1-8 上官命令と書いて“おねがい”と読む

 心配してくれているのだろう。そのくらいは伝わり、モーリスはスープを口にしながら、思わず口元を緩めた。それに気づいたサリーは「変な誤解しないでよ!」と声を荒げるが、時すでに遅しとはこのことだろう。

 青灰色せいかいしょくの瞳が幸せそうに細められた。


「素直に、心配してるって言えば良いんだぞ、愛翔」

「えぇ、えぇ、心配してますとも! あたしの仕事がこれ以上増えないことをね!」

「ほんっと、お前は照れ屋だな」

「だから、人の話、聞いてる!?」

「なぁ、ところで──」

 

 悪びれた様子もなく、モーリスはファイルを指さした。


「そのファイルは何だ?」

「……あぁ、これは暇なあんたに、少将ちゃんからのお願い事よ」


 深いため息をつきながら、サリーはファイルを手渡すと、部屋に備え付けられているミニキッチンに立った。


「カップ、借りるわよ」

「あぁ……なぁ、これ、候補生のファイルだよな?」

「そう。あんたの担当のよ」


 ケトルを火にかけ、インスタントコーヒーの瓶を手を伸ばしながら答えたサリーは、並んでいるカップを二つ手に取った。

 ファイルがめくられる音が小さく響いた後しばらくして、モーリスは再び「なぁ」とサリーを呼ぶ。


「追加調査が必要なのか?」

「まず、その付箋のところを確認して」


 手が止まったのは付箋の貼られた箇所。そこにあったのは今期の候補生の中で一番若いケイ・シャーリーの身辺調査書だった。

 十五で魔装具使いの適正試験に合格。訓練校時代、射的のスコアは歴代五位記録を打ち出し、十八で候補生として推薦されて今に至る。その昇級の速さは翁川綾乃おうかわあやの中尉に次ぐと言われ、今期の研修生の中でも期待値の高い青年だ。

 サンドイッチに手を伸ばしたモーリスは、少し首を傾げた。


「ケイに限って、再調査が必要なトラブルは起きないと思うが……」


 成績優秀なことを鼻にかけるようなタイプでもなければ、周りが見えないスタンドプレイをするような愚か者でもない。上にも下にも気に入られるお手本のような出来た青年。それが彼の印象だった。

 改めて見返した身辺調査書にも、特に不審なところはなかった。


「俺が寝てる間に何かあったのか?」


 モーリスが一度ファイルを閉ざすと同時に、テーブルにカップが静かに置かれた。顔を上げれば、向かいの椅子に腰を下ろしたサリーと目が合った。

 インスタント珈琲の湯気が薄い香りを立ち昇らせる。


「あんたの怪我、彼をかばった時に負ったものでしょ?」

「あー、まぁ、そんなとこだけど……いくら適性試験の成績が良くても、現場でへたっちまう奴がいるのは、よくある話だ。しかも初めての回収コレクト訓練で、魔狗ハウンドの数は予想を上回っていたから、気負っちまったんだろうよ」


 今後の訓練と経験則で補えば良いことで、彼を手放そうかって話であれば時期尚早だろう。そう反論しようとしたモーリスは、向かいに座ったサリーが「そうじゃないの」と言うと首を傾げた。


「別に、彼を責めてるわけじゃないの。あんたの怪我は自己責任。候補生を守るのは教官の使命だからね」

「じゃぁ、どうしろって言うんだ?」

「あんたに怪我を負わせたことに責任を感じているのか、ここ数日の射的スコアが酷いもんなの」

「……で?」

「候補生の精神衛生を守るのも、教官の役目。暇なんだろうから、ちょっと行って相談に乗ってあげて」


 外室許可をもらってきてあげたからと、笑顔で一枚の紙をちらつかせたサリーはほくそ笑んだ。


「……精神衛生のケアは医務官の仕事だろうが」

「医務官にばかり頼ってたら、現場では使い物にならないわよ。立ち直れる精神を鍛えるのも、あたし達の務め」

「ならお前がいけよ」

「あたしは忙しいの。どこかのクズのおかげで業務は倍増。そもそも、これは少将ちゃんの上官命令おねがいよ」


 モーリスは深々とため息をつく。

 遅かれ早かれ分隊長になるであろう候補生たちには、逃げ道が用意されていない。彼らの任務は、城壁に囲まれた町の警邏けいらや被災した際の救助ではなく、命を張って前線で戦うことだ。時には情報の少ない上位互換種を相手に戦うこともあれば、情報収集のため各地に飛ぶこともある。

 サリーの言うように、訓練中のミスでいつまでも立ち止まってしまうような精神では、この先が思いやられる。


「……サリー、お前、初めて戦場に出た時どうだった?」

「覚えてないわ」

「そうか……まぁ、俺たちが出た時は新たな上位互換種が現れて、生きるのに精一杯だったからな」


 青々としたブロッコリーにフォークを差し、モーリスは思案する。

 現場に出れば何かに迷っているほど暇ではないのだが、ケイの数か月前の日常は基礎訓練と町の警邏や救助だっただろう。若い彼にとって初の魔精石回収は、最前線の恐怖を彷彿ほうふつとさせるのに十分なものだったのかもしれない。


(まったく温いな。俺たちの時とは多少状況も違うかから仕方ないのか?)


 納得したわけではなかったモーリスだったが、寝ているだけよりは有意義な時間を過ごせるかと妥協することにした。


「ケイの適正能力を捨てるのはもったいないからな」

「じゃぁ、お願いするわよ」


 仕方ないと頷くモーリスに満足したのか、カップのコーヒーを飲み干したサリーは満面の笑みを見せた。

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