第16話 再会そして最後の願い

 如月が薄らと輝く夜、健人は車で小倉駅を目指し出発した。

 伊予市から北九州市小倉駅までは、車で5時間30分かかり、松山港からフェリーに乗り、山口県柳井市周防大島町の屋代島港で車に乗り換え、国道437号線を北上し、岩国市の玖珂インターから高速道路に上がり、山陽道及び中国道により小倉北インターで下りる路程である。


 詩織とは、午前10時30分に小倉駅の新幹線の改札口で落ち合う予定であった。


 健人は予定通り、玖珂インターから高速道路に入った。

 健人は、一先ず安心した。

 この道を真っ直ぐ行けば、あと2時間走らせれば、10年振りに詩織に逢えるのだと


 健人はナビ代わりのスマホをマップからLINEに切り替えて、詩織のトーク欄を開き、「予定通り、高速に入った」とコメントし、LINEミュージックを「A Whiter Shade Of Pale」に再生した。


 健人は感じていた。


 「詩織は面影なんかじゃなかった。」と


 健人の気持ちは、詩織に対する「怒り」は消え失せ、ただ、「やっと逢える」といった希望が心を支配していた。


 その頃、詩織も英一を送り出すと、急いで、熊本駅に向かい、予定より早い新幹線に乗っていた。

 熊本駅から小倉駅まで新幹線で1時間であり健人の待ち合わせ時間の1時間も前に到着することになるが、詩織は何としても健人に逢いたい一心で一刻も早く熊本を離れたかったのであった。


 詩織は健人から途中経過のLINEを受け取ると、「こっちも予定通りです。」と返信した。


 詩織はとっても良い表情をしていた。この地獄の10年間で廃人寸前まで追いやられ、余命1年と宣告された女性とはとても思えなく、少女のように目を爛々と輝かせていた。


 詩織も健人と同じ気持ちだった。


 「やっと健ちゃんに逢えるよ!」と


 自分に言い聞かせるよう何度も何度も心の中で呟いていた。


 ただ、この時、詩織は今日の本来の目的を忘れていた。あまりにも健人と再会できる喜びに浸り過ぎており、「別れの事実」を告白するという重大な責務があることを


 詩織は予定より1時間も早く小倉駅に着くと、駅の化粧室に入り、鏡を見て、自分の顔を正面、右横、左横と入念にチェックし、改めて口紅を塗り、「健ちゃん、私のこと覚えているかなぁ~」と小声で呟きながらも、後ろ髪を浮かせるよう靡かせたり、前髪の垂れ具合を入念にセットするのであった。

