3-10 仕組まれた恋愛劇

 春先になると変質者が出ることはままあるとは言え、この魔物の巣窟そうくつになる森が複数隣接するアサゴで、暴漢が出ることは珍しい。


 アサゴでは、特に老人や子ども、女性等、抵抗が出来ない弱者に対する暴行が厳しく罰せられる。程度によれば、即刻、アサゴを囲う塀の外──魔物の巣窟に追放処分だ。それが抑止力となり、暴行や殺人事件の発生件数は年間を通しても特に少ない。


 清良はそのまれな犯罪に巻き込まれた奇特きとくな娘で、染野慎士は彼女を助けて恋に落ちた紳士。そう片付けてしまえる程、モーリスとサリーはお人好しでも、ロマンス好きでもなかった。

 疑いはさらに深まった。


「出来すぎた話だって言いたいんだろう?」

「そうよ」

「その事件の暴漢は処分されたのか?」

「実質な被害がなかったからって、届け出なかったんですって」

「はぁ!?」


 天井から視線を外したモーリスは頓狂とんきょうな声を上げた。

 顔を向けた先にあったサリーの沈痛な面持ちは、すべてを物語っていた。

 詳細を語られずとも、染野慎士が被害届けの提出を阻止したのだと察したモーリスは頭を抱える。


(あの男はどこまでクズなんだ?)


 同じことを思ったのか、二人のため息が重なった。


「……清良ちゃんから聞いたんだけど、届け出れば噂が立つって言われたそうよ。そうなれば店にも悪評がたつかもしれないって」

「そんなことあるか!」

「あなたは私が守るから、もう何も心配することはない……そう言われて、彼女は受け入れちゃったの」


 淡々とそう言ったサリーの綺麗な瞳は怒りと呆れの色に染まっている。そのいきどおりを押し込めようとしているのだろう。ひくひくと頬を痙攣けいれんさせていた。

 

「犯人を野放しにして守るって、頭、可笑しいだろう」

「毎日のように清良ちゃんの家に通って、出かける時は駆け付けてくれたそうよ」

「そして、いつまた襲われるかもと怯えていた織戸清良を守った紳士は、交際を申し込んだって? ますます怪しいな」

「……そうだけど、清良ちゃんは慎士を信じてる」

「彼女のことを本当に思うなら、まず、その暴漢を罰するべきだろう」


 その時の状況を把握できなくとも、清良が娼婦めいたことや犯罪を招いた行動をしたとは考えにくい。ならば、彼女が引け目を感じることは、何一つないのだ。

 そもそも、暴漢を逃がしたことで他の民間人が狙われる可能性も出てくる。経過がどうあれ、暴漢を野放しにするのは問題だ。なのに、なぜ訴えるのを阻止したのか。


(逃がしても、もう襲われないという確証があると言っているようなもんだな)


 何とも胸糞むなくそ悪い話に顔をしかめたモーリスは、その暴漢たちが染野慎士に雇われた可能性が高そうだと考えながら、ふと違和感を覚えた。


「彼女は、暴漢の恐怖に死のうと思ったのか?」

「そう。不安で押しつぶされそうで、だけどケイには話せないって悩んだそうよ。はずかしめを受けそうになった自分を責めたのね」

「染野慎士は、そこに付け入ったってとこか」

「……そういうズルい男よ」


 聞き逃しそうなほど小さく呟いたサリーは、カップに残る珈琲を睨みつけていた。

 モーリスは、彼の苛立つ様子を見ながら、たまらず自嘲気味じちょうぎみな笑みを浮かべた。

 カップの中に視線を落とせば、揺れる黒い液体に、酒に酔いつぶれて泣いていたサリーの顔が浮かぶ。


(心の隙に入り込んでも、欲しい時だってあるんだけどな)


 染野慎士を擁護ようごする気はなかったが、己を重ねてしまうとその奇行を理解できるような気もした。しかし、モーリスはあの男がそう言った色恋の感情で清良に近づいたと考えている訳ではない。むしろ、そう言った感情的な行動とはかけ離れた、計画性を感じていた。


「なぁ、そこまでして、彼女と婚約するメリットは何だ?」

「どういうことよ?」

「染野慎士に恋愛感情があるとは思えない。何か目的があって近づいてるとしかな」

「恋愛観なんて人それぞれでしょ」

「じゃぁ、くが……お前と彼女、その他の浮気相手との共通点は何だ?」

「それは……あたし達は火遊びだっただけで」

「本当にそうか? それは、何か共通点を隠すためのものなんじゃないか?」


 怒りと悲しみで顔を強張らせ、サリーは唇をきつく噛んだ。その瞳が忙しく動くのを見れば、彼が必死に過去を掘り返して思考を巡らせているのだと分かった。

 出来ることなら、彼に傷を負わせた男のことなど、思い出させたくはなかった。それでも、この問題はあの男が重要であることに変わらない。無視を決め込むわけにはいかないのだ。

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