第13話 グラーフという漢
新規登録する冒険者のテストを行って欲しいと言われ、訓練官であるグラーフは足早に訓練場に向かった。
もう日が落ちたこともあって、グラーフは帰り支度をしていたところだった。時間的に、実力テストを行うのなら明日でも良かった。
だが、グラーフは直ちにテストを行うことを選んだ。
理由は新人冒険者が好きだからだ。
かつてCランクの冒険者だった彼は、齢40を向かえた頃、冒険者の引退を決めた。
Cランクともなれば、一流の冒険者だ。
Cランクの依頼をこなせば莫大なお金が稼げるし、なによりCランクになるまでにかかった時間と努力は相当だ。気軽に手放せるものではない。
それでも寄る年波には勝てない。いくら肉体をいじめ抜こうとも、力の衰えは彼を確実に呑み込んでいた。
意地を張ったところで命を落とせば意味がない。
そう思い、彼は潔く現役を退いた。
冒険者の中には『死ぬなら戦場で』という奴もいる。だがグラーフは命が大切だった。
なにをするにも、命あっての物種である。
冒険者を引退したグラーフは、その実力を買われてギルド職員となった。担当は訓練官である。
元々グラーフは新人育成に興味があった。彼は新人冒険者を見ると、どうしても世話を焼きたくなるのだ。
新人冒険者は右も左もわからない。判断ミスをして、命を落とす者が多いのだ。
新人の世話を焼くようになってから、新規冒険者の致死率が非常に低下したのは、グラーフの密かな自慢である。
また、グラーフが世話を焼いた中には、上級冒険者であるCランクやBランクに上りつめた者もいる。それもまた、自慢の種だ。
今後、自分が世話を焼いた冒険者が、自分のおかげで命を落とさずに済むかもしれない。また自分のおかげで高ランク冒険者になるかもしれない。
未来ある新人と交わると、このような輝かしい未来を想像出来る。
だから、病みつきになった。
訓練官は、彼にとって天職ともいえるものだった。
さておき、グラーフが訓練場に足を運ぶと、ひと組の男女の姿があった。片方はしばし前に冒険者になり、現在Eランクに上がったエステルだった。
彼女には素養がある。
このまま腐らず鍛錬に励めば、Cランクに手が届くのではないか、とグラーフは見込んでいる。
エステルは、それほどの逸材だった。
今回実力テストを行うのは、当然ながらエステルではない。隣にいる少年である。
フィンリスあたりでは見ない、黒髪に黒目という珍しい色を持つ少年だった。
何故か彼の体は血に染まっていたが、グラーフはほんの少し驚いただけですぐに受け入れる。
冒険者の職場は戦場だ。返り血に濡れた人を見たくらいで驚いていては、冒険者は務まらない。
返り血よりも、グラーフは彼の雰囲気が気になった。
彼は通常ではない、異質な雰囲気を纏っていた。
一瞬、まるでドラゴンに睨まれたゴブリンにでもなった気がした。
(遂にAランクを目指せる傑物が現われたか!?)
彼から渡された用紙を見て、しかしグラーフの沸き立った血は一気に平静を取り戻した。
「なんだ、〝劣等人〟かよ」
冒険者の新規申し込み用紙の備考欄には、〝迷い人〟と書かれてあった。
途端に、グラーフの新人への期待値が底辺まで下落した。
劣等人は、レベルが1から上がらない。
本来レベルアップによって底上げされるはずの身体能力が、迷い人は一切上がらないのだ。
その原因は、『成長限界』にある。
レベルの上限は、人間が生まれながらに定められている。
これを成長限界と呼ぶ。
エアルガルド人だと、どんなに低くてもレベル20はある。
高いものだと90を越える猛者もいるという。
この成長限界が、迷い人の場合レベル1なのだ。
過去、一人の例外もなく……。
成長限界に縛られ、肉体の成長をもたらすレベルアップが出来ない。
これが、迷い人が劣等人と呼ばれる所以であった。
そんなレベル1だろう相手に、現在レベル32のグラーフが負けるはずがない。
グラーフがその気になれば、指先一つで相手を伸すことも出来るだろう(疲れるのでやらないが)。
少年(申込用紙にはトールと書かれていた)が木剣を眼前に構えた。
「――ッ!?」
劣等人が相手だと油断していたグラーフは、その洗練された動作に呼吸を奪われた。
途端に背筋にザワザワと鳥肌が立った。
(一体、なんだってんだ……。相手は劣等人だってのに、この威圧感は。もしかして、多少の剣術は修めてるのか?)
トールの構えは、元Cランク冒険者であったグラーフでさえ簡単には斬りかかれないほど、隙が無かった。
グラーフはトールへの評価を上方修正する。
それでもまだ、グラーフに焦りはなかった。
戦闘では量が質を圧倒するように、遥か頂に上りつめた技術も、圧倒的な肉体性能の前にはなんの意味もないのだ。
そんなグラーフの自信はしかし、
「……ふぅ」
少年がひとつ呼吸をした、次の瞬間に砕け散った。
「――ガハッ!!」
気がつくと、グラーフは地面を転がっていた。
腹部が激しく痛んだ。喉元に胃液がせり上がる。
(一体、なにがあった!?)
グラーフは、自分の身に何が起こったのか、全くわからなかった。
だが腹部の痛みと、グラーフを見下ろす少年の構えから、〝己が木剣で殴られただろう〟ことは推測出来た。
しかし、状況が理解出来たとしても、それに納得出来るかどうかは別だ。
(俺が、攻撃されたことさえわからなかった、だと!? そんな馬鹿な……っ。相手は劣等人だぞ!?)