 そして、医者から貰った鎮痛薬とピルを携帯した飲料水で服用した。


 詩織は、健人に抱いて欲しかったのだ。


 残り僅かな余命のうち、そう何度も健人に逢うことはできない。

 もしかしたら、今日がこの世で健人に逢うのは最後になるかもしれない。

 だから、真実の愛を味わいたかったのだ。

 もう一度だけで良いから…と。


 詩織は化粧室を出ると、新幹線の改札口を通過し、小倉駅のホールの柱に隠れた。

 下を向き、コートの襟を立て、顔を隠した。

 まるで、白昼の逢引きを待ち合わせてる人妻のように

 実際、詩織はそのように感じており、胸の高まりは悦びで溢れていたのであった。


 健人は予定通り、小倉北インターを下り、小倉駅の近くのコインパーキングに駐車し、小倉駅を目指して歩いた。


 健人は学生時代、学友と一緒に、よく小倉競馬場に通っていたので、この辺りの地理には詳しかった。


 健人は小倉駅の北口からエスカレーターに乗り、新幹線乗り場の改札口に着くと、スマホの時刻を確認した。

 詩織の新幹線が到着する5分前であった。


 健人も駅ホールの柱の影に身を寄せ、改札口から出て来る人々を見遣っていた。


 詩織が乗車する新幹線が到着したとの電光掲示板が点滅し出した。


 健人は柱から顔出し、改札口を通過する人、女性を真剣な眼差しで見出した。


 しかし、その新幹線から降り立った人混みは、改札口から無くなり、改札口を出てくる人よりは新幹線に乗るため改札口を通過する人の方が多くなった。


 健人は、詩織を見過ごしてしまったかと思い、詩織にLINEした、


 「予定通り、改札口に着いたけど」と


 詩織から直ぐに返信があった。


 「改札出口の緑の窓口の近くに居ます。」と


 健人はそれを見て、徐に緑の窓口の方へ歩いて行った。


 緑の窓口の前の柱に、下を向き、ベージュのコートの襟を立てた女性が立っていた。


 健人は一瞬にして、詩織と分かった。


 健人は詩織に近づき、「詩織だろ!」と笑いながら声をかけた。


 詩織は顔上げ、健人の方を向き、コクリと頷き、微笑んだ。


 健人は笑いながら、喫茶店に行こうと詩織に言い、歩き出した。


 詩織は健人の後ろをとぼとぼと歩いて着いて行った。


 すると、途中、健人が立ち止まり、詩織が横に来るのを待ち、あの時のように、片手で詩織の肩を抱いて、歩き始めた。


 詩織は、刑事に保護された被害者の女性のように肩をすくめながら歩いていたが、顔はニコニコ笑っていた。


 健人は歩く途中、詩織の顔を覗き込み、その笑顔を見ながら、「何処にいたんだよ~、詩織~」と笑いながら、肩を抱き寄せてた片手をポンポンと優しく叩くのであった。


 2人は駅の市道に降りるエスカレーターを下り、その先にある寂れた喫茶店に入った。


 客は1人も居らず、老齢の女性のマスターがカウンター内に居るだけだった。


 健人は店の1番奥の席に詩織を促し、2人は向き合って座った。


 健人も詩織も厚着のコート等を脱ぎ、隣の椅子に置いた。


 女店長が冷水とお手拭き、メニューを持ってきた、健人はアイスコーヒーを頼み、詩織はホットコーヒーを頼んだ。


 健人はテーブルに置いたショートホープにジッポで火をつけた。


 詩織が言った。


 「まだ、ショートホープ吸ってんだね。」と


 健人は、少し噛みながら、「これしか吸わないよ。」と言い、照れ臭そうに煙草を口から離し、紫煙を立ち昇らせる煙草を見つめた。


 直に、女店長がコーヒーを持って来て、それぞれの前に置き、カウンター内に戻っていた。


 2人は兎に角、微笑むだけで、会話をする様子はなかった。


 その時、2人ともあの幸せだった過去に戻ったかのように、10年振りに会ったのが嘘のように、自然にあの頃と同じように振る舞っていたのであった。


 健人は一口アイスコーヒーを飲むと詩織にこう言った。


 「元気そうで良かった。」と


 詩織は下を向いて笑った。


 健人が話し始めた。詩織との別れを省きながら


 「俺ね、東京の会社に就職したんだけど、3年で辞めてね、愛媛に帰ったんだ。」と


 詩織は笑顔で答えた。


 「今、遊漁船に乗ってるんでしょう。Facebookで見たよ!」と


 そして、今度は詩織が話し始めた。別れの真相を此方も省きながら


 「私ね、実はFacebookやってなかったんだぁ~、始めたのもつい最近でね。」と


 健人がポツリと言った。


 「もうすぐ、衆議院議員選挙だから、大変だね。」と


 詩織はその話を無視して話を続けた。


 「でねぇ、Facebook始めたすぐ後に、健ちゃんから友達申請が来たんだよぉ~、何か、スピリチュアル的に感じちゃった!」とニコニコ笑いながらそう言った。


 健人は嬉しかった。まだ、詩織が自分の事を「健ちゃん」って呼んでくれたことが


 健人はその話には乗って行った。


 「いや、俺もそうなんだ。一緒に遊漁船やってる奴からインスタのアップ頼まれてね。インスタ、シェアするときFacebookもシェアするか選択するじゃん、だからね、アプリ再インストールしたんだ、本当、奇跡みたいな話だね。」と嬉しそうに語り、そして、


 「それでね、詩織をFacebookで検索してみたら、『ヒット』したから、友達申請、送ったんだ。承認してくれてありがとうね!」と言った。


 詩織も健人が昔同様、自分の事を「詩織」と呼んでくれたのに安心した。

 

 そして、詩織は頷きながら、


 「健ちゃんが私のこと、覚えていてくれたのが嬉しかった。」と言った。


 その瞬間、健人の表情が明らかに変わった。

 詩織が見たことがない、表情であった。


 そして、健人が独り言のようにこう言った。


 「『覚えていてくれた』か!忘れようとしたが、忘れることができなかっただけさ。」と


 詩織は下を向き黙り込んでしまった。


 健人は続けた。


 「かなり頑張ったよ!お前を忘れようとな!

 だかな、お前が夢に出てくるんだ!

