第62話 過去から届くとどめの一撃

「ルカ!」

「おっ、おいトール、勝手に侵入するのは不味いぞ!」


 ルカが去ったあと、扉が開く音とともに、トマスの耳に聞き覚えのある二人の声が届いた。


 振り返るとそこには、先ほど別れたばかりのトールとエステルの姿があった。

 エステルは先ほどと同じ出で立ちだったが、トールの手には漆黒の弓が握られていた。


(まさか、あの黒い矢は、この少年が……?)


「とと、トマス殿!?」

「あっ、トマスさん。さっきここにルカが来ませんでしたか?」

「……ええ、来ましたよ」

「ほらやっぱりぃ」

「トールが言ったことは本当だったのだな……」


 目を見開くエステルに、トールがまるで「どうよ?」とでも言わんばかりの表情を浮かべた。


「トマスさん、お怪我はありませんでしたか?」

「え、ええ、大丈夫でしたよ。〝おかげ様〟でね」

「それは良かったです」


「ところでトール殿。後学のために一つご教授頂きたいのですが、何故ルカがここに現われたことをご存じだったので?」

「それは、ルカの殺気を<察知>したからですね」

「……わたくしめがルカに襲われた頃、トール殿は屋敷の門あたりまで移動されてたのではないかと推測致しますが、もしやまだ建物内にいらっしゃいましたか?」

「いえ。門の近くまで移動してましたよ。ルカの殺気を<察知>したのも、そこからでした」


 トールは自信たっぷりに頷いた。

 一般的な冒険者特有の、奢りやハッタリや、見栄や虚構の雰囲気は感じない。


 彼は間違いなく、事実だけを述べている。

 他領の腹黒貴族たちを最前線で観察し続けた筆頭執事たるトマスには、それがはっきりと理解出来た。


(なんとまあ……)


 冒険者でないトマスでは、建物の外から敵を<察知>する技術がどれほどのものか、想像さえ出来ない。

 だが〝尋常ではない技量〟であることだけは確信出来る。


 ふと、トマスは壁に空いた小さな穴を発見した。

 その穴は丁度トマスの胸あたりに空いていた。

 トマスが僅かに腰を落とすと、その向こう側に自然の光が見えた。


 細長い穴はこの部屋から、屋敷の外まで繋がっているのだ。

 その穴は、丁度ルカの肩に刺さった矢がすっぽり入るサイズである。


(……どうやらわたしは、本当に助けられたのだな)


 あの時のルカは本気だった。

 もし矢が無ければ、トマスは間違いなく殺されていた。


 そしてもしトマスが殺されていれば――これが一番重要だ――ルカはフィンリスに、将来まで続く憂慮の種を撒いていた。


 そのルカの〝奇策〟を、トールは事前に食い止めたのだ。


(私もフィンリスも、大きな借りが出来てしまったな……)


 トマスは既に、トールを〝劣等人〟などとは思っていなかった。

 逆にフィンリスの平和と安寧のために、決してなくてはならないピースの一つだと感じた。


 先ほどまでは『なんとしてでも褒美のランクを落としてやろう』と考えていたトマスは現在、『彼のために、なんとしてでも一軒家を手に入れよう』と、頭を働かせるのだった。


          ○


 漆黒のローブを纏ったルカは、フィンリスの闇に紛れ独りごちる。


「あははー。魂が3つも持って行かれちゃいましたー」


 トールが放った矢を受けたことで、ルカが体内に溜めていた人間3体分の魂が消滅した。


 魂は身代わり用であった。

 いずれ自分たちを殺せるだろう相手と戦う時のために用意していた。


 しかし、まさか肩に一撃貰っただけで3つも消滅するなどとは、ルカはちっとも考えていなかった。


「ほんとに、あの劣等人は何者なんですかねー」


 亡きフィリップに代わり、ルカは今回本気でフィンリスを落とそうとした。


 フィリップのように、途中で邪魔をされては適わない。

 なのでルカは、フィリップの魂を削った相手であるトールについて、最大級評価した上で作戦を立てた。


 ルカにとって障害になるのは、元Bランク無尽のリリィではなく、ましてや元Aランクでギルドマスターの神眼のアロンでもない。

 ルカの魂を刈り取ることが出来る、トールだった。


 ルカは持ち前の嗅覚で、トールこそがフィンリスでもっとも危険な人物だと見抜いていた。


 だからこそルカは彼が街を離れ、一定時間は戻って来られない『フレアライト・ダンジョン』攻略のタイミングに合わせ、作戦を決行した。


 まず『フレアライト』の原液を飲ませた上で、シルバーウルフをフィンリスに解き放った。

 シルバーウルフが人々を殺し、たとえシルバーウルフが殺されても、腹の中のフレアライトが建物と人を焼く。


 火の手が上がって消火活動を行っても、井戸の水に耐火性のある痺れ毒を混入させれば、気化した毒を吸引して人が倒れる。

 無抵抗のまま、シルバーウルフにかみ砕かれるか、火焼かれて死ぬ。


 その作戦は、途中まで面白い程うまく行っていた。

 また、Cランク冒険者の体を借りたことで、自分の策略に人を誘導するのも簡単だった。


 だが、トールが現われてから、状況が一転した。


 本来、トールが戻る頃には、フィンリスは陥落しているはずだった。

 しかし彼は戻って来た。


 それは彼が、ダンジョン攻略に失敗したためではない。

 彼のダンジョン攻略速度が、なんと一般冒険者の倍以上だったためだ。


 しかし、ルカはまだ作戦が完全に失敗したとは思わなかった。

 街の中心部で、既に大規模な火災が発生していたためだ。

 おまけに空気には痺れ毒が混ざっている。


 その両方を、劣等人ごときがどうにか出来るはずがなかった。

 だが、トールは〝大量の聖水〟を振りまいて、その両方を一片に解決してしまったではないか!


