4-8 消えない過去と甘い劣情

 叩きつける熱いシャワーの中で、鮮明に蘇る記憶は陰鬱いんうつな匂いと男達の悪びれない様子。

 煙る湯気を吸い込んだモーリスは、くそっと短く吐き捨てるとタイルを一発殴りつけた。

 

嗚呼ああ、だから赤の森演習は嫌いなんだよ)


 それは忘れたくとも忘れられない記憶。

 赤の森を訪れた後は、こうして必ず思い出していた。

 思い出しては、記憶の中で男の顔を殴り、あの時と同じように森を振り返り駆けていく。

 あの時は、それが最悪の選択だと気づいていなかった。だが、十年という月日が流れた今、同じ選択を迫られたら──


(何も変わらない。俺は、きっと……)


 制止の声を振り切り、駆けだした先に見たのは燃える魔樹ローパーだった。赤い花よりもさらに赤く染まり、甘い香りと共に煤の匂いを振りまいていた。地面に落ちていた膨れた触手に、女教官の持つナイフが突き立てられ、その中からサリーが引きずり出された。

 むせかえる程の甘い匂いの中で教官の叱咤しったする声を聴きながら、心が怒りと劣情で満たされていくのを、モーリスは十年経っても忘れられずにいる。


(あれは不幸な事故アクシデントだ。だけど……)


 目を閉じれば、花びらのように散っていた火の粉と、大地に転がったサリーの姿が鮮明に浮かぶ。

 その姿が衝撃だっただけではない。白濁にまみれて意識を失う姿に、若かったモーリスは情欲の念を抱いたのだ。そんな自分が今でも情けなく思い、濡れたタイルを再び殴りつける。


(──忘れるんだっ!)


 昂る自身に、モーリスは何度となく言い聞かせてきたが、淫靡いんびな姿がまぶたの裏から消えることはなかった。


 首筋を叩くシャワーの温度を上げ、頭のてっぺんから熱い湯を浴びたモーリスは深く息を吐いた。

 消えない痴態ちたいが鼓動を高めていく。

 触手に飲み込まれたサリーの姿を忘れようと、いくらシャワーで流そうとしても、その姿が色褪いろあせることはない。


 湯気の中、さらに思い出す。

 サリーを残して逃げ出した候補生達を殴り倒し、罵倒ばとうした。どうして助けなかったのかと、仲間だろうと。

 一晩、解毒出来ずに苦しむサリーの痴態を他の男達に見せたくなかった。介護を手伝ってやると言って伸びてきた手を片っ端からはね除け、殴り、蹴り飛ばした。


(けど、俺もあいつらと何も変わりゃしなかった)


 殴り倒された男達は教官達に連れ出され、二人きりで過ごした夜。求められ、泣きつかれた。そこに情愛など欠片もないと分かりながら、全てに応えた。

 それは甘くも苦い思い出だ。

 熱いシャワーがいくら叩きつけても、首筋が冷えていくようだった。それに項垂うなだれ、ふと下半身に視線を落とすと、感情と裏腹にち上がっている自身が目に入った。


(──何も変わらねぇ)


 泡にまみれた手でそのたかぶりを握り込む。うんざりしながらも、五日ぶりの刺激に昂りは一気に背筋を駆け抜けていった。

 心と身体の食い違いに嫌気がさした。それでも、熱い息を吐き捨てる。


 劣情が奔流ほんりゅうとなって腹の奥に押し寄せた瞬間、脳裏に浮かんだのは、あの夜に縋って来たサリーの赤く熟れた唇。

 その唇を合わせれば、もとの関係おさななじみに戻ることが出来ないと直感した。それでも、香る蜜の匂いに飲まれていき、がむしゃらに求めずにはいられなかった。


 あの夜、一度や二度、気をやったところで果てることはなかった。

 苦しかっただろう。辛かっただろう。そう分かりながら熱を押し付け合い、擦りあった。それは、どんな女と過ごした時間よりも甘く、苦しく──


(最低だ……)


 上気して熱をもった愛らしい顔と切ない声が、脳裏で鮮烈に甦り、泡にまみれた手の中で白濁とした熱が吐き出された。

 己の掌をぼんやりと眺めたモーリスは、ややあって浴室の天井を仰いだ。

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