第16話 エルフのリリィという少女

 扉を開けると、目と鼻の先にカウンターがあった。

 透が身動きが取れるスペースは二畳ほどしかない。そのかわり、ほとんど身動きを取らなくても、ほとんどの商品が確認出来るよう、壁すべてが棚になっている。


 書店のような棚には、商品と思しき紙がぎっしり並んでいた。

 銀貨1枚~と書かれたプレートの棚は、よれることも厭わず紙が縦に並んでいる。


 対して金貨1枚~と書かれたプレートの棚は、紙が面で陳列されていた。

 ゆっくり息を吸い込むと、インクと紙と、そして木の匂いが仄かに香った。


「すごく落ち着く。良いお店だなあ……」


 まるで森の中の小さな本屋にいるみたいで、居心地が良い。

 透がお店の雰囲気にウットリしていると、入口の扉が勢いよく開かれた。


「ごめんください!」

「えっ、あれ?」

「おおー、トールではないカー。奇遇だナー」


 扉を開いたのは、エステルだった。

 彼女は偶々出会ったかのように装っているが、言葉は完全に棒読みである。透の行動を読んでここにやってきたのは明白だ。


 宿からいなくなったことに気づかれたか。にしても、気づくのが早い。


 彼女はどうやって透が宿から消えたことに気づけたのか……。

 透は気になったが、知らない方が幸せな気がする。


「一応聞くけど、なんでエステルがここに来たのかな?」

「それは当然、私も新しい魔術を覚えたいからに決まっているではないか」

「ふぅん」


 そう言われると、頭ごなしに否定出来ない。

 透は一旦彼女の弁を受け入れて、尋ねる。


「エステルって魔術が使えたんだ」

「…………」


 何故黙る。透はじとっとエステルを眺めた。


「その子は魔術がほとんど使えない。……なにしに来た?」


 エステルを目で問い詰めていると、カウンターの奥から抑揚の少ない声が聞こえた。

 振り向くと、そこには思わずはっとしてしまうほどの美少女がいた。


 艶のある深茶色の髪に、白い素肌。緑色のローブを身に纏った少女が、眠たげな目を透らに向けていた。

 その少女は、耳の先端が尖っていた。


「エルフ?」


 透の呟きに、少女は小さく頷いた。

 エルフ。日本では長寿種として有名な架空の種族である。


 透の言葉で、眠たそうな目がさらに眠たげになった。

 透が耳をじっと眺めていると、その耳がピクピクと動いた。


「……なに?」

「ああすみません」


 ジロジロ見過ぎたか。透は慌てて視線を外した。


「魔術を使いたくてこちらのエステルに相談したら、このお店のことを知りまして。なにか、魔術を教えて頂けないかなぁと……」

「……そう。ならまずこれに手を翳して」


 少女はカウンターから黒いマットと、透明な玉を取り出した。透明な玉は先日ギルドで見た水晶に似ている。


「それは、魂の鑑定をするやつですか?」

「違う。これは魔力を測定する。うちの魔術書は完璧。でも、魔力がないと魔術は使えない。言いがかりは許さない」


 彼女の言葉には自身の商品に対する絶対の自信と、そこはかとない怒りが滲んでいた。

 かつて、魔力のない者が魔術書を購入して、魔術が使えず『不良品』だとクレームを入れられたことがあるのだろう。


「二度と言いがかり出来ない体にした」

「……」


 クレームを入れた者の末路を聞いてしまった。

 透はぶるりと震える。


 透の耳にエステルが口を近づけ、小声で言う。


「エルフは長寿だからな。こう見えて、リリィは恐ろしく強いのだぞ」

「こう見えては余計」


 筒抜けだった。

 店主(リリィという名らしい)の耳が、ピクピクと得意げに揺れた。


(やっぱりエルフって、長寿種なのか)


