6-4 その恐怖心を越えて

 男二人には小さすぎるセミダブルのベッド。そこに横たわる愛しい人を眺め、モーリスは満足げに口元を緩める。

 まだ少し湿気っているピンクブロンドの髪を撫で、その額、瞼、頬にと優しく唇を寄せた。


(やっと手に入れた)


 愛してやまない人が目の前にいると思うだけで、腹の奥が熱くなった。

 本当に良いのかなんて、野暮やぼなことを口走りそうになったモーリスに気付いたのだろうか。それを遮るようにサリーは彼を引き寄せる。


 柔らかな唇に触れ、まるで口付けを覚えたばかりの少年のように、がむしゃらに食らいついた。

 吐息が重なりあい、鼓動と息は容易く上がっていく。

 そのままの勢いに任せて白い喉に食らいつけば、サリーは身をよじってそれから逃れようとする。だが、伸びた首筋をチュッと音を立てて吸われると、全身を震わせた。

 柔らかな唇がきゅっと引き締まり、嬌声きょうせいが飲み込まれる。

 誘うように白い喉がこくんと動いた。その様子に、モーリスはにやにや笑いながらその喉仏を舐めると、顔を上げた。


「へぇ。首好きなんだ?」

「……うる、さい」

「震えるくらい気持ちいいか?」


 耳元に寄せられた唇が、艶のある低音で囁き、その柔らかな耳たぶをむ。耳裏をなぞり、顎にそってそれはずらされた。その先のどくどくと脈打つ辺りを、今度は痕が残るほどに吸い上げた。

 浅い息を繰り返していたサリーの口から溢れた引きつる嬌声が、モーリスの耳を心地よく打つ。


「やばいな……その声だけでイケそうだ」

「……イっちゃいなさい、よ……無駄撃ちじゃなくて、早撃ちってののしってあげる」


 挑戦的な眼差しに背筋が泡立ち、モーリスは堪らず舌なめずりをする。


「不名誉な呼び名は遠慮しとくよ」

「あら、残念……っ!」


 首筋をべろりと舐められ、サリーは肌を這いまわる指と舌に、繰り返し身を震わせた。

 十数年ぶりに触れあう指は、あの時よりも硬く厚みがあった。それに長い時を感じながら、サリーは浅い息を繰り返す。熱い指が気遣うように肌をかすめていくのをもどかしく感じながら、見下ろすモーリスに過去の彼を重ねて見ていた。

 お互い、ような年齢でもない。だが、昂りを押さえながら気を遣って優しく愛撫をするのは、それなりに苦しいだろう。あの時と変わらない気遣う眼差しに、サリーは胸の奥がじわじわと温まるのを感じていた。

 モーリスの肌にそっと触れ、心の内を告げるべく、おもむろに語り始めた。


「……ずっと、怖かった」

「何が?」

「こうして、あの日のように触れられることが」


 若い候補生時代、魔樹ローパーの蜜と香りに浮かされ、繰り返し重ねた肌の熱さが、二人の脳裏に甦る。

 このまま勢いのまま一夜を共にすることに、ふと躊躇ためらいが生じたのか、モーリスは体を起こすとサリーを見つめた。


(あれは不慮の事故アクシデントだ。愛の営みセックスなんかじゃない)


 モーリス自身、長い歳月の中で己にそう言い聞かせてきた。そうすることで、時折、襲ってくるどうしようもない衝動を押し込めてきた。衝動だけで再び体を重ねたら、後悔が残るように思っていた。だからこそ、長年口説き続けながらも一線を越えるようなことはしてこなかった。

 虚しいだけの一人でのシャワールームを思い出し、モーリスは不安に駆られる。

 このまま触れたら、当時の恐怖をサリーに思い出させてしまうのではないか、と。


「怖い、か?」

「……そりゃ、怖いわよ。だって……」


 不安そうに眉をひそめるモーリスの頬に触れ、サリーは目を細める。


「幼馴染みじゃ、なくなっちゃうじゃない」

「──は?」


 予測もしなかった答えに、モーリスはきょとんとする。その表情を面白そうに見たサリーが笑うと、脳裏によぎった不安が何かのように感じられた。


「あたしにとって、あんたは幼馴染み。それ以上でも以下でもない。だから、があっても関係は変わらないし、あたしの前から……そう、自分に言い聞かせてきたの」


 しっとりとした指先がモーリスの頬を撫で、首を伝い落ちる。そして、腕に巻かれた真新しい包帯をかすめた。


「でも、恋人になったら……きっと別れが来る。あたしの元から、愛した男は必ず離れていくんだから」

「──なんだ、それ」

「だって、ほら。あたしは男でしょ? 胸だってこんな」


 サリーの熱い指がモーリスの手首を掴み、引き締まった胸に導いた。隆起する胸は豊満な女性のものとは異なる。

 だが、そんなことは些細なことで、その肌理きめ細やかで指に吸い付くような肌の向こうでは、確かな鼓動が早鐘を打っていることが、モーリスにとっては重要だった。

 触れ合うことを望んでいる。それが、何よりも嬉しかった。


 呼吸に合わせて動く胸をそっと撫でると、サリーの体が微かに反応する。


「胸は重要じゃないだろう?」

「……子どもを生むことも出来ないし、家で帰りを待つどころか、いつか戦場で死ぬかもしれないでしょ?」


 そんなのはお互い様だろう。そう思った瞬間、モーリスの脳裏に染野慎士が浮かんだ。彼は帰りを待てる存在だ。それも、軍人のことをよく分かっている。

 

「だから、染野慎士は丁度良かったのか?……軍人の辛さも、死の恐怖も知っているから、慰め合うには丁度いい」

「……言い方。あんたって、ほんっとデリカシーがないわね」


 呆れたようにため息をこぼし、サリーは「でもそうね」と頷く。


「慎士はどうしようもないバカだったけど……あたしのことを分かってくれたの。時々、いろんなことを思い出して苦しくなった時に、側にいてくれた。アサゴであたしの帰りを待ってくれた。だから──」

「もう、いい」


 遠い目をして染野慎士のことを語るのを見ていることが出来ず、モーリスは強引にサリーの口を唇で塞いだ。

 聞き出そうとしたのは自分なのに。なんて勝手なんだろう。そう思いながらも、口付けに応えるように首筋に回された手にほっとしていた。

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