゃないのよ…!!せめて理由とか過程を説明してから結論を言って!!


「こここっ、こっ、こ、婚約ですか…?」


 どもってる。めちゃくちゃどもってるよ、ファウスティナ嬢。気持ちはとてもよく分かるけども。

 うちの兄貴がごめんなさい。


「ゼレノイ家の人間には、王族や大公と同等の通行、滞在の自由が与えられているのですよ。配偶者であれば、余計な詮索をされる事もありませんので、方法として考えて頂いても宜しいのではないかと。」

「なるほど、それならゼレノイ家の別邸にお嬢様が暮らしていても、不自然ではありませんね。」

「何か訊かれても、花嫁修行を兼ねた婚前旅行の一言で片付くしな~。」


 エドガーのじいちゃんのフォローと、それに納得したロルフさんのおかげで衝撃が和らげられそうだったのに、兄貴の一言で台無しだよ…!!そろそろ、真っ赤に茹だったファウスティナ嬢の頭から煙が出てきそう。

 そんな彼女の様子を見て、逆に俺は冷静になれた気がするわ。スノウも心配している事ですし、これ以上事態をややこしくする訳にはいかない。


「えっと、ファウスティナ嬢?大丈夫?話せる?」


 スノウを抱えたまま席を立って、ファウスティナ嬢の顔を覗き込む。顔は相変わらず真っ赤だし、瞳も潤んでいて庇護欲を掻き立てられ、思わず抱き締めてしまいそうになるのをグッと堪えた。スノウを落としてしまう訳にもいかないし…!

 こくこくと、声は出せなくても頷いてくれたから、さっきとは逆に、俺が彼女の横へしゃがみ込んで…スノウを抱いていたうちの片手を、膝の上で握り締められていたファウスティナ嬢の手へ重ねる。拒否はされないようで、安心した。


「婚約と言っても、本当に手段として考えるだけでも良いのよ?自由が利くのは確かだから。でも、俺に対して迷惑を掛けるとか、そういう事だけは思ってほしくない。」


 この言葉にも、こくりと頷いてはくれた。さて、ここからが本題。

 いくらこれまで女性に縁がなく、恋愛というものに疎かった俺でも、『女の子にとっての結婚』というものが、人生でどれだけ大きく影響するものなのかは、俺なりに分かっているつもりだ。

 ───王子サマとの婚約破棄どころか、平民になる事まであっさり受け入れたファウスティナ嬢だって、俺からすれば『一人の女の子』でしかない。だからちゃんと、俺も『婚約』というものを決して蔑ろにしている訳ではない事は、伝えてあげなければ。


「あとね、これだけは知っておいてほしいんだけど…俺は、君の気高さも優しさも、意外と快活で前向きな所も、全部、好ましいと思ってる。そんな君との婚約なら、俺は嫌だなんて全く思わないし、寧ろ光栄なくらい。でもね、取り繕って言っても意味ないから正直に言うけど…俺にとっての最優先も、今は『スノウの願い』であり『君の願い』だから……婚約をするにしても、婚約自体を重視する気はない。それを踏まえて、どうするか決められそうかな?」

「ラヴレンチ様……」


 蔑ろにする訳でもないが、重視してあげる事も出来ない。それが、ファウスティナ嬢とスノウの為でもあると思うから。そんな想いを込めた、拙い言葉であったが、ファウスティナ嬢はしっかりと受け止めてくれたらしい。

 その大きな目を閉じて、深呼吸を一度。それから一つ頷いて瞼を開けると、真っ直ぐに、俺の目を見て微笑んでくれる。


「…婚約のお話、喜んでお受け致します。……よろしくお願い致します、の方が正しいかしら…」

「ふふ、どっちでも良いよ。こちらこそ、よろしくお願いします。」

「キャーウ!」


 お互いにぺこりとお辞儀し合ったのが楽しかったのか、はたまたファウスティナ嬢の変化に安心したのか、スノウは上機嫌だ。抱いているのがパートナーではない俺でも自然体で居て続けてくれるとは、なかなか肝も据わっているようで。

 固唾を呑んで見守ってくれていた場の空気も和らいだところで、漸く俺も肩の力が抜けた。これ以上の問題はないことを願いたかったけど、そうはいかないのが現実ってもんよね~。


「水を差すようで悪いんだが、婚約がホンモノ・・・・になるかどうかは置いといて……うちにとっては有り難いことこの上ない縁談だが、公爵様の方は問題ないのか?」


 親父ぃ~?何で兄貴が提案した時点でそれを言ってくれなかったかなぁ~???

 結婚ではなく婚約に留めるのは、お互いの気持ちもあるから当然として、今後、ファウスティナ嬢が公爵家に戻った場合を考えての事でもあったけど。目下の問題に囚われすぎて、ご両親の事まで考えが至らなかったわよね…何という失態。


「あ、そこは問題ないと思います。」


 さらり、と。


 頭を抱える俺の心配を余所に、ファウスティナ嬢は『何でそんな事を気にするんだろう?』くらいのノリで言ってくれましたが?どういうこと?


「あの日は両親共に外せない用事があり、外出しておりましたので紹介する事が出来なかったのですが…」


 申し訳なさそうにそう言われましても、俺は逆にあの日紹介されなくて良かったと思ってしまう訳でして。

 だって、ファウスティナ嬢とまともに会話をした事すら、あの日が初めてよ?社交界に顔を出しもしない珍伯爵の次男坊が、公爵様と会って話すなんて…緊張のあまり何を口走るか分かったもんじゃない。

 あの時はご両親に遭遇する可能性までは考えてなかったけど、今思うとなかなかに無謀な事してたのね、俺……


「両親にラヴレンチ様のお話をしたら、わたくし達の出会いをとても喜んでくれて……ふふっ、お父様なんて、アリアに乗せてもらったわたくしに嫉妬したくらいなんですよ?」


 「だから、めちゃくちゃ自慢してやりました!」ってドヤ顔するファウスティナ嬢、可愛すぎか?───なんて、緩みそうになった頬は、次の瞬間にはピシリと固まる事になった。


「そうしたらお父様ったら…『初めからラヴレンチ君をお前の婚約者にしておけば良かったなぁ』とまで言い出す始末で。流石に、その時は『ラヴレンチ様に失礼ですよ』と返しましたけど……そんな訳ですので、驚きはするかもしれませんが、反対はしないと思います。」

「そうかそうか!それなら安心だな!うちの息子を頼むよ、お嬢さん。」

「そんな!こちらが頼む立場ですのに!」

「………おー、見事にラヴが固まってんなぁ。」


 ………ハッ!内容が衝撃すぎて、思わず無の境地へ旅立ってしまってた…!!兄貴の指摘がなければそのまま石化してたかもしれない……スノウは小さな手でぺちぺちと俺を叩いて、正気を取り戻させようとしてくれていたと言うのに。ごめんよぅ…


「元々はそのおチビさんの相談で来てくれた訳だしなぁ。それが何で婚約の話になるのかって、公爵様は疑問に思うだろうし…よし!善は急げってやつだ!ラヴ、お前、明日お嬢さんを連れて公爵様の所へ挨拶に行ってこい!」


 明日ァ!?親父、それはちょっと…いくら何でも急すぎない?


 俺以外の皆が『それが良いですね!』的な空気で、断れそうな気配が微塵もない。これは、観念した方が良さそうね。

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