第17話 初めての魔術
エステルに連れられて、透はフィンリスの外までやってきた。
透は元々宿の中庭で試し撃ちしようと思っていたのだが、街中で魔術の試し撃ちをするのはさすがに危険だと、エステルに強く止められたのだ。
彼女の弁は非常に正しい。
魔術が発動しなければ、なにも問題はない。だが万一魔術が暴走すれば、宿が被害を受けていたかもしれないのだ。
透がその点に思い至らなかったのは、魔術が手に入って気分が高揚していたせいだろう。
「さて。それじゃあどの属性から覚えようかな」
「そうだな。まず私と同じ無属性からが良いのではないか。無属性なら私も教えられるし、それで魔力を扱う感覚を知れば、別の魔術も使いやすくなるかもしれないぞ」
「なるほど、そうだね。じゃあ無属性からいこう」
透は早速<異空庫>から、無属性の魔術書を取り出した。
「トール。魔術書にマナを通しながら、表面に浮かび上がる呪文を読み上げるのだ」
「……うん、どうやるの?」
エステルの説明に、透は苦笑した。
マナそのものは知っている。透の認識では、マナは魔術を扱う源のようなものだ。だが、そのマナの扱い方がよくわからない。
「体の中にある、筋力以外の力を意識するのだ」
「筋力以外の力……」
「そうだ。筋肉に力を入れずとも、力を込めると力が入り、なにかが湧き上がるような感覚がある。それが魔〝力〟であり、マナなのだ」
エステルの口から出てくる〝力〟のオンパレードに、ゲシュタルトが崩壊しそうだ。
気を取り直し、透は彼女の言を信じて目を瞑る。
脱力して、体の内側に意識を向けた。
しばらくすると、透は体の中にまったく別の出力器官があることに気がついた。
「……なるほど」
実際に感覚がわかると、意味不明だった『力を入れずとも、力を込めると力が入り』というエステルの言葉の意味が、はっきりと理解出来た。
理解すると、エステルの説明以外あり得ないとさえ思えてくる。
確かに、エステルが言った筋肉以外の器官で力を込められる感覚はあったのだ。
その感覚を意識しながら、透は≪筋力強化≫の魔術書を持った。
すると、魔術書の表面に薄ら文字が浮かび上がった。
「『魔の理によりて我が肉体を強化せよ。≪マイト・フォース≫』――えっ、うお!?」
文字を読むと同時に、手にしていた魔術書が実態を失い、光となって透の胸に飛び込んだ。
透は驚き腕を交差させる。しかし光は腕を通り抜け、胸の中に染みこんだ。
「一発で成功とは、やるじゃないかトール!」
「せ、成功したらこうなるんだ」
突然の出来事に、透は心臓がバクバク音を立てていた。
たしかに店長のエルフは、魔術書が消えるとか中古転売不可などと行っていたが、まさか『魔術書が光になって体内に消えるから転売出来ない』など考えもしなかった。
「これで≪筋力強化≫の魔術が透の魂に刻まれたはずだ。一度試してみると良いぞ」
「さっきの詠唱を口にすれば良いの?」
「そうだな。≪筋力強化≫くらいなら、慣れれば<無詠唱>も可能だぞ」
「ふむ」
透は既に<無詠唱>スキルを取得している。
(あれが技術ツリーにあったのは、練習で習得が可能だからか)
「……」
透は再び内なる力を意識して、≪筋力強化≫の魔術を発動させる。
今度は<無詠唱>で、だ。
全身に力が行き渡った感覚を覚えた、次の瞬間。
「――ふっ!」
透は地面を踏み込み、前に飛び出した。
これまで経験したことのない加速を感じた。視界の端を景色が高速で流れていく。
≪筋力強化≫、<無詠唱>共に成功だ。
「<無詠唱>も出来るとは言ったが、さすがにいきなり成功するとは……」
透の後ろで、エステルが目を白黒させていた。さすがにいきなり<無詠唱>はおかしいと思われたか。
しかし、練習して出来ることが練習なしで出来ただけだ。特別なことではない。
