5-2 染野少佐の頼み

 息を飲んだモーリスは、この場に染野少佐がいることに合点がいき、ちらりと視線だけを彼に向けた。それを別段気にした様子もない彼は、台の上で手を組んだまま微動だにしない。

 どこか思いつめたような緊張感を漂わせながら、組まれた指がほどかれた。


愚息ぐそくを止めてほしい」


 深々と頭を下げた染野少佐に、モーリスとサリーは息を飲む。

 一瞬の間を置き、二人が慌てて顔を上げる様に言えば、少佐は沈痛な面持ちで二人を見た。


「あれは軍人に戻りたいと長年言い続けていてな。──シーバートに渡る気だ」


 大方そう言うことだろうと予測していたとはいえ、告げられた言葉は部屋の空気を一段重くした。

 ともすれば、ため息をつきそうになったモーリスはパイプ椅子の背に体重をかけると、静かに息を吐いた。それを見て、染野少佐は言葉を続けた。

 

「こちらの情報や人を手土産に、あちらで軍人としての地位を手に入れようとしている」

「……少佐、どうして、そうだと言い切れるのですか?」


 予測していたこととはいえ、やはりサリーはすぐに受け止めきれないのだろう。

 震えそうな声で尋ねられ、染野少佐は眉間のしわを濃くした。


「あれの軍人として足りない点は何だと思う? 佐里少尉であれば、であろうから、分かるだろう」

「……それは……状況の変化への適応力のなさと、融通が利かない点です」

「その通りだ。よく分かっているな。あれに付き合うのは大変だっただろう」


 哀愁を含んだ笑みをちらりと見せた染野少佐は、サリーが返答に困ると、ありがとうと付け加えた。それに、声を絞り出すよう一言「いいえ」と答えたサリーは膝の上で拳を握りしめて視線を逸らした。


「親の欲目かもしれないが、あれは戦うことに関しては能力が非常に高かった。だが、愚直に戦うことしか出来ない、武器にしかなれないような男だ。それが片足を失い、戦場で何が出来る?」


 怪我がもとで前線に立てなくなった者には退役の他に、内勤という道も残されている。だが、それを染野慎士は望まなかった。いや、適した場がなかったことを、少佐は暗に伝えた。


「あれ自身、戦場に立てないのであれば、軍で成せることはないと言っていた。しかし……復帰を望んでいた」

 

 それも予測の範囲だと、モーリスは内心頷いた。

 退役した元軍人が他国の軍に近づくとしたら、金目的の情報売買が妥当な線だろうが、若い染野慎士であれば自分を売り込むことも考えられる。復帰を望んでいるのであれば、後者が濃厚だ。

 サリーも別段驚いた様子はなく、じっと黙って話に耳を傾けていた。

 深く息を吸った染野少佐は話を続けた。


「我が国で、あれを前線に戻すことはない。あるとすれば、それは国が戦火に飲まれるような有事の際だ。しかし昨夜、あれは私に言った。自分は戦場でしか生きられない。だから再び、と」


 まだ夢を見ているのかと、幾度と繰り返してきた説教を再び浴びせたと、自嘲気味な表情をちらつかせた少佐は続けて語った。

 いつもであれば言い返してくる息子が、なぜか反抗もせず引き下がったこと。話し合いどころか口喧嘩にもならず、そのまま彼は姿を消し戻らなかったこと。

 出ていく息子の冷たい眼差しを思い出し、染野少佐は後悔の色を浮かべると、深いため息をつく。


「ミナバ商会に出入りしていたことも知っていた。しかし、他国でやり直すなど戯言にすぎない、拾う国などないと……好きにさせていた私の甘さが招いた事態だ。だがそれでも……」


 どれほど愚かな息子だとしても、連れ戻したいのだろう。染野少佐は再び頭を下げた。


「どうか、力を貸してはくれないだろうか」

「──少佐、民間人の危機には全力で当たるのも、我らの使命ですよ」


 口を閉ざしていた綾乃はそう言うと、一瞬、ふわりと微笑んだ。しかし、すぐさま厳しい表情に戻ると、モーリスとサリーに視線を向けた。


「アサゴを出るには城壁を越えなければなりません。昨夜から外に出た民間人の記録はなし。まだ、中にいる可能性が高いです。すでに捜索隊を出してはいますが──」


 二人にも捜索に加わってほしいと告げるよりも先に、突然、綾乃と染野少佐の情報端末がけたたましい呼び出し音を鳴らした。

 通信端末の画面を確認した二人の顔が曇る。


「緊急事態のようです」


 すくっと立ち上がった綾乃は、モーリスとサリーに教官室での待機を命じると、染野少佐と連れ立って慌ただしく部屋を出て行った。

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