3章 王都ユステルの炎禍

第64話 プロローグ 行き違い?

「なんで、リリィさんがここに……?」


 想像もしていなかった事態に、透は頭が真っ白になった。


 透らが入って来たのは、領主より賜った一軒家である。


 先日の騒乱で手柄を上げたことで、透は領主から欲しいものを尋ねられた。

 その折りに、透は以前より狙っていた一軒家を領主に願ったのだ。


 それまで宿に宿泊していたのだが、宿では他の客の迷惑になるため、朝練が出来なかった。

 また夜練の魔術訓練もやんわり禁止されてしまっていた。


 いくらスキルボードがあるとはいえ、得た力を馴染ませるための訓練を行う必要がある。


 日本とは違い、エアルガルドは魔物の跋扈する世界だ。

 気を抜けば、あっさり命が失われる。

 そんな世界だからこそ、訓練を行うための環境作りは喫緊の課題であった。


 そこで、一軒家である。

 一軒家を手に入れれば、自由に訓練が行える。


 透はこれがかなり無茶な願いだと考えていたが、意外にも透の願いはすんなり受理された。

 この街フィンリスにとって、透の功績はそれほどのものだったのだ。


 領主に一軒家を賜り、さあこれからだというタイミングだった。

 賜った一軒家に入ると、何故か魔術書店の店長リリィがいた。


(これは……どういうこと?)


 頭が真っ白になっている透に向けて、リリィが眠たげな目を僅かにつり上げ、手を持ち上げた。


 その先端から、僅かに魔力の気配を感じる。


「侵入者」

「ち、違う。違います! ここは領主から頂いた家で――」

「問答無用」

「ちょ――」


 透が説明しようと口を開いたところで、リリィが手に集めた魔力を解放した。

 透は慌てて手を前に差し出す。


 リリィが放った魔術が透に触れる。

 その瞬間だった。


 ――。


 音が、消えた。

 無音が部屋に飽和し、消散。

 再び音が、戻って来た。


「あっ、ぶなかったぁ……」


 安堵のあまり、透は腰が砕けそうになった。


 透が行ったのは、魔術の相殺。

 相手が放った魔術と、まったく同じ魔術を合せたのだ。


 リリィが放った魔術は、見ただけではわからなかった。


 だが――火魔術では家が燃えてしまうし、水魔術や土魔術では後片付けが大変だ。家の中で使うなら、風魔術が最も可能性として高い。

 ――そう、透は当たりを付けた。


 そして、相手が放った魔術を相殺しようと、同等の力・規模で魔術を展開した。


 透が用いた相殺術は、アクティブ消音と同じ原理だ。

 アクティブ消音とは、騒音に対してまったく同じ音波を当てることで相殺出来る技術である。

 日本ではノイズキャンセリングに用いられている。透にとってはなじみ深い技術である。


 とはいえ、魔術でも同じ事が出来るかどうか、透にはわからなかった。


(一か八かだったけど、成功してよかった……)


 安堵する透の前で、再びリリィが魔力を高めていく。


「わー! 待った待った!」

「……何故待つ必要がある」

「話っ! 話をしましょう!!」


 このままでは、一方的に攻撃されるだけで、一向に事態が進展しない。

 目をつり上げるリリィに、透は必死に話し合いを申し出るのだった。




 攻撃的なリリィをなんとか話し合いの席に座らせた。

 透は早速、自分達の言い分(領主からもらい受けたこと)を説明する。

 しかしリリィは首を振った。


「……おかしい。わたしはこの家を買った。だからここは、わたしの家」

「でも、僕らは領主からこの家を頂いたんですよ」

「別の家だったんじゃ?」

「いやいや、この鍵で入れたので、間違いないと思いますけど」


 そう言って、透はリリィに家の鍵を見せた。


「鍵は複製出来る」

「そうですけど。領主が僕らに、複製した鍵を下賜したとは思えません」


 手柄を上げた冒険者に対し、複製した他人の家の鍵を下賜しようものなら、領主の沽券に関わってしまう。

 まともな貴族ならば、そのような犯罪的行為を行うはずがない。


 透らに対して、リリィもまた本物の鍵を所有していた。

 彼女は以前の騒乱で家を焼失したため、新たに家を購入したのだ。


「でも、ここは私の家。間違いない」

「うーん」


 残っている家が少ないいま、一軒家を購入するための金額が著しく跳ね上がっている。

 商品に対して買い手が山ほどいるため、商人が値をつり上げているのだ。


 値上がりした家を無理に購入したため、リリィは頑なだった。


 だからといって透も「はいそうですか」と譲るつもりはない。

 この家は、領主から頂いた恩賞だ。これをなにもせず明け渡せば、領主に面子を潰されたと思われかねない。


 お互い話し合っていても、平行線を辿る。

 そこで透はある提案を行った。


「ひとまず、ギルドに行きましょうか」

「……ギルド?」

「今回、領主から恩賞を頂くにあたりギルドが間に入っています。ギルドに行けば、僕らが正当な手順でこの家を手に入れたことを、わかって頂けると思います」


 透はひとまず、自らの正当性を補強することにした。

 リリィが納得するかどうかは別として、ギルドに行けば証人がいる。

 それに透は、このような状況になっている原因が気になった。


 家がどちらの所有物かを決めるのは、原因を特定してからだ。

 そうでなければ、禍根が残ってしまう。



 ギルドに着いた透らは、すぐに受付嬢のマリィに事情を説明した。


「そのようなことが……」

「トールに渡した鍵は間違い?」

「いいえ。こちらは領主様より頂いた鍵で間違いありません」


 リリィの問いに、マリィが答えた。

 これで、手違いにより鍵を取り違えたわけではなかったことが証明された。


「じゃあ、どうして……?」

「そうですね。こちらの一件ですが、ギルドが間に入ってよろしいですか?」

「ええと……」


 マリィの申し出に、透は首を傾げた。

 家をギルドが用意したのなら話は別だが、用意したのは領主である。

 ギルドは今回の一件に、直接の関わりはない。


 弁護士事務所に無料相談に訪れたからといって、仕事を無料で引き受けるわけではない。必ず依頼料が発生する。

 それと同じで、間に入ったギルドに依頼料が発生するのでは?


 透はそう不安に感じたが、マリィがやんわり首を振ってパチリとウインクした。


「今回はサービスです」

「とーるぅ?」


 ぬるっと、どす黒いナニカが透の首筋を撫でた。

 視界の端に毒々しいオーラを漂わせるエステルが、透に睨みを利かせている。


(知らない。僕はなにも知らないからっ!!)


 まるで幽霊に向かって念仏を唱えるかのように、透は「知らない知らない」と何度も胸の内で呟くのだった。

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