これもまた、二人の日常①

 幾重にも重なった光の網の下、青い獣はまだ諦めていない。

 ここで逃す選択肢はなく、追いうちの一発を打ち込もうとしたその時だ。


「モーリス、サリー! 退避を!」


 可憐な声が響き渡った。

 声に反応した白雪の耳がぴくりと動いた。即座に、モーリスは白雪に左方向へと退避を促す。その直後だ。

 白雪が立っていた場所の上空を真っ赤な砲弾が複数、抜けていった。

 冷気を吹き飛ばす熱風が巻き上がり、光の網の上、着弾したそれは真っ赤な炎を花を咲かせた。飛び散る炎の一つ一つが花のようだ。それが地面に落ちて広がっていく様は、まるで椿の花が首を落として作る絨毯だ。

 凍てついた森を熱風が抜けていく。


「咲き誇れ!」


 凛とした号令と共に、青い巨体は炎の花に飲み込まれた。

 轟々と燃え盛る炎の中で、断末魔を上げた青い魔物は光の網を抜け出すことが叶わなかった。

 次第に動かなくなる様子を見ていたモーリスは、ほっと息を吐くと、後方を振り返った。そこにいたのは、真っ赤な大型装甲獣アルマ・ビーストの背に乗る、綾乃だった。


「お見事です、少将ちゃん」

「いいえ。モーリスの捕縛があったおかげです」

「いやいや、俺の魔精力じゃ、あれが限界なんで、どうしたもんかと困ってたんですよ」


 苦笑したモーリスは、魔装短機関銃の弾倉も心もとなかったですしと付け加えると、綾乃の横へと視線を動かした。そこには暗い森に溶け込むような黒い大型装甲獣がいる。その背で、ジンが少しばかり不満そうな顔をしていた。

 

「俺の出番はなしか?」

「いいえ。変異種を持ち帰るまでが任務です。モーリスの魔精回復に時間も要するでしょうから、ここからは、ジンに働いてもらいます」


 にこりと笑った綾乃は、辺りを見渡した。


「どうやら、変異種の血肉を求めて、魔狗ハウンドが集まってきたようです」

「少将ちゃん! そっちは、あたしとモーリスでどうにかするわ!」

「お願いします!」

「ジン、光源を頼む!」


 白雪の背から飛び降りたモーリスが叫ぶと、あいよと答えたジンは木々に向けて魔装短機関銃を数発撃った。

 着弾を確認し、彼が「輝け!」と叫べば、木々はまるで降誕祭を祝う街路樹のように枝葉を輝かせた。


「モーリス! 追加の弾倉だ!」

 

 走り抜けようとしたモーリスは、投げ渡されたポーチを受け取るとにやりと笑った。その後ろを、白雪を駆るサリーが追随する。

 しばらくして、凍てつく森に真っ赤な魔法陣がいくつも描き出された。


   ***


 降誕祭から一週間。

 アサゴの街は新年を祝うべく賑わっていた。街中を行く人々は、この日を迎えたことを喜び合い、流れてくる讃美歌が薄らぐほど笑い合っている。

 魔法の灯が点される街路樹を眺めていたサリーは白い息を吐くと、マフラーに顔を埋めてほくそ笑んだ。

 同じ宿舎、それも隣の部屋に住んでいるのに、デートの待ち合わせが商業区の目抜き通りだなんて、バカみたい。そうモーリスに言ったのは昨日の夜のことだ。ツンケンしながらも、その本心は、嬉しくて仕方なかった。そんな彼の気持ちを分かっているのかいないのか。

 大きな商業施設の前、恋人たちの待ち合わせ場所にもなるような広場にそびえるシンボルツリーの下、女共に囲まれるモーリスの姿があった。

 呆れてため息をつくサリーは、ヒールを鳴らして近づく。


「お待たせ」

「時間通りだよ」

「あら、それじゃぁ、あたしの待ち合わせの前にナンパでも楽しんでたのかしら?」

「そんなわけないだろ。俺はいつだって、お前一筋だ。知ってるだろ、愛翔」


 おもむろに立ち上がり、サリーを見下ろしたモーリスは、その顎に指を添えるとくいっと上を向かせた。そして、その額にチュッと唇を寄せる。直後、辺りから黄色い悲鳴が上がったのは言うまでもない。


「ちょっ、人前で何してんの!」

「人前だから、額で勘弁してやったんだけど」

 

 真っ赤な顔をして額を触るサリーが愛らしくて、無意識に慈愛に満ちた瞳で見つめたモーリスは、赤い唇に触れる。こっちが良かった、と聞くように。どの手を全力で払ったサリーだったが、頬は冬の寒さを忘れるほど赤く染まっていた。

 満足そうな顔のまま、後ろを振り返ったモーリスは、集まっていた女性たちに微笑む。


「お嬢さん方、これで俺が嘘ついていないって分かってもらえたかな?」


 そう言うと、女性たちは再び黄色い声を上げた。中にはと祝辞を投げかける物もいる。

 サリーは何の事かしらと言わんばかりに首を傾げたが、モーリスは涼しい顔をして女性たちに手を振ると背を向けた。


「ねぇ、前にもこんなことがあったわよね?」

「そうだっけ?」

「そうよ。清良ちゃんと待ち合わせてた時も」

「あー、そうだったかもな」


 サリーと並んで歩き出したモーリスは、横で訝しむサリーに「大したことじゃないよ」と言って、その手を掴み、引き寄せた。


「気になる?」

「そりゃ……まぁ」

「お、今日は素直だな」

「べ、別に! あんたがどこで誰と何しようと!」

「お前の自慢話してたの」

「は?」

「俺の恋人はめちゃくちゃ美人で強い軍人なんだけど、私服姿はそうと分かんないくらい可愛くってしゃぁないんだって」

「な、な、なっ!?」

「二か月前は片思いだったけど、やっと恋人になって初デートで新年を迎えるってロマンチックじゃない、て話してた」


 そんなことを話していたから、なんて口にする者がいたわけだ。

 おそらく、をしてきた女性たちなのだろう。その名も知らない相手に、盛大にのろけ話をしていたのか、この男は。

 あまりのことに、若干引き気味になったサリーだったが、悪い気はしないのだろう。耳まで真っ赤にしながら、モーリスの腕を引くと両腕を絡めてしがみ付いた。


「あんた、ほんっとバカ! でも……」


 口籠りながら「嫌いじゃない」と呟いた姿を見たモーリスは、柔らかなピンクプラチナの髪に顔を近づける。

 ふわりとバラの香りが立ち上がった。


「シャンプー変えた?」

「え……うん」

「……やばいなぁ」

「何がよ」

「この前のシトラスも良かったけどさ。バラの香り、似合いすぎだろ。勃つ」


 真顔で言い切るモーリスに呆れ、深いため息をついたサリーは、次の瞬間には噴き出して笑った。


「今夜は、緊急招集がないこと、祈ってなさい」


 赤い唇が弧を描き、サリーのつぶらな瞳が眩しそうに細められた。

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