透は≪筋力強化≫の具合を確かめながら、ステップを踏みつつ元の位置まで戻ってきた。
「この魔術、結構良いね。まだ維持に意識が持って行かれるけど、慣れれば無意識でも維持出来るかもしれない」
「普通は動きながら使えるようになるまでに、1ヶ月はかかるものなのだがな……」
いまは自分よりも小さな魔物が相手だから良い。だが、自分よりも大きな魔物を相手にする局面が来ないとは限らない。
サイズ差は、直接力量差となる。質量が大きい方が、攻撃力も大きいのだ。
そんな物理現象を乗り越えるには、≪筋力強化≫は必須技能である。
今後の冒険者生活を思えば、無意識に発動し続けられるくらい習熟せねばなるまい。
それから透は、購入した魔術書を次々と使用した。なかでも基本属性である4種類の魔術に、透は感動した。
≪ファイアーボール≫は地面を抉り、≪ウォーターボール≫は抉った地面をさらに抉った。
≪ロックニードル≫は地面をギザギザにし、≪エアカッター≫はギザギザ大地を刈り取った。
生活魔術は派手さこそないものの、非常に有用だった。
≪着火≫があれば素早く火起こしが出来るし、≪給水≫は魔力さえあれば飲料水を出せる。≪乾燥≫があれば、雨の日だって洗濯日和に早変わりだ。
透は一度魔術を詠唱し、次からは<無詠唱>で発動を試みた。
詠唱を行うより若干威力は弱まったが、それでも発動が圧倒的に速い。
近接戦闘中に魔術を発動出来れば、手数が増えるので相手を抑え込みやすくなる。また相手からの攻撃を、咄嗟の魔術で回避出来るかもしれない。
「ちょ、ちょっと待てトール! お前は大地を破壊する気か!?」
透が魔術の試射を行い、でこぼこになって見る影もない大地を指さしながら、エステルが肩を怒らせた。
「いや、そうは言うけど、地面に向けて撃った方が良いんじゃない?」
「普通の威力ならそうなるが……。さすがにこれだけでこぼこになったら、衛兵から文句を言われるかもしれんぞ」
「うっ、さすがにそれはまずいね。じゃあ、遠くを狙う? でも、人がいたら危ないんじゃないかな」
「弓矢と同じで魔術も距離で減衰するのだ。目に見える範囲に人がいなければ大丈夫だろう」
「そっか。わかった。試しにやってみるね」
エステルの言葉を信じ、透は遠くに向けて≪ファイアボール≫を放った。
――ボッ!
射出された≪ファイアボール≫が、まるで音速の壁を越えるが如き音を発してぐんぐん前に進んでいく。
「……」
「……」
進んでいく。
「…………」
「…………」
進んでいく。
「………………」
「………………」
≪ファイアボール≫が点になり、透たちの場所から見えなくなった。
その直後。地平線の向こうから空に向かって火柱が上がった。
「……トール、すまない。どうやら私は思い違いをしていたらしい。さっきの言葉は忘れてくれ」
「……う、うん」
魔術は決して、遠くに向けて放ってはいけない。透は胸に深く刻み込んだ。
続いて透は≪ライティング≫と≪ブラインド≫に挑戦する。
≪ライティング≫を唱えると、小さな灯りが現われた。それは設置型の魔術だった。
好きな場所に設置したら、込めたマナが尽きるか術者が消そうとしない限りは、延々と光り続ける魔術だ。
「光魔術に素養のある者の多くは、一番最初にこの≪ライティング≫を覚えるという話だぞ。これがあれば、蝋燭代が削減出来て、夜更かしし放題だからな!」
「なんか、遊びたい盛りの子どもみたいな理由だね」
「なにを言う。夜更かしは勉強するために行うものじゃないか。……もしかして、トールの世界では違うのか?」
「あー、そうだね。夜更かしは、どちらかといえば悪いことってイメージがあったよ」
ゲームにパソコンなど、日本は夜になっても遊べる道具があった。
しかしエアルガルドにはゲームもパソコンもない。
夜に出来ることといえば、勉強か内職くらいしかないのだ。