 見た目は透より若い。だがエルフの場合、見た目がイコール実年齢とは限らない。

 汚れを知らぬ少女といった雰囲気があるが、『透の数倍長生きしている、恐ろしく老獪な魔術師』という可能性もあるのだ。


 リリィの逆鱗に触れぬよう注意しよう。そう、透は心に誓った。


「手を載せるとどうなるんですか?」

「魔力があれば、玉が光る。あと、適性のある属性がわかる」


 リリィが黒いマットを指でつついた。じっとマットを見ても、特別な仕掛けがあるようには見えなかった。


「玉が光らなかったら?」

「さようなら」


 リリィがマットを突いていた指を、すいっと扉に向けた。

 彼女の直接的な態度に、透は思わず苦笑した。


 迷い人である透は、エアルガルドにおいて劣等人と呼ばれる存在だ。

 水晶に手を置いても、光が点らない悲しい未来が待っているかもしれない。


「……よしっ!」


 覚悟を決め、透は水晶に手を載せた。


 手を置くと、水晶の内部からぼーっと白い光が発生した。


「おー、点った!」

「やったのだな、トール!」


 後ろからのぞき込んだエステルが嬉しそうに声を上げた。

 その光はゆっくりと水晶を満たした。


 水晶に白い光が満ちると、今度は同じ色の光が黒いマットに現われた。

 光は水晶の底からマットを伝い、魔方陣とおぼしき円を一つ描いた。その円から四方に光が伸び、小さな魔方陣が生まれた。


「えっ、うそ……」


 魔方陣を見て、リリィが小さく声を上げた。彼女の様子は気になったが、透はそれよりマットに浮かび上がる幻想的な光から目が離せなかった。

 光はやがて、小さな魔方陣を繋ぐように線を延ばした。


  ○

 /|\

○―○―○

 \|/

  ○


 そしてすべてが繋がった時、外側の円すべてを曲線が繋いだ。

 ここまでおおよそ10秒の出来事だった。透の人生で、一位二位を争う感動の10秒だった。


「光が点ったってことは、僕は魔術が使えるってことで良いんですよね?」

「……待って」


 リリィが透の手をペチッと払い、素早く水晶とマットをカウンターから降ろした。

 カウンターの下でごそごそと作業を行っているが、透の位置からはなにをしているかが見えない。


「……正常。でも、おかしい。そんな……|全属性(ノネット)なんて、ありえない」


 やがて上体を起こしたリリィが、


「壊れた」


 どこかスッキリした顔をして呟いた。


「えっ、もしかして、壊しちゃいました?」

「気にしないで」

「いや、でも……」

「経年劣化。偶々、運が悪かっただけ」

「そ、そうですか? でも、弁済した方が……」

「大丈夫。その代わり、いっぱい買ってって」


 リリィが商品棚すべてをぐるっと指さした。どうやら透は彼女から、商品購入の許可が貰えたらしい。


「僕は魔術が使える、ということでいいですか?」

「ん」

「おー!」

「ただし、どこまで出来るかは不明。発動しなくても、クレームは受付けない」


 つまり、魔術の使用は手探りだということだ。とはいえどの世界でも、自分に出来ることが最初からわかっている者などいない。すべては手探りから始まるものだ。


 透は了承し、早速商品棚に目を走らせた。


「リリィから全棚の購入許可が貰えるとは。透は凄いのだ」

「ん、普通は魔力があれば購入出来るんじゃないの?」

「魔力があっても、適性属性以外は購入させて貰えないのだぞ。例えば私は無属性にしか適性がないから、この棚以外の商品は購入出来ないのだ」


「へぇ、エステルは無属性魔術が使えるんだね」

「一応な。とはいっても、無属性は他と違って自己強化に特化した魔術だからな。見栄えはかなり地味なのだ」

「でも、自己強化って色々応用が利きそうな属性だよね」


 透は無属性と書かれた棚に目を走らせた。


≪筋力強化≫≪嗅覚強化≫≪聴覚強化≫≪視覚強化≫≪味覚強化≫など、確かに見た目が派手な魔術はない。しかし、剣を手にして戦うならば、有用な魔術ばかりだった。


 無論、剣士以外にも有用だ。視覚や聴覚の強化魔術は、スカウトならば必須技能と行って良い。

 透は中でも戦闘に使えそうな≪筋力強化≫≪聴覚強化≫≪視覚強化≫≪嗅覚強化≫の四つを取り出しカウンターに置いた。


 無属性以外の魔術は、火・水・土・風・光・闇・精霊・空間と8種類ある。