 邪魔しにな!」と


 詩織は急に顔上げ、健人にこう問うた。


 「私の服、白い服、着てなかった?」と


 健人は詩織に逆に問うた。


 「何故、分かる。」と


 詩織はこう言った。


 「私もね、自分が白いドレスを着て、ベンチに座り、蒼白い霧の中を見ている夢、よく見てたの。」と


 健人は煙草を消し、こう言った。


 「あの時、どうして、俺から消えたんだい?」と


 詩織は一つ溜息を着き、やっぱり、それは言わなければならないかと思い直し、健人に語り始めた。


 「あの時、熊本に帰った時、今の主人に拉致されたの、そして、薬打たれて、逃げ出せず…。」とここまで言うと、詩織は健人の顔を睨み、こう言った。


 「本当の事、全部、聞きたい?」と


 健人は詩織を睨み返し、こう言った。


 「そのために来たんだ。」と


 詩織は諦めたかのように、窓の外を虚げな眼差しで見遣り、語り始めた。


 「麻薬、ヘ○インを打たれたのよ、そして、違法ドラックMDMAで調教され、1か月間、監禁されたの。

 そして、私は、セックス依存症になったの。

 こんな女嫌でしょ、誰でも、だから、今の主人と結婚したのよ。」と


 健人は表情一つ変えず、その詩織の物語を聞き終えると、詩織にこう言った。


 「お前は肝心な事を言ってない。」と


 詩織は、困惑した表情を浮かべ、


 「全てを話したわ!」と強く言い返した。


 健人はまた同じことを詩織に問うた。


 「お前は肝心なことを俺に話していない。」と


 詩織は健人に言った。


 「貴方は何を聞きたいのよ!私の醜い行いを詳しく聞きたいの?、いいわ、見せてあげる。これを見たら私がどんなに変な女か分かるわ!」と言い、


 あの「悪魔の絶頂」の動画を再生した。


 詩織はその動画の音声を切ることなく、ありのままの「悪魔の絶頂」動画が映し出された、スマホを健人の目の前に置いた。


 健人はそれをじっと見た。


 そして、その動画が終わると、詩織にそのスマホを指で押し返した。


 詩織は泣き崩れていた。


 健人は詩織に言った。


 「こんなもんどうでもいい、肝心な事を言え!」と


 詩織は泣きながら、こう言った。


 「これ以上、何を言えばいいのよ?」と


 健人はショートホープを1本取り出し、ジッポで火をつけ、口と鼻から紫煙を吹き上げ、煙草を咥えながら外を見遣り、こう言った。


 「あの時、お前は俺を愛していたのか?

 そして、今でも俺を愛しているのか?

 そして、奴よりも俺を愛しているのか?」と


 その瞬間、詩織の全身に電気が走った。

 そして、英一とのヘ○インセックス「悪魔の絶頂」の果てに、錯乱し、朧げに見えた健人を思い出し、「はっ」と感じた。


 「この人は、ずっと私を待っていてくれたんだわ。私がどんな人間になろうと関係なく、私そのものを待っていてくれたんだわ。どんなに時間がかかろうとも、心の中で待っていてくれたんだわ。」と


 そして、詩織は健人にこう言った。


 「私が愛した人は、今も昔も、貴方1人だけです。」と


 健人は詩織に一言、


 「それが聞きたかったんだよ。」と


 微笑みながら言うと、勘定のレシートを握り、席を立とうとした。


 詩織は健人のレシートを握った腕を握りしめて、こう言った。


 「健ちゃん、最後に一度だけ、私を抱いて!」と


 健人は詩織の握った手をもう一つの手で優しく解き、何も言わず、立ち上がり、レジに進もうとした。


 詩織は叫んだ。周りを気にすることなく、健人に叫んだ。


 「私は癌なのよ!もう、永くないの!お願い、死ぬまでに、もう一度だけ、抱いてよ~、健ちゃん、お願い!、このまま、あの家のお墓に入りたくないのよ~、分かってよ!私の気持ち~、健ちゃんしか、私は愛せないの~、その想いを抱いて死にたいのよ~、このまま、彼奴の墓に入りたくないの!」と


 健人は一瞬、立ち止まった。


 そして、詩織の方を振り向くことはなく、勘定を済ませ、店を出て行った。


 詩織は暫く、テーブルに顔を埋め、ずっと泣き通した。


 そして、やっと顔を上げ、全てを諦めた表情、感情を葬り去った、生きた屍のような無表情のまま、店を出て、健人の歩く反対側の駅に歩いて行った。


 健人はコインパーキングに駐車している車に乗り込むと、バックミラーに自分の顔を写し、こう言った。


 「俺は、あの男を絶対に許さない。」と


 その表情、その眼は、正に悪魔の如く、燃えたぎっていた。

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