3-7 ヘイゼル登場!

 店内に入ったモーリスは、受付に立つ店員へと声をかけた。


「ちょっと聞きたいのだけど、三階のVIPルームはどのくらい予約待ちだろうか?」

「お部屋の大きさにもよりますが、おおむね一か月待ちとなっております」

「大きさ?」

「はい。カップル向けのお部屋はすぐに予約が埋まってしまいますが、団体様向けのお部屋ですと、比較的空きがございます」

「今日も空いているのかい?」

「残念でございますが、本日はすでにご予約が入っておられます」


 予約の帳簿を広げた店員は、申し訳ございませんと言うと、VIPルームの案内書を取り出した。


「今月の空きはおおむね平日の午前中となります」

「ありがとう。検討させてもらうよ。あぁ、それと手を洗いたいのだが?」

洗面所レストルームでしたら、そちらの階段横の通路をお進みください」

「ありがとう」


 受け取った案内書を右の内ポケットに差し込んだモーリスは、笑顔でその場を去った。

 年代物なのだろうと分かるつややかでおもむきのある木造階段を横目に通路をすすむと、すぐに目的の洗面所レストルームが見つかった。少し広めの個室で清潔感があり、清掃も行き届いている。洗面台に飾られている花は、テラスで育てられた花だろう。

 内鍵をかけたモーリスは左胸、内ポケットの辺りをとんとんと軽く叩いた。すると、小さくクキャッと鳴き声が響き、小さなリスが顔を出した。


「ヘイゼル、休んでいるとこ悪いが、仕事だ」


 モーリスが小声でそう言うと、ヘイゼルと呼ばれたリスは不満そうにキュルッと鳴き声を上げながら、彼のコートを伝って外に出てきた。その首に巻かれるベルトの端で、嵌め込まれた魔精石が照明を受けてきらりと輝く。

 小さななりだが、このリスも立派な軍用獣だ。


「今、俺達がいるのはここだ。そして、ターゲットがいる部屋は──」


 テーブル席から持ってきた店のパンフレットを広げて指でなぞると、ヘイゼルはじっとその指を視線で追っていった。

 武骨な指が三階の大きな部屋で止まり、とんとんと叩く。


「三階にある。ここで染野慎士ターゲットといる奴らの顔を確認したい。頼めるか?」


 言いながら内ポケットに手を差し込み、取り出したのは染野慎士の顔写真だ。それを確認したヘイゼルは仕方ないと言うようにクキャッと鳴き声をこぼした。


「終わったら、外の席に戻ってくれ」


 その指示にいささかの不満を感じたのか、ヘイゼルはグルルッと喉を鳴らした。

 モーリスはやれやれとばかりに分かってると頷く。


「ちゃんと報酬に胡桃くるみも付ける」


 苦笑しながら答えれば、大きな尻尾がぶんっと一振ひとふりされ、モーリスの肩からするするとコートの中に戻って袖口に隠れると、さあ行けと言うようにもう一鳴きした。

 トイレの水を流したモーリスは、何事もなかった顔で外に出る。幸いにもそこに人影はなかった。

 階段横に近づき、ヘイゼルが隠れる左手を近づけ──


(頼んだぞ)


 心の中で声をかけると、ヘイゼルは無言で手すりの裏に身を隠すようにしてするすると登っていった。その小さな姿が見えなくなる頃、人の話し声が近づいてきた。

 モーリスは何食わぬ顔をして外套コートひるがえしてテラス席に足を向けた。

 席に戻ると、すぐに気づいたサリーが「アネモネはどうだった?」と尋ねてきた。


「ヘイゼルに任せてきた」

「そう。それじゃ、お土産に胡桃を買わないとね」


 そうだねと頷きながら椅子に腰を下ろしたモーリスは、すっかり冷めてしまった紅茶をすすると、清良の様子を少しばかりうかがった。

 席を外す前、気を失いそうな程に青褪あおざめていたその顔には、少しだが赤みが戻っていた。ティースタンドのケーキもだいぶ減っているのを見ると、二人で食べながら話が進んだのだろうと察しがついた。

 カップを受け皿に戻し、モーリスは人当たりの良い笑顔を作る。


「清良さん、少し落ち着いたようだね」

「はい。あの、モーリスさん……私、ケイのことを慎士さんに打ち明けます」

「そうか。そして、ケイに会いに行くつもりかい?」


 その問いに、清良は小さく頷いた。


「……慎士さんに嫌われちゃうかもしれないけど、やっぱり、このままじゃケイに二度と会えなくなると思うんです。それは耐えられないから」


 切なそうに笑いながら、虫のいい話ですよねと小さく付け加えた清良がうつむく。

 決心が揺らぎそうな彼女の様子に、モーリスは「大丈夫だよ」とすかさず応えた。その言葉に弾かれるように顔を上げた清良は、せわしく瞬きを繰り返した。


「少なくとも、ケイは君の幸せを願ってくれる。俺がこいつの幸せを願っているようにね」

「またそんな根拠こんきょのないことを」

「幼馴染みはそう言うもんだ。それに、願ってるだけじゃないかもな。自分の手で幸せにしたいと思っているかもしれない」


 自分がそうであるようにと言い切るモーリスに、呆れた顔を見せたサリーはため息をつく。

 

「ほんっと、モーリスの頭の中はお花畑で困るわ」

「マイナスに考えても良いことはないからな」

「まぁ、そうね。そこは同意してあげる。ねぇ、清良ちゃん──」


 清良の手を握ったサリーは真摯しんしな顔で向き直る。その表情があまりにも綺麗で、見とれたのは清良だけではなかった。

 まるで一世一代の愛の告白をするようにも見える真剣な面持ちに、モーリスは少しばかり嫉妬心をくすぶらせた。


(俺には向けないくせに。他には安売りしやがって)


 その気持ちを誤魔化すように、甘いマロングラッセを口に放り込むと、ソファーの背もたれに体を預けた。


「後悔しないようにね。そして、何か困ったことがあったらすぐ連絡して。あたし達は味方よ」

「サリーさん……ありがとうございます」

「ほら、泣いちゃダメ! 背筋をしゃんとする!」


 パンパンッと清良の背を叩いたサリーは満面の笑みを浮かべ、目じりを押さえた清良は微笑み返した。

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