6-12 この先も共に駆ける①

 少しひやりとした秋風が頬を撫でる中、温かなカップを手にしたサリーは窓の外で鮮やかに色づいた木々を眺めて吐息をついた。

 教官室に戻ってから、モーリスとサリーは形ばかりのインスタント珈琲を片手に、病室でケイが打ち明けた暗号の事実について話し合っていた。


「つまり、慎士は清良ちゃんを逃がそうと思ってたってこと?」

「おそらくな」


 直接、染野慎士に確認をとったわけではないが、ケイの話から推測するに、彼は織戸清良をレネ・リヴァースに渡す気はなかったのだろう。思い返せば、白雪スノウが二人を奪還した時の反撃も温かった。装甲獣アルマ・ビーストにただの銃弾が効かないとはいえ、あの時、彼は一発も打たなかったのだ。


「少将ちゃんには到底敵わないと考えたんだろう。だから、俺等を迎え撃つことで活路を見出そうとした」

「……少将ちゃんが現れたら、自分達も逃げ出す機会はなくなるって分かっていたってこと?」

「たぶんな。俺だったら、そうする。レネ・リヴァースの目的が召喚サモンズ弾を撃ち込むことならなおさらだ。その情報を本国に持ち帰ることまでが任務だろし、退路は確保していただろう」

「慎士はあたし等をいて逃げることも考えていた。その場合、強い魔精を持たない清良ちゃんの身の保証は出来ない。だから……」

「あえて手の込んだ演出をして、罠だと匂わせることで市街地の警戒を強め、西側を手薄にすることで逃げ道を確保しようとしたのかもしれないな。当のレネ・リヴァースは逃げようとしなかったがな」


 どう考えても憶測の域を脱することは出来ないが、染野慎士という男にも、良心の欠片と軍人として民間人を守る最低限の誇りが残っていたのかもしれない。そう考えれば少しは救いがあるように思えた。

 

(……上手くいく保証なんてなかっただろに。やっぱ、あの男は一発殴らないと気が済まないな)


 どういい様に解釈しても、やはり不愉快なものは残る。それを珈琲と一緒に飲み込んだモーリスは、サリーの様子を見た。

 意外にも、サリーは笑顔ひとつ浮かべていなかった。


「……民間人を巻き込んだって負い目は、あったのかもしれないわね」

「曲がりなりにも、元軍人だ。多少は感じてもらわないとな」

「後で、染野少佐にも話してあげましょ」

「そうだな。少しは心の救いになればいいんだが」


 気の良さそうな染野少佐を思い出し、モーリスは頷く。


「あ……そうか。それでアネモネ……」

「ん? あれは裏切り者、染野慎士のことだろ?」

「あたしも最初はそう思ったんだけどね」


 赤い葉を揺らす木々を見て、少し悲しそうに目を細めたサリーは、静かな教官室を見回した。昨日の喧騒は嘘のように、今日は静かだ。

 モーリスとサリーは昨日の激務を考慮して、控えを言い渡されているのだが、多くの教官は、候補生たちを連れて市街地の改修や民間人の安否確認に赴いている。


「アネモネの花言葉は、元々、あなたを信じて待つ、とか、君を愛すって意味なの」

「裏切りとは程遠いな」

「そうね。でも、信じて待った末、幸せになれるとは限らないでしょ?」

「そうか? 俺は幸せだけど」

「あんたは単純だからね」


 顔を近づけてきたモーリスの顔面を掌で押し返して、サリーは湯気を立てるインスタント珈琲で喉を潤す。


「このアサゴを開拓してから間もない頃、五十八番通りのあたりに、アネモネの丘があったそうよ。前線に赴く恋人の帰りを祈った女性が植えたんですって」


 初めはほんの小さな花壇だった。だが、同じように恋人や伴侶の帰りを待つ街の人々が栽培を手伝うようになり、数年後には丘一面にピンクや紫のアネモネが咲きほころぶようになった。

 話を聞きながら、モーリスはふと、魔樹ローパーが現れた丘を思い出す。あの辺りなのかもしれない、と。


「アネモネの時期ではない時は別の花が植えられ、帰還した恋人や伴侶との再会を喜ぶ場所として知られるようになったんですって」

「そんな丘、今はないよな?」

「……アネモネを植え始めた女性が、そこで命を絶ったから、撤去されたそうよ」


 寂しそうにカップの底を見るサリーは瞳を閉じると小さく息を吐く。


「女性の恋人は何年待っても帰ってこなかった。ある日、前線で行方不明になったと、血まみれのスカーフを持ち帰った軍人に聞かされたんですって」

「それで、世を儚んでか? まぁ、多かれ少なかれそう言うことも──」

「それだけなら、悲恋として語り継がれたでしょうね」


 かぶりを振ったサリーはインスタント珈琲を飲み干すと、カップを書類の積まれた机に置いた。


「違うのか?」

「その女性の死後、男は他の女と姿を現したそうよ」

「なんだ、その胸糞悪い展開は」

「男は、前線で出会った女軍人と恋に落ちていた。だから、丘で待つ彼女のもとに姿を現せなかった。生死不明という嘘をついて、彼女に忘れてもらおうとしたのよ。友人を使ってね」


 つまりが裏切り。それが、アサゴ基地ではアネモネを裏切り者の隠語として使うようになった由来だった。


「アネモネの話を、あたしに教えてくれたのは慎士なの」

「……へぇ」

裏切り者アネモネはいらない……俺のことを信じるなって、お別れのメッセージだったのかもしれないわね」


 懐かしむように笑うサリーの顔に、少しばかりの嫉妬を感じて珈琲を啜ったモーリスは視線を逸らした。

 窓の外では、冷たい秋風に晒された赤い葉が枝から離れ落ち、ひらりひらりと舞っていた。


「もしかして、妬いてるの?」


 ひょこっとモーリスの顔を覗き込んだサリーは、したり顔で笑った。

 素っ気なく別にと呟いたモーリスだったが、珈琲を飲み干すとカップを窓際に置いた。

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