なんとも健全な世界である。
「僕の世界では夜更かしをすると、親に早く寝なさいって怒られるんだ」
「それは、こっちの世界も同じだな」
そう言って、エステルが苦笑した。
どの世界の親も、子どもを寝かしつける仕事は同じらしい。
続けて透は≪ブラインド≫を覚えた。
≪ブラインド≫は派手ではないが、相手の視界を塞ぐ魔術だ。戦闘中にこれが放たれれば、戦況をがらりと変えられる。
「使い方次第で、化けるな」
購入した魔術に満足しきりの透を余所に、エステルは驚愕しきりだった。
まず、たった一度の使用で魔術の<無詠唱>に成功したことに驚いた。
今日初めて魔術を使ったトールが<無詠唱>に成功したものだから、エステルはまるで〝巨乳のエルフ〟に出会ったかのような、世界が崩壊するほどの衝撃を覚えた。
「……あり得ない」
さらに驚くべきは、魔術の威力である。トールが何気なく放った魔術は、ことごとく地形を変形させるほどの威力を持っていた。
おまけに目に見えない遥か彼方まで、魔術が減衰せずに届いてしまった。
名のある魔術師の上級魔術が、ではない。
初心者の初級魔術が、だ!
エステルは魔術師ではない。だが、魔術を目にした経験はある。
通常の冒険者が放つ初級魔術に、トールほどの威力はない。
『使い方次第で、化けるな』
これ以上なにを化かそうというのか。
エステルにとっては、既に化けている!
トールが使っているのは初級魔術じゃなく、上級魔術だと言われても納得出来るほどだ。
そうしてなにより、トールは購入したすべての魔術を修得し切った。
初心者であれば、数発魔術を使用しただけで魔力切れを起こす。それは修得時に使用する魔術でも同じだ。
魔力切れが近くなれば、目眩や倦怠感を覚える。そこからさらに魔術を使うと、動悸や息切れを起し、最後には気絶してしまう。
トールはすでに魔術を数十発放っているが、魔力切れを起こしそうな気配はない。
「トールは本当に迷い人、なのだよな?」
かなり疑わしく思えてきた。
実は元々エアルガルドで生まれ育ったのだと言われた方が、まだ納得出来る。
エステルは迷い人を差別する気はさらさらない。だが、それでも劣等人と呼ばれるに相応しい境遇――レベルが1から上がらないことを知っている。
その一般的な迷い人像から、トールはあまりにかけ離れすぎていた。
「やはりこれは、なんとしてもパーティを組むべきだな」
エステルはトールに、返しきれないほどの恩を受けた。
ゴブリンの大群を相手にしたあの場面で、エステルは決して生きて帰れないと死を覚悟していた。
その現実から、トールが救い出してくれたのだ。
今後一生をかけても、トールには頭が上がらない。
ただ、それとは別にこうも思っている。
『トールとパーティを組めば、どこまでも行けるのではないか?』と。
事実、トールはゴブリンの大群を黒い長剣一本で切り倒した。剣士としての実力は十二分ある。その上、魔術もずば抜けている。
冒険者として超優良物件である。なんとしてでも、彼とパーティを組みたかった。
ただ、それにはエステル自身の実力が問題だ。
「……やはり、並び立てないとダメ……だよな」
パーティは平等だ。誰かが支えるだけ、支えられるだけでは、いずれ破綻する。
お互いに、足りない所を補い支え合うからこそ、パーティが機能する。
彼とともにパーティを組むには、エステルの能力はいささか足りなかった。
「こうしてはいられないな」
トールが魔術の修得に勤しむ横で、エステルは長剣をすらりと引き抜いた。
(冒険者を続けるためにも、トールに選んで貰うためにも、もっともっと、強くならねば!)
トールの横に並び立つために。
エステルは雑念を捨て、ただ無心で訓練を行うのだった。
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