4-7 記憶に刻まれた赤い花の香り
一通りの帰還報告を済ませたモーリスは、飲みに行かないかと数人から声をかけられるも、先約があるからまた今度と断りをいれ、慌ただしく宿舎に戻った。
久しぶりの部屋の匂いにほっと息をつく間もなく、汚れた衣服を脱ぎ捨て、浴室に入ると熱いシャワーを全開にした。
泥と汗、
長い軍人稼業で泥臭い戦場の匂いなど嗅ぎなれているモーリスではあったが、その中でも唯一、慣れないものがあった。
(花が多かったな……)
すんっと鼻を鳴らし、あの血と蜜の混ざった匂いが残っていないか確認しながら、石鹸が泡立つスポンジで体を擦る。だが、いくらそうしても鼻についた匂いが取れる気はしなかった。
堪らずに舌を打つ。
赤の森の匂いは、嫌でも若い頃を思い出させた。それは訓練生として初めて訪れた日のことだ。あの年も今年と同じように、赤い花が狂い咲いていた。いや、それ以上だったかもしれない。
熱いシャワーを浴びながら、思い出したくもない過去がまざまざと蘇った。
それは十年近く昔の記憶だ。
候補生としてアサゴ基地に所属してからすぐに、赤の森演習恒例の
モーリスとサリーの担当教官は紳士然とした三十路の男だった。兄と言うには歳が離れていたが、親と言うには若すぎる。実践の中でも比較的丁寧に指導することから、候補生には人気の教官だった。
その教官の横には、ある小柄な女教官が常にいた。対抗戦の行われた時の担当もその二人だった。
懐かしくもあり、辛い過去に付きまとう二人の会話を、モーリスは今でもまざまざと蘇らせることが出来た。
「今年は
「心配性ね。魔樹なんてエッチな夢見させるくらいでしょ」
「若い子には、それが毒なんですよ」
「ま、その時はその時。なんでも経験よ。あたしの可愛いひよっ子ども、気張って用意しな!」
綺麗な顔に似合わない粗雑な言葉遣いをしていた女教官だった。彼女の豪快な笑顔を思い出し、モーリスはシャワーに打たれながら深々とため息をついた。
(エッチな夢。あれは、そんな可愛いもんじゃないだろう)
悪夢でしかない、初めての赤の森遠征は順調に進んでいたのだ。
手負いの
数百メートル先で、銃声が
この先に踏み込むのはヤバいだろう。利口な班員たちも、激しい銃声を気にしながらも、突き進むことを
深紅の
「ひよっ子ども、下がれ! この先に魔樹がいる。佐里の班が遭遇した!」
怒声を響かせ、女教官は森の奥に消えた。その後をついてきた漆黒の
その先にあるのは、モーリスの予測通り魔樹の
事前に、回避するよう忠告されていたのにも関わらず、襲撃に出た班がいた。それがよりによって、サリーの班だったことに、違和感を感じながらも、モーリスは班員に後退の指示を出した。
しばらくして、サリーの班の仲間たちが合流した。何があったのか尋ねれば、二人はどこか興奮気味に、引きつった笑いを浮かべながら、こう言ったのだ。
「サリーがいなかったら、今頃、俺達も
へらへら笑いながら、男達はサリーを囮にして逃げてきたことを、恥ずかしげもなく告げたのだ。
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