元ではあるが、グラーフはCランク。一流の冒険者だった。一般的には一流と呼ばれるランクである。
そのグラーフの認知から外れるほどの攻撃を、劣等人が出来るとは、常識では到底考え難い。
相手は汚い手を使ったのではないかとか、少年ではなくエステルが攻撃を仕掛けたのではないかとか。痛みと吐き気に耐えながら、グラーフは必死に頭を巡らせた。
しかし、どの考えも説得力に欠けていた。
かといって、正当な手段で一本取ったのだともグラーフは考えられなかった。
普通であれば、まずはトールに攻撃されたと考えるべき状況だ。だがグラーフが持つ迷い人への知識が、その解を選ぶことを阻んだ。
「……ひとまず、実力テストはこれで終わりだ」
腹部の痛みが落ち着いてから、グラーフはそう告げた。手元の用紙に実力テストの結果を書き込み、トールに手渡す。
「ところでトール。お前は剣術を習ったことがあるのか?」
「剣術……というか剣道を、学校の授業でちょっとかじった程度ですよ」
「剣道?」
耳慣れない言葉に首を傾げるも、そういえば彼は迷い人だったなとグラーフは納得する。剣道とは、彼が元居た世界にあったものなのだろう。
学校は、エアルガルドにも存在する。とはいえ誰でも入学出来るわけではない。同年代のごくごく一握りの、才覚有る者のみである。
(トールは、元の世界でエリートだったのか)
戦闘前にあれほどの圧を感じたのも頷ける。
しかしそれでも、目で追えないほどの動きの説明は付かないままだった。
「いやはや、なんだったんだあれは」
訓練場を去る二人の背中を見送りながら、グラーフはぽつり呟いた。
実力テストでは、グラーフは受付用紙に三パターンいずれかの回答を記入する。
戦闘能力が高い者には○を。
どこかしら難点はあるものの鍛えれば使える者には△を。
戦闘能力皆無ならば×を。
今回実力テストで、グラーフがトールに下した判断は――
「まさか俺が、相手の実力を判断出来ない日が来るとは思わんかったな……」
〝俺じゃわからん〟
――実力テスト担当者として、お手上げ宣言だった。
○
訓練場から戻った透は、実力テスト担当官の男から貰った紙を受付に渡した。
さらりと中に目を通した受付嬢だったが、
「えっ?」
ある一点を二度見し、さらには凝視した。
「あのぅ、トールさん。実力テストを行って来たのですよね?」
「はい」
「試合の結果は……?」
「一応、勝たせて貰いました」
「ええっ!?」
透が勝利を口にすると、受付嬢は目を見開いて喫驚した。
「あのグラーフさんから一本を? そんな……」
「トールは凄いのだぞ!」
何故かエステルが自慢げに胸を張る。
ポニーテールもどうだ! と言わんばかりに堂々と揺れた。
「実力テストの担当をするくらいですから、あの方はギルドで相当の実力者なんですよね?」
「ええ、そう、ですね……」
トールの言葉に、マリィはぎこちなく頷いた。
彼が言った通り、グラーフは元Cランク。一流の冒険者だった。
しかしいくら相手が迷い人だからといって、〝相手に勝ちを譲る〟ような人物ではない。
彼は冒険者の戦闘能力の是非に対して、とても強い信念を持っている。
相手が誰であろうと、不正や不法を軽蔑し、努力や正義に肩入れする。
凶悪な顔に見合わぬ倫理観を持っている。
その彼が――グラーフがあえて負けたなど、マリィには考えられなかった。
(迷い人との診断が当たったときは私の勘が鈍ったのかと思いましたけど、やはりトールさんは第一印象の通り、超優良物件ね!)
ギルドの受付は激務である。
気性の荒い冒険者を相手に、神経を使いながら手早く業務を遂行する。
素材や討伐証明の部位など、重い荷物を持たなければいけないし、少しでも業務の手が遅れると冒険者から蛇蝎の如く怒鳴られる。
おまけに給料はとても安い。
しかし、それでも受付業務は倍率の高い職場である。
その理由は、冒険者との繋がりが出来るためだ。
将来有望な冒険者と繋がれば、あわよくば玉の輿に乗れる。
Dランクの冒険者までは、さしたるお金は稼げない。
だがC以上は違う。たった1日で数ヶ月分の生活費を稼いでしまえるのだ。
家にいるだけで旦那が超高額のお給料を運んできてくれて、一流冒険者の嫁という低級貴族にも匹敵するほどの名声も手に入る。
そんな|結婚(システム)が出来る可能性が高いのだから、たとえ激務であろうとも受付嬢を狙わない女性はいないというものである。
(トールさんをものにすれば、私も将来安泰よ……うふふ)
さてどうやって貢いでもらおうかしら。げへへ。
マリィは営業スマイルを努めながら、内心暗黒スマイルを浮かべた。
「さすがトールさんですね」
「……なあトール。お前はコレになにかしたか?」
はにかむ受付嬢のぬくもる雰囲気とは真逆に、エステルが透に絶対零度の視線を向けた。
まったく身に覚えがない。透は『自分は無実だ』と言わんばかりにブンブンと頭を振る。
「ギルドの実力者から一本を取るほどの腕前。トールさんは将来が楽しみですね!」
「トールぅ……?」
「知らない。なにも知らないから!」
エステルから発せられる謎のプレッシャーに、透の足がガクガクと震え出す。
このままでは透の細い肝が潰れそうだ。
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