6-11 ポリュビオスの暗号の真意

「──ところで、ケイ。一つ聞きたいんだが」

「はい! 何でしょうか?」

「お前、どうしてポリュビオスの暗号を残したんだ?」


 それは些細な疑問だった。


「暗号にするなら、もう少し短い内容で良かっただろう? わざわざ、花言葉なんて使うこともない」


 初めこそ、詩的な表現を使うことで、座学で花言葉の話をしていたらしいサリーに伝えようとしたのかと考えた。だが、急ぐならそんなまどろっこしいことはせず『五十八番通り救援求む』の文字があれば済む。それだけでも、モーリス達は五十八番通りに向かっただろう。


「サリーに伝える必要があったから?」

「……あれは、染野慎士に言われて書きました」


 意外な返答に、モーリスは僅かに目を見開いた。


「あの日、清良の端末を使って染野慎士は連絡をしてきました。清良を助けたいのであれば、言われた通りの暗号を残し、五十八番通りに来いと」

「どういうことだ?」

「初めは罠かと思いました。だから、直接このことを教官に伝えようと考えました」


 当然、その選択肢もあっただろう。だが、結局のところ言いなりに暗号のメモを残したということは、他に、そうせざるを得ない理由があったと言うことになる。


「染野慎士に……選択肢を間違えれば、清良がシーバートでになる道しかない、と言われました。それは、さすがに可哀想だから助けに来い。そのチャンスをやる、と。」


 ギブスが施された痛々しい利き手を睨み、ケイは唇をきつく結ぶ。


「そして、お前は軍人の道を絶たれる覚悟はあるかと、問われました」


 その結果が今の惨状と言う訳か。──とは言葉にせず、モーリスは頷く。


「話してくれて、ありがとう」

「──教官、俺は、選択を誤ったのでしょうか?」

「どうだろうな。俺とお前とでは立場も違うし、経験も、使えるものも違う」


 もしも、染野慎士とケイに接触があったと知っていたら、同じ結果ではなかったかもしれない。相手の計略を読むこともしたかもしれない。

 だがそれは、今、教官と言う立場であるモーリスだからこそ考える選択肢であり、頼れる上官がいるこの状況を十分に把握しているから言えることだ。

 ふと、モーリスの脳裏にサリーの姿が浮かぶ。


「もしも、お前と同じ立場なら、同じことをしただろう」

「……立場」

「何も知らない候補生だったら、俺も恋人を助けに行くだろうよ。今は、そう単純でもいられないが、な」


 ケイが候補生でよかったと思いながら、モーリスはほくそ笑む。その表情をどう捉えたのだろうか、ケイは至極真面目な顔で頷いた。


「俺は、軍人には向いていなかったのかもしれません」

「お前の射撃の腕は、確かだったぞ」

「技術的なものではなく──」


 一度言葉を切ったケイは、胸元を握りしめた。


「いつまでたっても、清良を優先してしまう自分しか、想像できません」


 心には常に彼女がいるのだろう。

 彼女を守りたい一心で軍人を志したのだろうことが伺え、モーリスはその微笑ましい様相にそうかと頷く。


「彼女を軍人にする訳にもいかないし、お前はアサゴで戦うのが一番ってことだな」

「清良を軍人に?」


 何の冗談だろうかと言う代わりに、小さく笑ったケイは、病室のドアが開く音に振り返った。

 笑顔の清良とサリーが顔を出す。


「こらっ、モーリス! ケイを泣かせてんじゃないわよ」

「おいおい、人聞きの悪いことを言うなよ。人生相談に乗ってたんだって!」

「あんたが乗れる相談なんて、高が知れてるでしょ」


 ずかずかと歩み寄ったサリーは、そろそろ戻るわよと言ってモーリスの首根っこを掴んだ。


「清良ちゃん。また明日、来るから。手紙、書いておいてね」

「はい。ありがとうございます」

「それじゃ、養生しろよ」

「お世話になりました、教官!」


 自由になる手で敬礼を見せたケイは、答礼を返した二人が顔を見合って笑うと、モーリスの言葉を思い出した。「彼女を軍人にする訳にもいかないし」とは、そういうことかと気付いた。

 二人きりになった病室で、肩の力を抜いたケイは清良を振り返る。


「清良……俺さ、教官達みたいになりたいな」

「ケイも十分にカッコいいわよ。助けに来てくれて、ありがとう」

「そうじゃなくてさ……その、清良とこれからも先、ずっと一緒に──」


 一世一代の告白が、病室と言うのもどうなのか。そんなことを思いながら、ケイは顔を真っ赤にすると彼女の手を握りしめて言葉を続けた。

 それをドアの向こうで聞いてしまった二人が、顔を見合って照れ臭そうにしたことなど、つゆ程も知らずに。

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