 中でも安いものは銀貨5枚から。≪着火≫や≪給水≫、≪乾燥≫など、日常生活で使える魔術だった。


 まず透は、生活魔術の≪着火≫、≪給水≫、≪乾燥≫を手に取った。


 続いて戦闘に使える魔術の中で比較的安価な≪ファイアボール≫、≪ウォーターボール≫、≪ロックニードル≫、≪エアカッター≫をピックアップした。


 基本4属性の棚を眺める透は、高い位置にある高額商品に目が留まった。


「≪フレア≫! 値段は――ッ!」


 値段を見た透は目を剥いた。

 金貨10枚。とても手が出る値段ではない。


「この≪フレア≫って、やっぱり強いの?」

「≪フレア≫は上級魔術。初心者じゃ魔力不足。使えない」

「……そっか」


 強い魔術が、そう簡単に手に入るはずがない。

 かなり興味があったが、透は≪フレア≫の購入を諦める。


 4属性以外の魔術からは、光の≪ライティング≫、闇の≪ブラインド≫をカウンターに置いた。


 精霊・空間魔術は、1枚ずつしか商品がなかった。

 精霊魔術が≪精霊喚起≫。空間魔術が≪空破断≫。それぞれ額縁に入れて飾られている。


 名前が格好良いので是非購入をと考えた透だったが、1枚のお値段なんと金貨100枚!

 売る気があるのか疑わしい値段設定である。


 透が購入を決めた魔術は合計で1万ガルドになった。

 金貨一枚を支払い、透は早速その魔術書の使い方をリリィに尋ねた。


「マナを通して魔術を発動する。一度発動すると、魔術が魂に刻まれる」

「この魔術書がなくても使えるようになるんですか?」

「そう。使用後は、魔術書は消える。中古転売不可」

「はは、わかりました。今日はありがとうございました。なにかあれば、また買いに来ますね」

「ん」


 リリィにお礼を言い、透は足早に店を後にした。


「トール。これから魔術を身につけにいくのか?」

「そうだけど。エステルは?」

「丁度暇だからな。トールが魔術を使うところを見に行こうかと」

「いや、仕事しようよ」

「今日は休養日なのだ!」

「そ、そう」


 どう断っても着いて来そうである。

 エステルは既に無属性魔術を覚えている。なら、魔術の使用でなにか困ったことがあったら、彼女に教えてもらえるかもしれない。


          ○


 魔術書リリィの店内で、店長であるリリィは頭を悩ませていた。

 これまで生きてきた百余年で、九属性すべてに才覚のある〝ノネット〟を見たのは、初めてのことだった。


 魔術に自信のあるリリィでさえ、五属性の〝クインテット〟。しかもそのうち一属性は、長い歳月をかけて才能を開花させた属性だった。


「あの子は、なに?」


 魔術に素養のある人間の多くは、二属性もちの〝デュオ〟となる。

 この店にやってきたエステルは、一属性のみの〝ソロ〟。魔術は出来るが、素養がないと言われるタイプだ。


 魔術素養のある者の中で、一万人に一人が三属性の〝トリオ〟、十万人に一人が四属性の〝カルテット〟となる。

 五属性〝クインテット〟ともなると、魔術師人口全体の0,001%にも満たない。


 これまでリリィが知る最大数の属性持ちは、六属性の〝セクステット〟で、世界にたった一人しかいない。

 その者はリリィの師匠でであり、森の大賢者と呼ばれている。


 トールと呼ばれた少年は、リリィの師からさらに3つも多い属性を持っていた。

 おまけに光と闇――相克を起こす二属性を同時に持つなど、リリィは聞いたことがない。


「でも、どこまでの魔術が使えるかは未知数……」


 いくらすべての魔術への適性があろうと、すべての魔術が扱えるとは限らない。

 魔術は適性があっても、鍛錬とレベル、魔力量によって使用の可否が決まる。

 なにより大切なのは、理論とイメージだ。


 いくら鍛錬を重ね、レベルを上げ、莫大な魔力を抱えていても、理論とイメージがおざなりであれば、発動しても十全な効果は見込めない。


「今後、どうなるか、楽しみ」


 ただ、彼の枝はまだ若い。今後、どのように成長していくかは未知数だ。


(もし魔術の深淵を覗こうというのなら……)


 その時は自分も共に深淵を覗こうではないか。そう、リリィは微笑むのだった。

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