 完全に想定外だった。

 このような運命を結びつけた神を、ルカは真剣に呪った。


『それほどまでに、この地を死守したいのか!』と……。


 しかし、神が必死になるのも当然だ。

 このフィンリスの地下には、偉大なる父が眠っている。


 6柱の神が力を合わせて封じ込め、歴史から消し去った7柱目の、神の王が……。


 トールが神にとってどのような存在かはわからない。

 だが彼は今後も、何度でもルカの邪魔をしてくるだろう。


 故に、ルカはトールを消し去ろうと考えた。

 だが彼には神気を感じる剣がある。フィリップの魂を削った武器だ。


 その剣に切られれば、ルカとて無事では済まない。

 直接手を下すのは危険だ。


 だからルカは、トマスを狙った。

 トマスが死ねば、直前に会談していたトールが真っ先に疑われる。


 その上でルカが侯爵邸に勤めるメイドの体を乗っ取り、『トールが執務室に入るのを見た』とでも証言すれば、絞首台にトールが吊されるのは確実だ。


 ルカは念には念を入れて、トールの気配が屋敷の外に出て、こちらの殺意に気がついても〝決して間に合わないタイミング〟で作戦を実行に移した。


 にも拘らず、なんとトールはその策略すらも未然に防いでしまったではないか!


 ルカに計算違いがあったとすれば、トールが持っていた悍ましい武器が、剣だけだと思い込んでいたことだ。


「もし弓矢もあると知っていれば……いやー、さすがに石壁を何枚も抜くくらいの威力はー、想定しませんでしたねー。はははー」


 あの一撃は、トマスの胸を貫いて現われた。

 現在の体がCランク冒険者のものでなければ、急所――ルカ本体の魂の消滅は避けられなかった。


 胸を貫いたトマスには、傷一つない。

 やはりあれは、魂の聖祓が目的の神の武器に違いない。


 かくなる上は――。


「事前に仕込んでおいた≪アースクエイク≫で、フィンリスを一気に落とすしかなさそうですねー」


 ここまで対処されるのならば、トールがあずかり知らぬ場所からの一撃で、街もろとも吹き飛ばすしかない。


 大地系の最上位魔術である≪アースクエイク≫の術式は、事前にルカがフィンリスの壁仕込んでいた。

 準備に数年を要した。それほど高度な術式である。ルカの力作だ。


 そんな術式が起動し≪アースクエイク≫が発動すれば、確実にフィンリスを滅ぼせる。


 しかし、ルカはなるべくならこの魔術を使いたくなかった。

 何故ならフィンリスの街そのものが、神の王を封じる結界の安全装置になっているためだ。


 街を滅ぼしてゆっくり神の王を復活させる。そのような安易な筋書きを許さぬよう、神は封印に安全装置を施した。

 解呪の手順を誤った場合、封印が一時的に強固になるシステムである。


 もし≪アースクエイク≫を発動させれば、安全装置が起動することは確実だ。

 これが一度発動すれば、ルカは安全装置が百年以上持続するとみている。


 なるべく早く神の王を復活させたいルカにとって、街の大規模破壊は出来れば採りたくはない手段であった。

 しかし、それ以外にトールを潰す方法が、現在のルカにはなかった。


 一旦引いて力を蓄えるという手段もあるにはある。

 しかし、トールは若い。成長して手が付けられなくなる前に、潰しておくのが賢明である。


「さてさてー、フィンリスとも今日でお別れですねー」


≪アースクエイク≫の魔術を発動すれば、フィンリスが失われる。

 言葉通り、永遠のお別れだ。


≪アースクエイク≫の魔術式を設置した壁に到着したとき、ルカは術式に異変を感じ取った。


「術式が……壊れてる? そんな馬鹿な!」


 術式は完璧だった。何年寝かせても壊れないよう丹念に書き込んだし、外から見てもばれないよう隠蔽も施していた。


 なのに、術式が壊れている。

 余裕を失ったルカが、一心不乱に術式を確認する。


「……あれはッ!!」


 すると、見つけた。

 術式の核の部分に、一本の矢が刺さっていた。


 闇に溶けるような色の矢が、外壁に深々と刺さり込んでいた。

 その矢が術式の核を破壊し、起動不能の状態にしてしまっていた。


 矢は間違いない。

 トールの矢である!


「……はははー。こちらの行動なんて、完全にお見通しでしたかー」


 まるで砂漠に落とした麦1粒を見つける、神の如き所業……。

 まさかその矢が〝魔弓をうっかり誤作動させたミスショット〟だとは知らず、ルカはトールの力に慄いた。


「トール……。次は、必ず殺す」


 その呪詛は、平和を取り戻し始めたフィンリスの上空に、静かに消えていった。

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