1-11 女癖の悪いやつは自覚がない

 冷たい秋の風が髪を揺らして抜けていった。

 寄り掛かったフェンスがきしむ音を耳にし、モーリスはわずかに体を起こす。そして、目の前で浅い息を繰り返すケイに、短くどういうことかと問い直した。

 単に、軍人として先行きを不安に思っているようには見えなかった。

 しばらく言葉を選ぶように思案する様子を見せたケイが、重い口を開いた。


「……銃を構えると、俺、ある男の顔を思い浮かべてしまうんです」

「男?」

「標的が、全部、そいつに見えてしまうんです!」


 声を荒げたケイは一度、唇を噛むと「どうしたら良いでしょうか」と声を絞り出してモーリスを見上げた。


(誰かを撃ち殺したいと思っている、ということか?)


 身辺調査書を思い浮かべたモーリスは首を傾げた。

 軍人が私情で人を殺すなどあってはならない。特に厄介なものが多い魔装具に関わる場合、その身辺調査は念入りに行われる。将来、隊を率いることになるだろう候補生ともなれば、その調査は家族、友人にまで及びる。小さな火種が大火事にならないよう、あらかじめ把握するためだ。

 しかし、ケイの身辺に火種となるような事柄は見受けられなかった。


「どういうことか、詳しく話せるか?」

「……俺、出身はこのアサゴなんです」


 促されたケイは、どこから話せばいいのか少し考えたのだろう。ぽつりぽつりと話し始めた。


「軍人になろうと思ったのは、家族を守るためでした。三年ぶりに戻ってきて……先週、母が面会に来てくれたんです」


 先週と聞いたモーリスは、身なりの良い夫人が基地を訪れていたことを思い出した。

 穏やかそうな夫人の髪には白髪の束が見られ、苦労しているのだろうことがうっすらと伺えたが、ケイの姿を見て心底安堵したように微笑んでいた。彼もまた、自信に満ちた顔をしていた。

 それを遠目に見ていたモーリスは、その時、少しばかり懐かしさを感じたくらい微笑ましい光景だった。


「その時……幼馴染が婚約したと聞きました」

「そりゃ、めでたいな」


 安易に口走ったモーリスは、ケイが顔をくしゃりと歪ませるのを目にして、心の中でと己の軽率さを呪った。

 幼さの残る双眸そうぼうに涙がにじんだ。


「相手は、染野そめや少佐のご子息です」

「なっ! マジか──」


 思わず声を上げたモーリスは天を仰いだ。それを見て、ケイは肩を落とす。

 わずかな沈黙が二人の間に流れた。

 モーリスの脳裏に浮かんだのは、このアサゴの整備、開発の中心人物である染野少佐とその息子だ。

 染野少佐自身は人当たりが良くて、軍内部でも悪い評判など聞くことはない。むしろ、部下からも慕われている評判の良い上官だ。それとは真逆の悪評を持つのが、息子──染野慎士そめやまさしだ。怪我がもとで退役し、金融機関で働く非戦闘員となった。見目が良く、片足を失っても明るく振舞う姿に同情フィルターがかかっているのか、妙に女性人気が高いことでも有名だ。しかし、彼はとてつもなく女癖が悪いのだ。

 染野慎士の話を、モーリスもよく耳にしていた。耳にしていたというよりは、顔の良さと女癖の悪さがよく似てると、古い仲間から冷やかされることが多いといった形だったが。


「心配にならない方がどうかしてると思うぞ」


 そもそも女を泣かせているという自覚がないモーリスは、自身のことを棚に上げて言い切った。それに、ケイは曖昧あいまいに笑ってかぶりを振った。


「最初は驚きました。でも、彼女が幸せになるなら相手は誰でも良いとも思ったんです……」


 随分と殊勝しゅしょうなことを言うもんだと思いながら、言葉を詰まらせるケイを見たモーリスは内心で、嗚呼ああと言葉を零した。

 ケイの顔は、一つも納得したものではなかった。

 

「……三週間前の休暇の時に、俺、見ちゃいまして……」


 さらに口籠ったケイの視線が忙しなく泳いだ。この先を話すべきかどうか、必死に考えているだろう。

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