第111話 暗躍する濃密な影

 トールたちが街を出るのを遠くから確認したあと。

 さらにしばらく時間をおいてから、ある女性がフィンリスの南門へとやってきた。


 その女性は現在国内外に指名手配されている。ひとたび衛兵に見つかれば大騒ぎになってしまうだろう。しかし、門番は彼女を素通りさせた。


 それは門番にやる気がなかったからではない。

 彼女が使用した法術により、認識を阻害されたからだ。


「さてさてー、さっさと情報収集しておきますかー」


 女性がまっすぐ向かったのは、冒険者ギルドであった。女性にとっては鬼門中の鬼門だ。それでもギルドに向かったのは、是が非でもある情報が必要だったからだ。


 認識阻害の法術を何重にも重ね掛けをし、さらには《緊急転移(バックドア)》の魔道具までセットした上で、女性はカウンターに向かった。


「一つ、聞きたいことがあるんですがー」

「おはようございます。本日はどのようなご用件でしょうか?」


 毛並みが良く、愛らしい顔立ちの女性が、満面の笑みを浮かべた。


(たしかー、名前はマリィ、でしたかね-)


「トール・ミナスキは、どこへいきましたかー?」


 受付嬢には守秘義務が課せられている。

 正攻法で聞き出そうとしても、彼女は絶対に情報を教えてくれないだろう。


 では、邪法ならばどうか?

 女性の言葉には、法力がたっぷりこもっていた。それをまともに受けたマリィの瞳から、光が急速に消失した。


「トールさん、は……ペルシーモの、採取に、向かわれました」

「ペルシーモ?」


 マリィは現在、法術による催眠状態にある。

 その口から出てきた言葉に偽りはあるまい。しかし、女性にとっては耳を疑う情報だった。


「不思議ですねー。なんでBランク以上の狩り場に、Dランクの冒険者が行くんですかー?」


 マリィは偽情報を掴まされているのではないか。女性は眉根を寄せた。


「ランクアップクエスト……ま、迷い人の反対派が、こここ、高難易度の……、国王の勅命……褒美が与えられて……し、しし、Cランクに……」

「ふむふむー」


 少々心を強く縛りすぎたか、マリィの呂律が回っていない。

 精神崩壊を起こす兆候だ。


(首都を守ったことで-、国王から褒美が出たけどー、反対派に押し切られて、難易度の高いランクアップクエストになったとー……となると、今なら儀式魔術が間に合いそうですね)


 しばらくトールは、この街に戻っては来ない。

 以前のように、迅速にクエストを攻略して戻ってくる可能性はなくもない。なぜならペルシーモは、どう足掻いても往復に三日はかかる場所にあるからだ。


 対して女性が行おうとしている儀式魔術は、発動までに二日。一日もあれば、フィンリスを消滅させるに十分だ。


 しかしあくまでそれは、相手がトールでない場合の予測だ。


(いくら時間があっても、油断ならないんですよねー)


 トールは運命の神に愛されている。運命の強制力が働けば、一日の差など簡単にひっくり返される。それを、女性は身をもって知っている。

 おそらくこの情報は、運命神の疑似餌だ。これをチャンスとみて、飛びつくのを運命神が待っているのだ。


(まずは準備を万全にしてから、トールの動きを確実に止める方向で動いた方が良さそうですねー)


「ありがとうございましたー」


 女性はパチンと指を鳴らす。その音とともに、マリィにかかっていた法術が一瞬で消失した。

 もし法術がもう少し長く彼女を縛っていれば、間違いなく精神が崩壊して生命活動が停止していたことだろう。


 法術を解いたのは、彼女の命を救うため――などでは決してない。そもそも女性にとって、たかが受付嬢がどうなろうと知ったことではない。


 ここで彼女が死ねば、必ず原因を探られる――女性がここに来たことが露見するからだ。

 それではただ、敵に警戒を促すだけである。


 飛ぶ鳥跡を濁さず。自分の存在は、なるべく事を起こす直前までは露見しない方が良いのだ。


「あ、あれ……わたし、どうして……」


 頭を抑えるマリィを尻目に、女性はギルドの出口へと向かった。


(さてさてー。まずは儀式に取りかかりますかー)


〈隠密〉と〈忍び足〉を発動し、念のために認識阻害の法術をかけなおす。

 その時だった。ふと足下で、半透明の生物がぷよぷよ動いているのが目に入った。


 それは、紫色の核を持つスライムだった。


「――ッ!」


 即座にバックステップ。

 女性は腰にあるナイフに手を伸ばす。


 このスライムは、以前王都で魂回収の邪魔をした神の手先だ。

 いますぐ叩き潰さなければ!


 女性がナイフを引き抜くより早く、スライムから法力が射出された。


「な……」


 その法力が、女性の法術を一瞬にして消し去った。

 予想もしなかった事態に、女性はコンマ一秒思考が鈍った。


 悲願が成就されるまであと少し。

 もうすぐ、神の王が復活する。


 ――だというのに!


 その時、何者かにぽんと肩を掴まれた。


「よおルカ、元気してたか?」


 その言葉に、女性はぎょっとした。

 即座に回避。

 だが、間に合わない。


「歯ァ食いしばれッ!!」


 突如現れた男の拳が、爆発音とともに女性のこめかみに突き刺さったのだった。

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